2007 ベトナム・アートワークについて
橋口譲二
|
●ベトナムでの記者会見について
星野の報告にもあるように、記者会見では僕(APOCC)の考えるところの「ワークショップ」を説明するところから始めました。というのもベトナムにはワークショップに相当する単語がないことに加えて、教える側と向かいあう側の人間同士が年齢、経験、属性に関係なく同じ地平に立ち一緒に考えていくという、僕らが試みようとしている様な試みは皆分らないと通訳のヤンさんに指摘されたからです。そして概念がないだけに「ワークショップ」という言葉を全面に出しても良かったのではとヤンさんに助言されました。
それに対して僕らは、ベトナムがアメリカと戦争してきた歴史があるだけに英語表記で告示をすることに躊躇った経緯を説明しました。
ベトナムに限ったことではないのですが、このような試みの場合、関係性として上(経験がある人、年齢が上、有名人)から下(経験が無い、年齢が下、無名)へがよくある形だと思います。日本を発つ前にベトナムJICAの方が「このような試みはベトナムでは初めてのことです」と話してらしたことが腑に落ちました。日本人で初めてということではなく、ベトナムという国で僕らが試みようとしている「ワークショップ」そのものが初めてだということになります。大変だということよりも、僕らにとっては寧ろ有難い状況でした。僕らの思想や理念、考えをきちんと説明する場と機会を与えられたわけですから。ですがここでよく考えて欲しいことがあります。日本でも「ワークショップ」という単語は普通に定着している単語です。美術関係者に関係なく、多くの人が何も躊躇うことなく「ワークショップ」という言葉を使っています。「ワークショップ」という単語が日本に入って来た時、日本にもヤンさんみたいな人がいて「それはなんじゃい?」という素朴な問いが投げられたとしたら、「ワークショップ」は定型がないものだけに、今とはずいぶん変わったアートシーンが生まれていたかもしれません。
話をベトナムでの記者会見に戻します。
僕らはまず、
・宗教、言語、価値観、経済とさまざまな要因で分断されている現代社会をつなぐことができるのがアートではないか、アートに役割があるとしたら分断されたものをつなぎ合わせて行く触媒、回路こそがアートであると。(そこに表現された形やものではなく、考え方、方法を問うべきという意味も含みます)。そのうえで僕らはワークショップを通じて参加する一人一人の尊厳をベトナムに探しに来たことを伝えました。尊厳は生きる力に変わるからです。
・そして次に「ワークショップ」の道具として何故カメラを使うのかということを説明しました。
カメラはもっとも民主的な道具であり、写真を撮る人の経験知に関係なく、感情さえあればシャッターを押せばだれでも写真は撮れる、そして写真には何かが必ず写る。一枚の写真には撮った人の感情が残り、そして写真に写しこまれた「感情」を共通言語として僕らはベトナムとベトナムの少年少女たちと対話をしに来たことをまず伝えました。
・そして写真には無意識が写ります。一枚一枚の写真と対峙することで無意識に映し出された自分との対話が新たに生まれます。
さらに写真を展示することで、今度は見る人と写真との対話が始まります。カメラを間に挟むことで生まれるいくつもの対話。
・次に何故フィルムを使うかということを説明しました。(記者たちは皆デジタルカメラでした。僕らも記録写真はデジタルカメラを使いました)まず僕らが試みる「ワークショップ」は写真をうまく撮るための写真教室ではないことを説明しました。
そのうえで参加者には物事には限りがあることを学んで欲しい。すぐその場で見れるデジタルカメラとは違いフィルムカメラは何が写っているのか分らないハラハラ感があります。その不安が人を育てるのではないか。そしてフィルムを現像所に出し、それが仕上がってくるまでの時間を大切にしたい。フィルムが現像所に入っている間、参加した少年少女たちはきっと何かを考え、想像するはず。そして今僕らが日常生活の中で享受している文化から消えて無くなったものの一つが「時間」であることを話しました。暮らしの中から消えた時間を取り戻す、物事には必要な時間が存在していることの確認。
もちろん記者会見で話すような内容をワークショップの現場で少年たちを前にして話すわけではないので誤解をしないでください。
