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「ドイツでのワークショップを終えて思うこと」橋口譲二 日本から参加した学生のレポートはこちら。 |
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<アウグスブルグについて> アウグスブルグは南ドイツのバイエルン州にある、ローマ帝国時代からの歴史を持つ古い街です。ミュンヘンから約50km、電車で1時間ほどの距離にあります。「ロマンチック街道」の途中にあり、日本からの観光客も少なくありません。旧市街は市庁舎を中心として石畳の美しい町並みが広がり、ゆっくりと市電が走っています。NHKの「名曲アルバム」に登場しそうな、こぢんまりとした美しい街です。 これまでこのホームページ上で、アウグスブルグのことを「ミュンヘン郊外」と紹介してきたのですが、アウグスブルグの人はこれを聞いたら怒るそうです。ちょうど、京都を「大阪郊外」といったら京都の人が怒る、という感じでしょうか。今はたまたまミュンヘンが大きな都市になっていますが、アウグスブルグの人々の心の中には「昔はアウグスブルグのほうが栄えていた」という誇りがあるようです。 ヤコブ・フッガー・ギムナジウムの校長先生(歴史)によると、アウグスブルグが最も繁栄していたのは1480年から1590年頃、ルネッサンスの時代でした。この学校の名前にも冠されているフッガー家は当時、東ヨーロッパ中の銅の売買を独占していた商家で、皇帝すらフッガー家からお金を借りる、といわれるほどの富を持っていたそうです。アウグスブルグはこのフッガー家の富を中心に一大商業都市となり、当時は音楽家や芸術家も多く集まっていました。19世紀後半から20世紀前半にかけては重工業が栄えますが、ミュンヘンがシーメンスを中心としてIT産業にうまくシフトしたのに対し、アウグスブルグは旧来の重工業から脱皮することができませんでした。ミュンヘンがどんどん大きくなるにつれ、鉄道やアウトバーン、飛行場もすべてミュンヘン中心となってしまい、アウグスブルグは取り残されてしまった、という思いが住民の中にはあるようです。現在の人口は約50万人で、そのうち外国人人口は約10%。その多くはトルコ人で、郊外にある重工業の工場で働く労働者です。 <ギムナジウムについて> ヤコブ・フッガー・ギムナジウムは、もともと経済科のある「アウグスブルグ市立経済学校」が前身で、その名残から今でも全校生徒の70%が男子です。もともと経済方面に強いため、今でも金融関係に進む人が少なくなく、ナチスが政権をとる前は3分の1の生徒がユダヤ人だったそうです。 簡単に説明すると、ドイツでは全国統一試験を受け、その成績によってギムナジウム、レアルシューレ、ハウプトシューレという3種類の学校に振り分けられます。大学進学を希望する場合はギムナジウムを卒業しなければなりません。ところがドイツでは大学が国立で学費が無料なため、みんながみんな大学に進学すると、国としては財政的に困ることになります。よってギムナジウムでは学内の競争も激しく、成績によって生徒を落第させることも頻繁です。カール曰く、「ハウプトシューレでは、なんとか生徒をがんばらせようと親身になる先生が多いけれど、ギムナジウムでは、先生は生徒を励まして落第させないようにとはがんばらないことが多く、生徒と先生の関係はシビアなことが多い」のだそうです。 今回のワークショップに参加したのは、そんな環境の中で暮らす学生たちです。 <参加生徒の構成> 今回ワークショップに参加したのは、ヤコブ・フッガー・ギムナジウムの生徒23人です。 男子生徒−16人 女子生徒−7人 学年別:9年生−4人 10年生−7人 11年生−8人 12年生−3人 卒業生−1人 あとでよくよく聞いてみると、純粋に写真を使ったワークショップに興味を持って参加した生徒もいれば、カールが普段自主的に開いている日本語クラスに参加していて、ノリで参加した生徒もいれば、また夏休み前最後の1週間、他の授業が免除されるからという動機で参加した生徒もいたようです。しかしふたを開けてみれば、みんなものすごく真剣にワークショップと取り組んでくれました。 <出発前夜> ワークショップに出る時はいつもそうですが、出発直前は、最終的な連絡事項の確認や機材の受け渡し、機材リストの作成、パッキング、不在中の引き継ぎ、出発前に入れなければならない原稿の仕上げなどでしっちゃかめっちゃかになっています。 2002年のインド行きの時は、学生たちに「ビザ取るのを忘れないでねー」と口をすっぱくして言い続けていた当人がビザを取得するのを忘れ、慌てて2日前に大使館に行ったところ、写真を忘れて申請すらできず、出発前日の午後4時にギリギリビザが下りるという恐ろしいことがありました。今回はビザは不要だったのですが、出発前日に橋口が「パスポートがない!」と大騒ぎをしました。無事みつかったのでよかったのですが。ワークショップのことで頭がいっぱいで、パスポートやビザやチケットのことを、案外忘れてしまうのです。いくらいい計画を立てても、行けなければしゃれになりません。気をつけたいものです。 今回は私たちだけでなく、京都精華大学の学生たちも出発前にすでにくたくたになっているはずでした。というのは、7月後半といえば大学生にとっては試験期間。精華大学もまさにそうだったのですが、人文科の西研さんのご尽力で、学科によって試験を早めていただいたり、代わりにレポートを提出することで試験を免除していただくことができ、無事全員17日に出発できる運びとなったのです。試験が早めに終わった宮坂さんには15日から東京に入ってもらい、準備を手伝ってもらいました。井上さんと伊藤さんは16日ギリギリまで試験があったため、17日早朝に大阪から成田へ飛び、成田空港で初顔合わせです。 16日の夜11時頃、携帯電話に井上さんから「今、京都から大阪に向かっているところです」というメールが入りました。気持ちは高揚していましたが、みんなくたくたでした。明日の飛行機の中では、みんな爆睡となるでしょう。 出発前に最後の確認をしようと思い、夜、カールにメールを出しました。「明日着くの? あさってだと思ってた」という返事が来ました。確認して、本当によかったです。 <出発当日> 早く飛行機に乗って爆睡、といきたいところですが、出発前最大の難関は荷物のチェックインです。私たちはワークショップを行うたびに膨大な量の荷物を運びます。今回はワークショップに使用する機材(生徒たち使用のデジタルカメラ23台と充電器、スタッフ使用のカメラ5台、橋口使用のデジタル一眼レフカメラ2台、プリンター3台、変圧器)に加え、パソコン3台、橋口と星野の写真作品50点あまり、お世話になった方々へ贈る写真集などが主な荷物でした。 2000年インドの時には国際交流基金の派遣事業だったため、超過重量の交渉もすべて基金がしてくださり、問題はありませんでした。が、個人で行く場合にはそのようなバックアップがありません。2002年インドの時は、機材に加えてインドの人たちへ贈る古着を持ち込んだため、最大限の譲歩はしていただいたものの、7万弱の超過料金が発生してしまいました。7万といったら、もう一人の旅費が出るくらいの大きな金額です。涙が出そうでした。 「個人の荷物は最大限減らし、最悪の場合は機内持ち込みできるようなサイズと重量にしておくこと!」 これはワークショップに参加するスタッフにいつも念押しする点なのですが、計16個の荷物を目のあたりにして、スタッフにもその意味はわかってもらえたと思います。 