| India Workshop 2002 ヴァラナシ篇 2002/03/22〜03/25 |
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| 03/20 Wed - 21 Thu 夜行列車でデリーからヴァラナシへ 03/22 Fri - 23 Sat ヴァラナシの街で撮影 03/24 Sun ガンガーにて写真展 03/25 Mon - 26 Tue 再び夜行列車でヴァラナシからデリーへ |
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| <概要> ヒンドゥー教の一大聖地である、ガンジス川を臨む街、ヴァラナシ。2000年度の訪印の際には、この街のバラーナス・ヒンドゥー大学(BHU)で地元の高校生を対象にワークショップを行いました。2000年末にNHKのテレビ番組でそのもようをご覧になった方もいらっしゃると思います。 今回の旅では、ヴァラナシではワークショップは行いませんでした。位置付けとしてはヴァラナシ行きの旅は、自分たちから自分たちへのごほうび、という感じです。 今回の旅の間じゅうずっと、ワークショップの傍ら、橋口はインドの市井の人々を撮り続けてきました。ポートレートに簡単なインタビューを加えた、いわば日本人シリーズのインド版です。ワークショップを行ったデリーのニュー・シーマプリの街頭でも写真展は行ったのですが、ぜひともガンガー<ガンジス川>の川原で写真展を開きたい、という思いをずっと持っていました。 その途方もない希望を実現するお手伝いをしてくださったのは、2000年度ワークショップの折に通訳をしてくださった、当時BHUで日本語講師をなさっていた杉本昭男さんです。前回はBHUの全面的バックアップがあり、写真展当日にはトラックや警察官まで動員していただきました。しかし個人レベルでどこまでできるのか、そもそも川原での写真展の許可は下りるのかどうか・・・・・・不安を胸に抱きながら、しかし「きっとなんとかなるさ」という楽観主義で、私たちはヴァラナシへ向かいました。 すべては杞憂でした。許可は意外にもすんなり下り、アッシーガートで日曜日に写真展を開けることになりました。土曜日、橋口と星野は杉本さんに一日付き合っていただき、ガンガー周辺で暮らす人々の撮影に向かいました。その間、スタッフはつかの間の自由時間です。各自、思い思いに写真を撮ったり、川沿いを行く人々を観察したりして過ごしました(はずです)。しかし宿に帰れば、地獄の印刷作業が待っているのです・・・・ ヴァラナシの路地には、石造りの重厚な家がところ狭しと並び、どこか南ヨーロッパの風景を見ているようでした。ところどころで「アキオー!」という呼び声がかかり、杉本さんが如何にこの街にしっかり根を下ろして暮らしていらっしゃるかがわかりました。杉本さんが勉強を教えたことのある、歌手を夢見る少女や、ガンジス川対岸でキュウリを作る農夫、モスレムの染物屋の少女、ミルク屋、人力車運転手、洗濯婦、アイロン屋、チャイ屋の女主人、ガンジス川で釣りをする老人、スナック売り、サドゥー<ヒンドゥー教の修行僧>などが被写体になりました。 さて肝心の写真展は無事開けたのでしょうか? <ガンガーでの写真展> ガンガー<ガンジス川>での写真展は、アッシーガートと呼ばれる川岸で行われました。午前中はホテルで写真展に使うプリントの印刷にあけくれ、正午にオートリキシャに乗ってガンガーへ向かいました。小さなオートリキシャに3人ずつ乗り、スタッフの膝にはプリンターや機材が載っています。この日は、写真展の設営を行いながら、その場で撮影、即プリントを行うからです。人ごみや牛の間を縫って飛ばすオートリキシャは揺れがひどいため、荷物を守るのも一苦労です。 午後1時、杉本さんは設営スタッフを揃えて川岸で待っていました。この写真展は、柱を立ててロープを渡し、そこに洗濯物を干すように、写真を洗濯バサミで留めていくというものです。