カウンター横の計量器に次々と荷物が載せられ、数字がおもしろいように上がっていきます。重量が即座に現金に換算されてゆくのですから、太った痩せたどころの緊張ではありません。背中を冷や汗が伝わっていきます。カウンターの女性は、辞書のようにぶ厚い虎の子を片手でめくりながら、チケットを凝視したまま微動だにしません。心臓ばくばくで審判を待つ私たちに、彼女がいいました。 「ドイツ側で、領事館からお話しいただいているようです。超過重量に関しては承知いたしました」 ミュンヘン総領事館から事前に連絡が入っていたらしく、オーバーチャージは発生しなかったのです。本当にありがたいことでした。こうして最大の難関だったチェックインは、拍子抜けするほどスムーズに終わりました。ほっとしたら急に腰が痛くなり、お腹がぐうとなりました。 <ワークショップが始まるまで> 7月17日、アウグスウルグのホテルにチェックインすると、ベルリンから駆けつけてくれた戸田史子さんが待っていました。戸田さんは現在ベルリンに住み、アート・マネイジメントの勉強をしています。縁あって橋口が東京で知り合い、ドイツでのワークショップの話をしたところ、手伝ってくれることになりました。その日はアウグスブルグ駅構内のカフェでカールと簡単な打ち合わせをし、トルコ人経営のケバブを食べて早めに休みました。 翌日はまずみんなで、ワークショップに使用するカメラの使い方とプリンターの使い方の講習会を開きました。いったんワークショップが始まると、毎日休む間もなく作業をしなければならないため、立ち止まっている時間はありません。ワークショップが始まる前に、スタッフはすべての道具の使い方に精通しておく必要があります。試しにそれぞれデジタルカメラで写真を撮り、それを印刷する練習を行いました。しかしスタッフはさすがにデジタル世代といおうか、橋口と星野がまごまごしているうちに、あっという間にデジタル機器の扱いを覚えてしまいました。 前回のインドでは、5時までギリギリ生徒にはカメラを使ってもらい、カメラとCFカードを回収してホテルに戻り、ホテルで一斉に写真をプリントする、という方法を採りました。そのため、ホテルでの印刷作業は毎晩深夜にまで及び、写真展の前日には午前3時まで作業が続くというハードさになりました。インドでこの方法を採ったのは、参加した生徒たちのほとんどが学校のすぐ近くの集落に暮らしていたためです。ただアウグスブルグでは、遠い人になると通学時間が1時間かかる生徒もいるため、その日じゅうにカメラを回収するという方法を採ると、学校周辺で写真を撮らざるを得ない生徒が増えてしまい、写真が似てきてしまいます。よって、アウグスブルグではカメラを持ち帰ってもらい、翌日の朝に回収することにしました。(早く撮り終わった生徒はその日じゅうに回収します) この方法を採ると、印刷作業のメインは教室で行うことになります。問題は電源です。私たちはどこへでも中型変圧器を持ち込みますが、3台のプリンターをフル稼働させながら、生徒が使用する23台のデジタルカメラの予備電池の充電をとっかえひっかえ行い、CFカードのデータ移行のため2台のパソコンを使います。果たしてどんなタコ足配線になるのか、充電のスピードが間に合うかどうか、一抹の不安がよぎりますが、これはもうやってみないとわかりません。 <スタッフはどんな仕事をするのか> これまで、スタッフがどんな作業をしているのかを紹介していませんでした。ワークショップの話に入る前に、ここではスタッフが一体どんな仕事をしているのかをご紹介します。 ワークショップは、参加する生徒にとってはとてもクリエイティブな試みですが、それを具体化させるのがスタッフの仕事ですから、作業は本当に地味で、ある意味単調でもあり、しかも細心の注意が必要です。例を挙げてみると、23人の生徒が一斉にカメラを持って帰ってくるとします。ぼやぼやしていると、カメラとCFカードは一瞬にしてごちゃごちゃになり、この写真は誰が何日目に撮ったのか、この電池は充電済みなのか、切れる寸前なのか、このCFカードは消去していいのか否か、まるでわからなくなってしまいます。またどんなに注意深く作業をしていても、連日の疲れがたまってくると注意力が落ち、ミスが起こりやすくなります。どの作業にも「確認表」を作り、自分が確認したあと、別のスタッフに確認してもらい、確認洩れがないようにしました。 作業の流れはざっとこんな感じです。 ・生徒からカメラが戻ってくる →電池とCFカードを抜き、充電担当者が充電をし、印刷担当者が印刷(インデックス印刷のあと、個別印刷)をする →印刷した写真一枚一枚に、生徒の名前、番号、カメラ番号、日付、データ番号を記入する (この表記がないと、展示用写真を再印刷をする際、大混乱に陥るのです) →プリントが終わった生徒の分から、順々にCFカードのデータをパソコンに移行する (CFカードは生徒一人につき一枚のため、毎日消去しなければ次の日に撮影することができません。これも生徒ごとのファイルを作り、日付別に整理していきます) →印刷し終わった写真は、生徒一人一人の名前を書いた袋に整理し、翌日すみやかに渡せるよう準備する →印刷、データ移行の作業が済んだら、その作業を担当したのと別の人が内容を確認し、リストにチェックをしていく →念のため、再度別の人が内容をチェック →すべての内容が問題なく済んだら、全員で電池をセットし、CFカードを消去する →明日に備えて寝る この一連の作業を、スタッフは来る日も来る日もするわけです。 <ワークショップ1日目> 2003年7月20日 日曜日 07:30 朝食 11:30 機材チェック 12:30 ホテル出発 14:00 ワークショップ開始 夏休みに入る最終週の日曜日からワークショップは始まりました。これは勉強に忙しいギムナジウムの生徒たちが1週間時間をとれるのは、前期の最終週しかなかったからです。木曜日に写真展のオープニングが決まっていたため、月、火、水の3日間の撮影ではあまりに短いということで、生徒には日曜日から集まってもらうことにしました。 しかしアウグスブルグは猛暑で、街は早くもバカンスモードに入っていました。夏休み前最後の日曜日にどれだけの生徒が集まってくれるか、一抹の不安もありました。今回のワークショップ参加者は、男子16人、女子7人の23人。学年別では9年生が4人、10年生が7人、11年生が8人、12年生が3人、すでに卒業している男子が1人です。事前に、進級できないことがすでに決まっている生徒が一人、今回は進級できたけれどあと一回落第すると学校にいられなくなる生徒が一人いること、また生徒の中に双子の兄弟が一組いることだけ知らされていました。そのほかのことは、先入観を持たないために知らされていません。 私たちは1時から学校に入り、プリンターの設置やカメラの準備をしていました。黒板に向かって並べられた机は撤去し、みんなが顔を見ながら話せるよう、椅子を丸く並べかえます。驚いたことに、じきにぽつぽつと生徒が集まり始めました。こんないい天気の日曜日、遊びたい盛りの年齢だろうに、彼らのワークショップに対する意気込みを感じました。こちらにもいい緊張感が走ります。 来た生徒から順にリストで名前を確認し、いつものようにガムテープに名前を書いて即席の名札を作りました。彼らの名前は片仮名で、スタッフの名前はアルファベットで書きます。それぞれの名前を早く覚えるためです。2時を回り、おおかたの生徒が集まったところでワークショップの開始です。教室を見回してみると、壁際には年齢の若い生徒たちが座り、窓際には年齢が上の生徒たちが座っているようです。ガールフレンドを連れてきた生徒もいました。ペーターでした。 「カメラを持つ前に、今日はみんなを一人ずつ知っていくために、短い質問をしていきたいと思います。」 ワークショップの定番ですが、まず最初にお互いを知るための質問をしていきました。これは、私たちが彼らを知るということももちろんですが、ふだん知っているつもりになっている友達がどんなことを考えているのか、生徒同士もあらためて耳を傾けてみよう、という思いから発しています。 こんな質問をしました。 ●「写真」という言葉から、どんなことを考えますか? ●あなたが一番大切にしていること/もの ●好きな色、好きな季節、そしてその理由 ●あなたが拒否すること/もの ●どんな大人になりたいですか? とても印象的だったのは、「大切にしているもの」の質問に、多くの生徒が「家族」と答えたことでした。これには素直に驚きました。というのも、私がこれまでイメージしていた「ドイツ」や「ドイツの人」というと、家族や故郷を離れてベルリンで自由に生きる人が多かったため、家族に反発を感じたり、家族という共同体を拒否する人が多いのかと勝手に想像していたからです。また日本でワークショップをした時にも、私の記憶にある限り、「家族」と答えた人はいなかったように思います。意外と素直なんだなあ、というのが最初の印象でした。もっともこれは保守の色が濃い南ドイツの特色かもしれませんし、その中でも比較的恵まれた環境で暮らす少年少女たちだからかもしれません。とにかく、まったく先入観というものはあてになりません。 それから印象に残ったのは、好きな色が「青」と答えた生徒が多かったことです。思い返せば、インドはヴィシャカパトナムの生徒たちの好きな色は、白、みどり、黄みどり、オレンジ、紫、赤、黒、ピンク、青……と色とりどりでした。これは文化の違いなのでしょうか? 休みなしで2時間半、暑さの中でだれることもなく、生徒たちは真剣に友達の話に耳を傾けていました。 カメラの操作に関する説明は、ほとんどする必要がありませんでした。デジタルカメラをほとんどの生徒が使った経験があり、むしろ私たちよりも慣れているようで、各自カメラを手にするやいなや、あれこれといじり始めました。電池を節約するためと、撮った画像にこだわりすぎないよう、すべてのカメラのディスプレイはオフに設定していたのですが、いきなりディスプレイを見ながらカメラをのぞいています。操作に慣れている分、撮ることだけに集中できない危険性もあります。いくつかのルールを決めました。 ●カメラは各自責任を持って管理すること。不慮の事故で壊れることは仕方がないが、乱暴に扱わないこと。 ●ディスプレイはオンにしてもいいが、電池の消耗が激しくなるので、自分でそのリスクは負うこと。通常の使い方なら電池はもつはずなので、電池が終わった時点でその日の撮影は終了とする。 ●たとえ気に入らない写真でも、一度撮った画像は絶対消去しないこと。自分で無駄だと思っているものの中に大切なことが含まれているかもしれないし、自分の意識しないことが映っているかもしれないから。 ●今日はとにかく自分が気になったもの、ふと足を止めたものを撮ってくること。自分が何に興味を持っているのか、何が気になっているのかを探すのがワークショップの目的だから、うまく撮ろうとか、いい写真を撮ろうとか考えないこと。 ●一日の撮影枚数は一律25枚とする。デジタルは無限というイメージがあるけれど、限りがあるということを意識してほしい。 ●明日はみんなが撮ってきた写真を教室で同時にプリントし、午後はそれを見ながらディスカッションをし、また撮影に行く。急いで撮る必要はないが、私たちは毎日5時まで教室に残っているので、早く終わった人は教室に帰ってきてカメラを渡してください。家が近い人はホテルにカメラを持って来てくれても可。 こうしてワークショップ1日目は終わりました。 <ワークショップ2日目> 2003年7月21日 月曜日 生徒たちがカメラを持って集まりました。スタッフたちはこれからが大変です。次から次へと集められるカメラをリストで確認し、CFカードを出して印刷をし、データをパソコンに移し、同時に電池の充電も行います。23人が25枚ずつ撮影してきたとして単純計算で575枚。この一連の作業を終えない限り、生徒たちにカメラを渡せないので、急がなければならないし、インクと紙は人数分を計算して持ってきているため、無駄には使えません。迅速さと正確さが求められます。また橋口・星野・戸田は生徒たちと写真をめぐって話をすることができますが、その他のスタッフはほとんどプリンターとパソコンに釘づけです。どうしたらミスを防いで早く作業をすることができるか、自分たちで相談しながら作業の流れを組み立てていました。 写真のプリントが出来上がるまでの間、こちらではディスカッションをしました。こちらから投げかける質問に、手を挙げて自由に答えてもらいました。 橋口:昨日、「写真という言葉からどんなことを考えますか?」という質問をした時、「時間を止めることができるもの」「記憶するもの」「感情を残すことができるもの」といった意見が出ました。では、「芸術」をあなたはどう定義しますか? ヨアヒム:絵の具やカメラといった道具を使って、意識的に何かを表現するプロセスだと思う。 ペーター:コミュニケーションの一つの手段だと思う。言葉をなくしても、気持ちを表現できるもの、それが芸術。 ベニー:芸術は一つ一つが固有なもの。人に理解されなかったり、気に入られなくてもいいもの。 アンドレア:言葉では言い表せないものを表現することが芸術。人によっては絵の具をキャンバスにのせることが芸術であり、それをそうでないという人もいる。芸術は、一人一人定義が違う。 クリストフ:感情の表現。音楽でもものつくりでも同じ。その時の感情を形にするプロセスが芸術だと思う。 パトリック:芸術によって、人に何かを見せることができて、心を動かすことができる。 橋口:僕が美しいと思うものと、サラが美しいと思うもの、ドミニクが美しいと思うものは違う。何かを目にした時、その人の心の中で動く感情が芸術だと僕は思っています。みんながきれいだというものが、自分にとって美しいものとは限らない。自分にとって心が動くもの、そんなことを気にしながら撮ってみてください。 ここでみんなに、東京の子たちが撮った写真を見せることにしました。彼らは東京で行ったワークショップに参加した少年少女で、年齢も君たちとほぼ同じ、条件も同じです。写真をもともと撮っている子もいれば、ほとんど初めてカメラを手にした子もいます。それぞれが自分の世界を表現しています。言葉で説明するより、実際見てもらったほうが、いいたいことが伝わるように思ったからです。 同世代の日本の人たちがどんなものを見、どんなものを発見しているのか、彼らは興味津々に見つめていました。 ヨアヒム:今までどうでもいいと思っていたようなディテールが主人公になっていて感心します。 橋口:ヨアヒムにとってどうでもいいことが、ルイスにとって大切だったり、逆にルイスにとってどうでもいいことが、ヨアヒムには大切だったりする。それを見つけてほしいと思います。 メラニー:一人ずつの違いが出ていて面白いです。自分でも気づくものを撮っている人もいれば、気づかないものを撮っている人もいます。 アンドレア:どうでもいいものが意味ありげに見えるのが面白い。 