灼熱の炎天下、男スタッフは杉本さんたちと一緒に、土を掘って柱をすえつける重労働です。額や首がみるみるうちに赤く染まっていくので、日射病にならないか心配です。女スタッフは、ホテルで作った写真展のチラシを、付近の安宿や道行くバックパッカー、日本人旅行者たちが集まる食道へ配りに行きました。 ヴァラナシ滞在中、アッシーガート目の前のカフェによく来ていましたが、その店が快く協力を申し出てくれました。設営のかたわら、橋口と星野は引き続き撮影とインタビュー。カフェの電気を借りて、その場でどんどん写真を印刷し、画用紙に写真を貼りつけていきます。デジタルならではの写真展です。インタビューの内容は、2000年度にも手伝ってくださったBHU<バナーラス・ヒンドゥー大学>留学生の中根さんと、日本に留学経験のあるBHU卒業生に、その場でヒンディーに書き直してもらいます。また2000年度のワークショップ参加者、リートとヴィシャールもかけつけてくれました。 写真を飾っている最中から、続々と人が集まってきました。たまたま通りがかった人、旅行者、巡礼者、バックパッカーや日本人旅行者など、そのバックグラウンドは多種多様です。前日に写真を撮らせていただいた、釣りをするおじいさんやスナック売りも見に来ました。何人かの日本人バックパッカーの若者は、日本人の存在が恋しいのか、ずっと私たちのそばでくつろいでいました。川岸のカフェからはピザの差し入れが届きます。とても嬉しい贈り物でした。 2000年にも同じ場所で橋口の写真展「呼吸――武蔵野』を開きましたが、今回は登場する人々がすべてインドの市井の人であったため、見に来た人々の反応はとてもダイレクトでした。「このような展覧会を開く目的は何ですか?」「何ヶ月もインドを旅していますが、初めてインドの人と会話をしたような気がします」「一人一人の語る『夢』が非常に興味深かった」と、ひっきりなしに声をかけていってくれます。なんと幸せな写真展でしょう。 日が暮れ始めてあたりが暗くなると、杉本さんがどこからか照明器具を調達し、数か所にライトをセッティングしてくださいました。ライトに虫が吸い寄せられ、写真を見る人は両手で虫を払いよけながら見ていました。こうして写真展は夜の8時まで続きました。 写真をばらしたあと、杉本さんの親友の船主、チョーテ・ラルさんが船で待っていました。インド滞在最後の打ち上げです。ガンガーに漂いながら、チョーテさん手作りのカレーをいただきました。手漕ぎの舟は、人間の生理にやさしいゆったりとしたスピードで、音もなくガンガーを進んでゆきます。ある者は舟を漕ぎ、ある者ははしゃいで騒ぎ、ある者は舟のヘリに横たわってずっと対岸を眺め、ある者は甲板に寝そべってずっと夜空を見つめながら瞑想し、ワークショップが始まってから最初で最後、つかの間、それぞれが思い思いの時を過ごしました。このかけがえのない時間が欲しくて、私たちはヴァラナシまで来たのかもしれません。極上の時間でした。 インドに入ってから4週間。怒涛のような日々でした。誰もがいつ倒れてもおかしくないような状態で、とにかく食べることでガソリン補給をしていました。途中で体調を崩したスタッフもいましたが、誰にもケガもさしたるトラブルもなく、最後まで気力で乗り切ってくれました。一緒にワークショップを手伝ってくれたスタッフ一人一人に、この場を借りてもう一度お礼をいいたいと思います。 |
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Ullalu Upanagara ウッラール・ウパナガル篇
Visakhapatnam ヴィシャカパトナム篇
Delhi デリー篇
| 私たちが試みるアートワークは、その村に必要な生活物資を届けるような活動とは異なり、村の人たちが普段享受する機会のない、芸術に触れる喜びや生きる喜びを、<表現>を通して共有しようとする試みです。今後もインドを中心に、活動を続けていきます。 |
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