お昼を挟み、印刷した写真を生徒たちに渡します。写真を机に並べ、まず自分の観点でセレクトし、自分なりの物語を組み立ててみます。一人一人の写真を見ながら、「なぜこの写真を捨てたの?」「君の特徴はここにあるね」と会話を重ねていきます。とにかく毎日、この繰り返しです。このやりとりこそが、ワークショップの核になっていきます。 <ワークショップ3日目> 2003年7月22日 火曜日 3日目も、生徒たちが撮ってきた写真のデータを集め、印刷をしながら、プリントが出来上がった人からセレクションを始めていきます。が、23人の写真を印刷するのにもかなり時間がかかるため、午前中はまず、橋口と星野の写真を入れる額の準備を生徒たちに手伝ってもらうことにしました。手を休めては、プリンターのそばにやって来て写真をのぞきこむ生徒もいます。自分の撮った写真がどんなあがりになっているのか、相当気になっているようでした。またこの時間を利用して、生徒たち全員の顔写真を撮りました。 写真のプリントができた生徒から、2日目の写真と1日目の写真を合わせ、自分の観点から組み立ててみます。そして組みあがった生徒から順に、橋口が写真を見、対話を重ねていきます。 多くの生徒の2日目以降の写真は、劇的ともいえるほど1日目からは変わっていました。変わる、というと語弊があります。厳密にいえば変わったのではなく、focusedとでもいいましょうか、焦点が少しずつ定まり、個性、あるいはそれぞれの「違い」がより際立ってき始めたのです。 それはおそらく前日に写真を通して対話を重ねた結果だと思われます。写真は、よくもわるくも無意識を映し出す道具ですから、「意識」して撮ったものと「無意識」で撮ったものがごちゃまぜになって出てくることがよくあります。少々単純な言い方をすると、「意識写真」には、その人の思想や考え方、その人が認識している限りにおいての「自分」が反映されることが多いのですが、「無意識写真」には、言葉で表せない感情や、自分が認識している範囲外の「自分」が無防備に現れたりします。このワークショップで、自分で写真を組み立てたあとにセレクションの手伝いをしたり、対話を重ねるのは、一緒に写真の中から「感情」を発見したいと思うからです。 2日目以降の写真が1日目から変わったように見えるのは、生徒たちが自分の中に潜む感情を意識し始めたからではないかと思います。 彼らがどんな写真を撮ってきたのか、少し例を挙げてみます。 ●ペーターは、一緒に暮らすガールフレンドとの生活を撮ってきました。映画を見ているような世界でした。 ●ベンヤミンは、自分が撮ったものに自信がなかったらしく、「今日は熱があるので早く帰ってもいいですか?」と泣きそうな顔をしていました。ところが橋口がセレクトしてひとつの物語を作ってみると、心象風景のようなポエティックな世界が立ち上がりました。すると自分でも自分の作った世界に驚いたようで、みるみる自信に満ちた表情に変わっていきました。結局彼はこの日、最後まで教室に残っていました。 ●ドミニクは年の離れた小さな妹の写真を撮りました。 ●カタリーナは、「目立つから赤が好き。人から注目されたいです」と初日のディスカッションでいっていた、美しい女の子でした。ところが彼女の写真は、その言動とは裏腹に、とても静かでどこか淋しく、秋のたそがれのような世界でした。「君はただかわいいだけの女の子じゃないんだね」と橋口がいうと、一瞬彼女の瞳に光るものが見えた気がしました。 ●ベルンハルトはバイクで遠出をして、郊外の夕焼け、夜、朝の表情の移り変わりを、ロードムービーのようなタッチで撮ってきました。たった一日の時間を、どれだけ彼が写真に集中して過ごしたかが手にとるようにわかりました。 ●ベニーは旧米軍基地の廃墟に行き、ただ廃墟を撮るのではなく、そこに差し込む光を無意識のうちに拾っていました。 ●クルド族出身のアンドレアは、家の中がまだ不安定な状態らしく、家には帰らず、ナディーンの家で過ごしていました。一見10代の女の子らしい友達とのツーショットや「かわいいもの」が脈絡なく並んでいるように見えるのですが、並べ替えてみると、何かヒリヒリするような、独特な緊張感が漂っていました。彼女はこの翌日、「違反してることはわかってるんですけど、撮るのをやめられなかった」といって、規定の25枚の3倍の、なんと75枚の写真を撮ってきました。 ●マルティンLの写真には、光輝く世界と、ガラス瓶の底から見た世界のような、まったく異なる二つの世界が同居していました。彼自身はほとんど前者の写真をセレクトし、橋口は「こっちの世界が面白いんじゃないかな」と後者の写真をセレクトしました。すると彼はうろたえたような表情を見せ、「暗い人間と思われたら困る。周囲がイメージしてる僕は、明るいほうだから」といって譲りませんでした。 ●ミヒャエルとセバスティアンは二卵性双生児です。顔も性格もまったく似ていない、とカールからは聞いていました。二人は初日、教室の対角線上、つまりお互いから一番離れた場所に座わり、教室でも一言も言葉を交わすことがありませんでした。ところがこの日、セバスティアンの写真を見終わり、ミヒャエルの写真を見ていると、5歩くらい離れたところにセバスティアンが立ち、兄の撮った写真を遠まきから見ていました。昼休み、今度はミヒャエルが弟の撮った写真を見ていました。面と向かって会話をすることのなくなっていた兄弟が、写真を通して無言の会話を始めたようでした。前日までは時間をずらしてバラバラに家に帰っていた二人が、この日は一緒に帰っていきました。 インドのワークショップの時は、生徒全員が学校の近所の集落で暮らしていたため、5時に教室に戻り、カメラを回収してホテルでプリント作業をする、という方法をとっていました。が、アウグスブルグでは生徒たちの暮らす場所は様々で、一番遠い生徒は1時間離れた場所に住んでいるため、夕方までにカメラを返すとなると、学校周辺でしか写真を撮れなくなってしまいます。また生徒たちから「夜の写真が撮りたい」「朝も撮りたい」という要望が相次いだため、アウグスブルグではカメラを持ち帰ってもらうことにしました。ところがこの方法だと、すべての印刷作業を教室で行わなければならないことになり、生徒たちが写真のあがりを待つ「待ち時間」が長くなってしまいます。そこで、写真が早めに撮り終わり、かつ近くに住む生徒は、私たちが滞在するホテルにカメラを持ってきてもらう、という方法をとりました。 残された時間があまりないため、セレクトをし終わった生徒から、またカメラを持って写真を撮りに出かけます。セレクトしおわった写真は、ずっと教室の机の上に並べておき、誰もが見られるようにしておきます。この日からワークショップは、全員が教室に集まって一緒に何かをするというリズムから、各自のリズムで、写真を撮りに行ってもいい、教室に残っていてもいい、というスタイルに入ります。さっさと教室を出て写真を撮りに行く人もいれば、教室に残り、他の生徒が撮った写真をじっくり見ている人、私たちにずっとついて他の生徒のセレクションを見ている人、何時間もかけて自分の写真と格闘する人など、いろいろです。写真が人それぞれ違うように、写真との向き合い方も一人一人違いました。 <ワークショップ4日目> 2003年7月23日 水曜日 生徒たちが写真を撮るのはこの日が最後になります。ワークショップは通常、写真を撮る時間をたっぷり5日間とり、次の1日で写真選び、その次の1日で展示、という時間設定が最低限の理想です。しかしアウグスブルグでは事前に、写真展のオープニングが木曜日と決まっていました(これは木曜日の夜が一番オープニングパーティーに人が来やすいという理由です)。そのため、水曜日までに写真を撮り終え、セレクションを始めないと展示に間に合いません。そんな時間的制約もあって、生徒たちには前日カメラを持ち帰ってもらいました。 またこの日は実は、学期末遠足の日でした。この週はギムナジウムの授業が最後の週で、金曜日には生徒たちには通信簿が渡されることになっています。ワークショップの日程を遠足に重ならないようにしたかったのですが、学校のカリキュラムの都合上、最終週にワークショップを行うより他ありません。美術教師であるカールとしては、遠足に行かずにワークショップに出るよう強制することはできません。「もしかしたらこの日は、ほとんどの生徒が遠足に行ってしまうかもしれない」と事前にいわれていました。前日、生徒たちにはこういいました。 「遠足に行きたい人は行ってもかまわないけれど、写真展会場に展示するのは、みんなの作品です。それが3週間、友達や家族や街の人たちの目に触れます。そんなことを考えて、各自が判断してください」 ふたを開けてみれば、遠足に行ったのは8人でした。 この日の生徒の仕事はこんな順で進みました。 ●撮影を終えた生徒から写真をプリントし、これまでの写真を全部合わせて、写真展用のセレクションを始めていきます。 ●生徒が写真を選び終わったら、橋口が対話を重ねながらセレクションを手伝います。前の2日間の写真をですでにセレクトしているとはいえ、それに3日目を加えればいいという単純なものではなく、3日目の写真が加わるとまた世界が変わることもあります。全部の写真を再び丁寧に見ながら、一からまた選び直していきます。 ●選び終わった時点で、今度は生徒が自分で展示プランを立てます。どのようにプレゼンテーションするかということも、作品の重要な一部です。どのように並べるのか設計図を書き、展示用写真はインデックスに印をつけ、私たちに提出します。そこで生徒たちの一通りの作業は終わります。 スタッフの作業は、殺気を帯びたような緊張感のもとに進められていました。3日目の写真印刷に加え、同時に展示用プリントを印刷しなければならないからです。というのは、限られた写真用紙を大切に使うため、日々の写真は2L版の半分のプリントにし、展示用写真は2L版プリント、という使い方をしていたからです。これが、スタッフにはものすごく大変な作業なのです。 何が大変なのかというと、少々テクニカルな説明になります。前に述べたように、生徒たちが日々撮る写真はCFカードにデータとして保存されています。しかしカードは人数分しかないため、毎日パソコンに保存したあと、消去しなければなりません。あらたな展示用プリントは、セレクトした写真データをCFカードに移しなおし、プリンターに直接差し込んでダイレクトプリントをします。CFカードが何十枚もあればさほど大変な作業ではないのですが、1枚の余分もない中、間違って消去してしまうことが絶対あってはならないし、他の人のカードに他の人の写真が混じってしまったら大変ですから、スタッフの緊張はすごいものです。それぞれ声をかけあい、いちいち作業を確認しあい、何重にもチェックをし、細心の注意を払いながら作業を進めていきます。 フィルムだったら、たとえばベニーのフィルムのスリーブの中にサラの写真が紛れこむ、ということはありえないことです。しかしデジタルのデータでは、そんな間違いがいとも簡単に起きてしまいます。もちろんこのワークショップでは、様々な利便や資金的なことを総合的に考えた上でデジタルを使っているのですが、デジタルというのは怖いなあ、とつくづく実感しました。 また、これは生徒が一生懸命な証拠なのですが、セレクトを一度し終わった生徒が、長い時間をかけてもう一度写真を選び、「やっぱりどうしてもこの写真も入れたい」とか「もう一回セレクトを見てほしいんですけど」といってきます。するとスタッフから悲鳴が上がります。しかしどんな無理難題がつきつけられても、スタッフは気をとりなおして作業を続けます。この混乱した状況の中でも、データを誤って消去したり、データがごちゃごちゃになったりは一度もしませんでした。スタッフの集中力のたまものだと思います。 気がついてみれば、遠足に行っていたはずのアンドレアの姿が教室の中にありました。早々に遠足を切り上げ、写真選びに戻って来たのでした。他の生徒の2倍以上ある写真を前に、真剣に写真と取り組んでいます。写真選びを手伝っていた橋口に、「ジョージ、かわいい」と口走り、本人を思いきり赤面させていました。 戸田さんと宮坂さんには、セレクションが終わった何人かの男子生徒を連れ、途中から展示会場となるヒポバンクに行ってもらいました。ついたての数やサイズ、展示スペースの確認やワイヤーの点検などをするためです。展示を翌日に控え、全員フル回転です。お昼ごはんを食べている余裕もなく、各自、ホテルから失敬してきたパンやリンゴをほおばりながら、黙々と作業をしていました。 スタッフの作業的には地獄のような一日でしたが、地獄は教室を出てからも続きました。実は確認の手違いがあり、橋口、星野の写真につけるマット(日本で制作した)が額に合わないことが判明していました。結局ミュンヘンでマットを作り直し、この日ワークショップが終わったあと、安藤さんにはミュンヘンまでマットを受け取りに行ってもらいました。ホテルに戻ってからは、遠足に行っていた生徒がホテルに持って来た写真のプリント、セレクトし終わった生徒の展示用プリントを安藤さん、伊藤さん、宮坂さんが担当し、橋口、星野は戸田さんと井上さんに手伝ってもらい、写真を新しいマットに取り付ける作業をしました。部屋が狭い上、猛烈な暑さだったため、やむなくホテルの廊下に紙を広げて作業をします。途中、ホテルのフロントの人が見回りに来ました。叱られるのではないかと内心ドキドキしましたが、私たちが一心不乱に作業する様子を見て、微笑んで帰って行きました。 この日、みんながベッドにつけたのは朝の4時近くでした。スタッフの疲労も、ピークに達していました。 ワークショップ5日目の報告に入る前に、いくつか話の寄り道をします。 ●ホテルと学校の往復 ヤコブ・フッガー・ギムナジウムは、アウグスブルグ駅から徒歩10分くらいの、閑静な住宅地の中にあります。私たちが泊まっていたホテル(ヨーロッパ全土に展開しているチェーンのホテル)は駅のすぐ近く。毎日学校にはプリンター3台とカメラ、充電器、インクや写真用紙を持って行き、ホテルでも作業があるので、そのすべてをまた持ち帰って来ます。徒歩10分というのは、タクシーに乗るには微妙な距離なので、毎日えっちらおっちら機材を抱えて往復しました。インドだったらオート三輪車という便利な乗り物があるのに、と、へんなところでインドを懐かしく思い出しました。 ●食事 ワークショップの間、自由時間のないスタッフにとって、唯一の楽しみは食事です。昼食事情は、ワークショップを行う場所によって随分異なります。食事にまつわる風景にも、その場所の文化が表れているように思います。 2000年のバンガロールでは、「普段栄養のある食事をとれていない生徒たちに、この機会にちゃんと食べてもらいたい」という現地NGOの提案で、毎日ワークショップ会場にケータリングをお願いし、生徒たちと一緒にごはんを食べました。何度もおかわりに並ぶ生徒の姿、ワークショップに参加できない年下の子供たちが、お腹いっぱいごはんを食べているお兄さんお姉さんの姿を羨ましそうに眺めていたことが、今でも脳裏に焼きついています。 2002年のヴィシャカパトナムでは、学校にお弁当を持って来ることができない生徒(240人のうち約40人)のために、学校で給食(もちろんカレー)を用意していました。私たちもそのほかほかの給食を食べていました。昼休みが近づくと、学校の周りは子供にお弁当を持って来るお母さんたちで溢れんばかりになり、アイスキャンディー屋の屋台もやって来ます。弟や妹のいる生徒は、小さい子たちと一緒にお弁当を食べます。毎日、昼休みがお祭りのような賑やかさでした。 イーストデリーでは、お寺のスペースを借りてワークショップをしました。ワークショップに参加した少女たちのほとんどが、普段ここでお裁縫を習っています。そのお裁縫の先生が、毎日私たちの昼食を用意してくださいました。ワークショップをしているとスパイスのいい香りが漂ってきます。ふと風が吹いてカーテンがめくれれて中を覗きこむと、隣の炊事場で野菜を切っていたのはほんの小さな女の子でした。そして調理をしていたのは、ワークショップに参加していた少年のお母さんでした。その心のこもったカレーを、本当においしくいただきました。 アウグスブルグでは、学校に学食があるだろうとたかをくくっていたら、授業がないため、学食も売店も閉鎖。住宅地なので、付近に店など一軒もありません。ワークショップの間は食べることだけが楽しみなので、いささかがっかりです。仕方なく私たちは、ホテルで朝食を食べる時、各自でパンやチーズ、クラッカーなどの食料を確保し、学校へ持って行くことにしました。 ところが朝食担当のおばさんは、食料を持ち帰る客の摘発を生き甲斐にしており、日に日に露骨な威圧感を私たちに対して示すようになりました。リーズナブルなホテルで、ビュッフェスタイルの朝食を自由に持ち帰らせていたらたまったものではない、という理屈はわかるのですが、これまでヨーロッパを旅行していた時、朝食を持ち帰ることを咎められたことは一度もありませんでした。同じ行為でも、一人でやるのと、何人かでやるのとでは、相手に与える印象が随分違うようです。反省しつつも、あまりいい気分ではありません。そんなこともあり、アウグスブルグでの昼食は、幸せな気分に包まれたものではありませんでした。 夕食は、あとでまた作業をしなければならないため、近場で済ませます。アウグスブルグにいる間、ケバブ(トルコ料理)と中華ばかり食べていました。 <ワークショップ5日目> 2003年7月24日 木曜日 この日は、夕方7時から写真展のオープンニングパーティーが開かれることになっていました。泣いても笑っても、7時には生徒たちが撮った写真、東京で開かれたワークショップの子たちが撮った写真、そして橋口、星野の作品が展示されていなければなりません。 ドイツに来る前、スタッフには「オープニングパーティーがあるので、一応ちゃんとした格好をひと揃い持って来るように」といっていました。朝ごはんの時、「着替えを持っていったほうがいいか」という質問がスタッフから上がりました。多分、シャワーを浴びて着替えるくらいの時間はあるだろう、と私は踏み、「着替えに戻ってくる時間はあるだろうから、汚れてもいい格好で」という指示を出しました。 会場となるヒポバンクでは、8時45分の営業時間開始から設営を始められることになっていました。この日の作業は、こんな流れで進みました。 ●前日遠足に参加した生徒は、まず4日目の写真を受け取り(前日、ホテルで印刷は済ませてあります)、写真展展示用のセレクションを行います。もちろん、対話を重ねながらセレクトを手伝います。写真選びが済んだ生徒は、展示プランを書き、インデックスに印をつけて提出し、写真展用プリントがあがるのを待ちます。(連日の酷使により、前の晩、1台のプリンターが壊れてしまいました。この日から、教室では2台のプリンターで印刷を行いました。) ●同時に、教室の半分を利用して、前日遅くまでマット入れ作業をした橋口、星野の作品を額にセッティングします。額のセットが終わったら、額のアクリル面をガラス拭きで拭いて仕上げをします。 ●遠足に参加せず、前日までに展示プランと展示用プリントがすべて終わっている生徒は、展示プランや写真の確認を済ませたあと、まだ終わっていない生徒のセレクションや額入れ作業を手伝います。 ●額セッティングが終わったら、カールが車で額を会場に運ぶのと同時に、戸田さん、宮坂さんには会場設営に行ってもらいました。展示できる生徒には、各自会場へ向かってもらい、戸田さん、宮坂さんの指示で写真を展示します。この時点ですでに午後になっていました。 残りの生徒たちの写真を選び終わった時点で、橋口、星野も会場へ行きました。安藤さん、井上さん、伊藤さんは引き続き教室に残り、印刷作業をします。ちなみにこの間にも、展示をし始めていた生徒が戻って来て、「あったはずの写真がなかった」「やっぱりこの写真も入れたい」「両面テープがくっついて汚れたので、この写真をもう一枚プリントしてほしい」と、混乱が生じます。カールは会場と教室の間を行ったり来たり。生徒たちの携帯電話を駆使し、会場で問題が生じれば会場へ行き、教室で生徒とセレクトをめぐる複雑な話の必要があると教室に呼び戻され、息つく暇もありませんでした。 会場に着くと、何人かの生徒は自分の展示をすでに終え、橋口、星野の作品をたてかけるついたての準備を手伝ってくれていました。また「両面テープが足りない」「押しピンが足りない」となれば、生徒に頼んで文房具屋まで走ってもらいます。 ここで大きな問題が判明しました。額は、2本のワイヤーでついたてに固定することになっていました。前日、銀行の倉庫係の人と会ってワイヤーや道具の確認を済ませていたのですが、実際用意されたワイヤーを見てみると、壊れて動かなくなったワイヤーも多く、展示する40点を吊るすには数がまったく足りないことがわかりました。銀行の担当者にかけあいますが、倉庫係の人は勤務時間が終わったため帰ってしまい、明朝彼が出勤してくるまで、倉庫の鍵を開けることは誰にもできないとのこと。壁の向こうの倉庫に、おそらく十分な数のワイヤーがあるのに、倉庫係以外は開けることができないのです。さすがドイツ、個人の責任や権限、職務上の責任範囲が明確なのだなあ、と感心する一方、日本人にはちょっと想像がつきにくい融通の利かなさです。これがインドだったら、きっと倉庫係の人は近所に住んでいて、誰かが呼びに行けば済む話だったでしょう。 感心している場合ではないので、対応策を考えます。そう安くはない展示用ワイヤーを何十本も購入するわけにもいかないし、第一それらを探している時間はありません。戸田さんの提案で、針金で急遽ワイヤーを作ることにしました。教室にいるカールに電話をかけ、どこかで針金を調達してきてもらおうとすると、すでに教室を出たあと。さっきまで会場でガヤガヤ展示をしていた生徒たちも、展示が済むとだんだん数が少なくなり、会場は静まり返っていました。額の準備と並べ方まではできているのに、展示だけができないのです。次第にスタッフの間にも焦りの色が濃くなってきます。私もこれまでに何度か写真展を開いたことがありますが、これほど焦ったのは初めてでした。この時点ですでに5時を回っていました。 教室での印刷作業がすべて終わり、カールと3人のスタッフが会場に来ました。もう少し早く印刷作業が終わるはずだったのですが、私たちが教室を去って間もなく、もう1台のプリンターが壊れ、残る1台で印刷するしかなくなっていたのです。カールには早速針金調達に向かってもらい、私たちはとりあえず使えるワイヤーで飾れる分だけの写真を先に飾り、東京の子たちの写真を展示し、針金を待ちます(展示した東京の写真は、2001年のワークショップに参加した武田まいかさん、池本麻奈美さん、倉田奈央子さん、梁木星くん、福井香菜子さん、小木曽晃子さん、小林史さんの7人分。写真のプリントは写真家の柴原三貴子さんにご協力いただきました)。 針金が到着すると、戸田さんがモデルとなるワイヤーを1本作り、それに従って針金を切り、曲げていきます。どうしても途中で誤差が出るので、その分は飾りつけた時点で針金をカーブさせて微調整していきます。スタッフの間にはもう冗談をいう余裕すらありません。ただ黙々と針金を切り、折り曲げ、ねじり、その繰り返し。「頭の中がいっぱいいっぱいで、「とにかく7時に写真が壁にかかっていること」を最大目標に、ほとんど機械になっています。いつの間にか各自、「ペンチペンチ」とか「こっちはオッケー、お次はこれ、と」とか独り言ばかりいっています。独り言でもいって自分を鼓舞しないと、体がいうことをきかなくなりそうでした。6時半を過ぎると、今回のワークショップを全面的にサポートしてくださった大島ゲーリッシュ圭子さんが、オープニングレセプションのケータリングをする日本料理店「万葉」の方を連れていらっしゃいました。私たちの鬼気迫る様子を見て、声をかけるのもためらわれたようでした。 本当に信じられないことですが、7時きっかりに最後の1点を飾り終えました。会場はもうお客さんたちでいっぱいです。在ミュンヘン総領事館の寺岡さんや伊藤さん、アウグスブルグ独日協会の方々やヒポバンクの頭取、そして生徒たちも揃っています。生徒たちは一度家に帰り、思いきりドレスアップして来ていました。彼らの、フォーマルな場と日常の場の切り換えは見事なものです。女の子たちは言うに及ばず、普段は半ズボンにゴムサンダルだった男の子たちも、髪を整え、きれいなシャツを着、体にはコロンをふりまいています。それにひきかえ、「特に汚れてもいい格好」をして汗まみれになった私たちは、全身から異臭を漂わせていました。とにかく顔だけは洗おう、と洗面所に駆け込みました。 レセプションでは、ヒポバンクの頭取、在ミュンヘン総領事館の寺岡さん、アウグスブルグ独日協会の大島さんのスピーチに続き、橋口が開会の挨拶をしました。せっかくスピーチをいただいたのですが、申し訳ないことにその内容はほとんど覚えていません。なんとか写真展に間に合ったという安堵と、長時間の緊張から解放されて頭も体も弛緩し始め、立っているのがやっとという状態でした。 多分、それだけの理由ではないと思います。この時の心情は、スタッフとして参加した宮坂さんがレポートの中で的確に表現しているので引用したいと思います。 「気がつけばあっという間に写真展のオープニングが始まっていました。さっきまで自分が作業をしていた空間にお客さんが入っているという事実に、間に合ったという達成感よりも奇妙な疎外感が訪れ、戸惑いました。翌日朝起きても、まだ終わったのか終わってないのかよく分かってなくてフワフワした心地でいました」 サラはお母さん、ドミニクは家族全員を連れて来ていました。ペーターは被写体となったガールフレンドを連れて来ました。アウグスブルグの新聞記者が橋口にインタビューし、そのあとペーターにインタビューをしていました。「どうやって指導したら、生徒たちにこんな写真を撮らせることができるのか?」と、記者は生徒たちの作品のクオリティの高さに舌を巻いていました。1週間足らずで生徒たちがこれだけの作品を作ったことが、信じられない様子でした。 最後に会場で全員と記念写真を撮り、パーティーは9時で終わりました。帰り際、銀行職員の人たち数人が「素晴らしい写真展をどうもありがとう」と握手を求めてきました。その言葉で、一日の疲れも吹っ飛びました。 男子生徒の約半分とカールがビアホールで打ち上げをするというので、ホテルに荷物を引き上げ、途中から参加しました。ドイツの法律では16歳から飲酒が許可されているので、男の子たちは巨大なビールジョッキに注がれたビールを水でも飲むように飲み干していきます。気分は高揚していましたが、体がもう限界に近づいていました。それほどビールを摂取していないのに、ものすごいスピードで酒精が体じゅうを駆け巡り、つまづいて頭をぶつけても痛みをまったく感じないような、酒による泥酔ではなく、疲れによる酩酊状態になりかけていました。幸い、生徒たちも終電の時間があるので、12時前にはお開きになりました。 長い長い一日でした。今日はもうホテルでの作業はありません。みんな今日はほんとにお疲れさま、ゆっくり休んでね、と解散。汗まみれになって、一日じゅうシャワーを浴びたくて仕方がなかったのに、いざ部屋に戻るとシャワーを浴びる気力さえ残っていませんでした。私は大の字でベッドの上に倒れこみ、そのままの形で眠ってしまいました。 と、ここでこの日の報告は終わるはずだったのですが、朝4時頃、大変なことを思い出して飛び起きました。明日、生徒たちは学校で通信簿をもらい、そのままヴァカンスに入ります。明日は生徒たち全員と顔を合わせる最後の日です。インドの時は印刷した写真を生徒たちに渡し、データだけを持ち帰って来たのですが、ドイツではほぼ全員が自宅にパソコンを持っていたため、写真は私たちが持ち帰り、生徒たちには各自一枚ずつデータをCDに焼いて渡すことに決めていました。そのCDを焼かなければならなかったのです。シャワーを浴び、パソコンに向かいました。この日はとうとう、ベッドの中で眠ることができませんでした。 <ワークショップ6日目> 2003年7月25日 金曜日 生徒たち全員と顔を合わせるのは最後の日になります。前の晩にオープニングパーティーがあったなんて、まだ信じられないような気分です。もうすぐワークショップが終わるのだという実感が、少しずつ沸いてきました。 この日は生徒たちと写真展会場であるヒポバンクで集合し、展示された写真を見ていまどのように感じているか、というディスカッションをして、ワークショップの総括をするつもりでした。ところが会場に行ってみると、生徒たちの写真の多くが剥がれ落ちていました。写真をあまり傷つけないよう、両面テープで留めていたのですが、一晩中空調がきいて乾燥したいたせいか、写真がそって落ちてしまったのです。あわてふためいて、急遽展示のし直しです。何人かの生徒は、落ちた写真が重なりあって写真同士が貼りついてしまい、また印刷し直さなければなりません。今日はもう印刷をすることはないだろう、と思っていたのに、最後まで気が抜けません。どの生徒のどの写真を印刷し直し、どこに張るのか、スタッフはまた走り回ります。 展示のやり直しには時間がかかりました。生徒たちはこのあと学校で今学期の通信表を受け取ることになっているため、あまり時間がありません。また、「最後に学校で、生徒たちがささやかなお礼の会を開きたいといっている」とカールから聞かされていたため、展示が終わった生徒から学校へ戻ってもらい、私たちはあとから学校へ追いかけることにしました。スタッフはプリンターを持って一足先に学校へ行き、印刷のし直しです。 教室へ行くと、生徒たちは机を並べ替え、南ドイツの名物料理、白ソーセージとプレッツェルやビールを用意して待っていてくれました。生徒たちと一緒に食卓を囲むのは、これが最初で最後です。急にしんみりした気持ちがこみ上げてきます。 一人一人に、ワークショップを終えたいま、どんなことを感じているかを発表してもらいました。 ベンヤミン 「本当に集中して意義ある時間でした」 セバスティアン 「みなさんに、ありがとうの一言です」 ルイス 「この1週間、本当にいろんなことを勉強できた。アシスタントの人たちもどうもありがとう」 ミヒャエル 「写真というもの自体が、これほど深いものだとは思いませんでした。あれほど簡単に撮れる写真が、こんなに深いものだとは・・・写真に興味が沸きました」 シモン 「楽しかったです」 サラ 「1週間、本当に短かったです。どうもありがとう」 ペーター 「本当に楽しくて勉強になりました。これからは、写真の見方が変わると思う。それからジョージさんに一つ聞きたいのは、どういう尺度で写真を選んだのかということを、もう一度教えてもらいたいと思います」 橋口 「それを言語化するのはすごく難しいです。直感です」 ベルンハルト 「写真というものを、まったく違う視点から見てくれたし、まったく違う視点から発見してくれました。それで混乱した部分もあります。でも、一筋縄ではいかないということがわかって、かえってよかったと思う」 ピーター・L 「僕たちのワークショップを手伝ってくれたスタッフの人たちに感謝します。これから何か機会があったら、またぜひ参加したいです」 アンドレア 「写真を見る目がまったく変わった。感情的に、写真に向き合うことができました」 ダニエラ 「いい意味ですごく感激しました。まず、私たちが好き勝手にやっている中で、文句もいわずにずっと献身的に手伝ってくれたスタッフの人たちに感謝します。私にはそんなことできない。私たちに対して怒りたくなったりしませんでしたか? お互いの感情が素直にむき出しになって、それがつながったことにびっくりしました。ここ2、3日、街を歩いていても、見る目が変わって、また写真を撮りたくなりました。どうもありがとう」 ナディーン 「私は写真を見る目がまだ足りない。違う視点からの見方を教えられました」 カタリーナ 「最近、これまで気づかなかった日常のディテールに目がいくようになって、人生に幅ができたような気がします」 ドミニク 「もう楽しくて楽しくて、どこを見てもモチーフが見えてきます」 パトリック 「最初のディスカッションで『写真という言葉からイメージすることは?』と聞かれた時、僕は『事実』『現実』と答えました。でもワークショップを通して、違う視点から写真を見るようになった。写真を通して、人間性もまたそれぞれ見えてくる、そんなことに気づきました」 パトリックとベルンハルトはその前、私たちに「このワークショップをすることで誰かからご褒美をもらえたり報酬をもらえたりするんですか?」と聞いてきました。誰からも報酬はもらえない、ボランティアでやっている、しかもスタッフの人たちは自分で渡航費や滞在費も出して来ている、という話をすると、一瞬言葉につまり、「どうもありがとう」と一言言いました。 ヨアヒム 「これまで写真を撮ったことはほとんどありませんでした。発見するということが初めてできたように思います。簡単な機材で、あれだけ深いものが撮れて、あれだけ発見できるとは、本当に驚きでした」 ベニー 「こんなに集中して何かに向き合ったのは、思い出せないくらい久しぶりです。これだけ親切に、真摯に自分に対応してくれた大人と初めて出会いました。まるで昔から知っている人みたいだった。こんなに愛情あふれる人に会ったのは初めてです。本当にありがとう」 日本側スタッフも一人一人最後の挨拶をしました。生徒たち一人一人の言葉を受けたあとで、感極まって涙を流すスタッフもいました。それを受けたドイツの生徒たちにも、感情が伝わっていき、波のように感情が教室の中を行きかっていました。ペーター、ベルンハルト、ピーター・L、そしてベニーが下を向いて涙をぬぐっていました。それを見た途端、私の涙腺もかなりやばい状態になりましたが、メモをとることで気を紛らわせ、なんとかこらえました。 「こういう時、本当は一番涙もろいんですが、がんばって最後の挨拶をします」といい、橋口が最後の挨拶をしました。 橋口 「写真を展示したことで、みんなそれぞれあらたな発見をしたと思います。今回はたまたまカメラを使って、自分の感情の向いている先や感情の正体を確かめたと思うけど、明日からはカメラや写真がないところで、自分や友達や街と対話する努力をしてみてください。きっと、これまでとは違う何かと出会えるはずだから。カメラはなくても、写真は撮れるし、創造はできる。カメラを、他の普遍的なものに置き換えてみてください。このワークショップで培った感覚を、日常の中でも大切にしてみてください。 それからもう何回も言ったけど、みんないろいろ人と比較したりして、不安に陥ることもあると思う。でも、みんなの中にはこちらが嫉妬したくなるほどキラキラしたものがあるから、自分に自信を持ってください。それと同時にいえることは、どんなにキラキラしたものを持っていても、ぼーっとしていて、自覚して何かに向かわないと、キラキラは一瞬で消えていくから、そのことも忘れないでね」 教室を出て、残っていた生徒たちと記念写真を撮り、橋口が一人一人のポートレートを撮りました。生徒たちと過ごした濃密な1週間は、こうして終わりました。 <謝辞> そもそもドイツでのワークショップは、橋口がベルリンで創作活動をしていた時にサポートしてくれた友人、カール(『新・ベルリン物語 下《情報センター出版局刊》』の表紙になっているカールです。本の中では「フリッツ」という名で登場します)が、ドイツのギムナジウムで美術教師をしており、「僕の学校でやりませんか?」と提案してくれたことが出発点となりました。彼の存在なしに、アウグスブルグでのワークショップは成立しえませんでした。 最初は自分たちのできる範囲内でワークショップだけをするつもりだったのですが、活動の趣旨に賛同してくださった大島ゲーリッシュ圭子さんが中心となって各方面に働きかけてくださり、アウグスブルグ日独協会と在ミュンヘン日本総領事館が協賛してくださることになりました(日独協会は橋口と星野の渡航費やオープニング費用など、総領事館は3名分の宿泊費や広告宣伝費)。Hypovereins Bank(ヒポバンク)には写真展会場を提供していただきました。その他の費用(マットなどの各種制作費や交通費など)は、APOCC会員の皆さんからの寄付から使わせていただきました。スタッフは自費参加です(宿泊費の一部は頭割りで補助)。 ワークショップに使用した機材(カメラ、プリンター)、及び資材(インク、用紙)はキヤノンにご協力いただきました。橋口、星野の写真展用プリントは富士写真フィルムにご協力いただきました。また東京のワークショップ参加者たちの写真展用プリントは、写真家の柴原三貴子さんにご協力いただきました。 今回ワークショップに参加した学生スタッフは全員、京都精華大学の学生です。自費参加の上、昼夜を問わず働き通しで、私たちに無理難題を要求され、しかも「自分で何か掴んで帰ってくれ」という厳しい状況の中、いろいろとまどいもあったと思いますが、最後まで付き合ってくれました。人文学部の先生である哲学者の西研さんには、学生とのコミュニケーションや、試験やレポートの日程調整などでご尽力いただきました。 そして最後になりましたが、APOCCのサポーターの皆さん、この活動に興味を持ってくださっている方々の有形無形のご支援があったことはいうまでもありません。 この場をお借りして、関係してくださった方々にお礼申し上げます。 |
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