次にインドやドイツのワークショップで体験したことを話ました。
・ヴァラナシではパンツ一枚で参加していた子が、あくる日はシャツを着て来て、次の日は髪を整えブラウスを着て来た。そこで僕らは初めてそのこが少女であることに気づいた。バンガロールでは初日裸足で参加していた17歳の印刷工の少年が次の日はサンダルを履き、あくる日は髪の毛を奇麗に刈り込んで来た。それは僕らが一人一人の持つ感情に対してリスペクトしたからこそ、少年も少女も僕らに敬意をかえしてくれたのだと思う。押し付けからは決して生まれない感情、行為です。
実はベトナムでの記者会見では話しませんでしたがドイツ、アウグスブルグではワークショップが終わった後、ワークショップ参加者の前で自分がゲイであることをカムアウトした16歳の少年もいました。おそらく自分に誇りが持てたことに加えて、ワークショップを通じて一緒に参加した友達たちの感情や心に触れたことで友達に対する信頼が生まれたのでしょう。勿論教師であるカールに対する信頼もあったと思います。
ここからが大切な話です。
「ワークショップ」を日本語で説明をするのも大変なことなのですが、通訳のヤンさんは僕が話をしている時間の数倍使い、いろいろとベトナム語で説明をされていました。ベトナム語が分からないので内容までは理解できないのですが、想像するにおそらくさまざまな角度からワークショップを説明されていたのでしょう。そして記者の人たちも途切れることなく次々と質問を浴びせてきました。質問者はバラバラでしたが、ほとんどの記者が前の質問者の質問を引き継ぐような内容でした。このことは記者の人たち自身も本当に興味を持って記者会見場にいたということの他ありません。(ある意味この時間もワークショップと言っていいと思います)
僕は一生懸命説明をしました。通訳のヤンさんも沢山の回路を使い記者(ベトナム社会)になんとか伝わるように努力をして、記者の人たちも僕らが投げかけたメッセージを必死に理解し受け止めようとされた時間が、ホーチミンでの記者会見でした。
2時間余りに渡る記者会見が終了した後、僕らはこれから試みる「ワークショップ」の結果がどう出るか分からない中で、確信に近い手ごたえを感じたのも事実です。日本で制作して持ち込んだリーフレットも僕らの姿勢を示すには十分すぎる仕上がりでした。
そして記者会見の翌日僕らはフーイエン省に移動しました。フーイエン省に着いた数日後にハノイJICAから塚田氏経由で新聞の掲載紙が届きました。有難いことに複数の新聞が僕らの「ワークショップ」のことを大きくとり上げていました。「心の贈り物」と題した記事もあり、全体的にみても好意的な内容でした。掲載紙が届いたあくる日、全国紙を見た地元の記者が会場に取材に来てくれました。そして今度は地元紙を見たTV局が取材に来ました。次はTVニュースを見た街の道行く人たちが、僕らに声をかけてくれるようになりました。
僕らのワークショップの対象は少年少女ですが、子供たちには、家族がいて、その後ろにはかならず社会があり多くの人が見ているのだから、と僕らはいつも自分らに言い聞かせて現場に立っています。
僕らのワークショップは小さな波紋が広がるように、関係者や参加者だけではなく、コミュニティー全体を巻き込んでいくことに成功しました。その陰にはAPOCCの会員を含めて、打算ではなく誠実に関わってくださった沢山の人々の存在とつながりがあります。その事実に僕らスタッフはたくさんの勇気をもらったのは言うまでもありません。
追記:記者会見で配った橋口の顔写真は、APOCC会員でもある写真家の山岸伸さんが撮影してくださった写真です。
リーフレットは先の新装本3冊に関わってくださったスタッフが好意で制作してくださいました。
橋口譲二 2007/10/8
|
●アートワーク帰国後のご報告
遅くなりましたがベトナムの報告をしたいと思います。
ベトナムでのワークショップはとてもいい時間を育むことが出来ました。トゥイホア市ではカメラと絵画のワークショップを三部構成で。ホーチミン市では「日本と日本人を知る旅」と題したスチルムービーをベトナム語と日本語で試みました。僕のテキストを日本語からベトナム語に翻訳してくださったのは貿易大学ホーチミン分校の日本語課の先生たちと、青年海外協力隊員の臼杵氏です。報酬もない作業にも拘わらず真摯に対応していただき本当に感謝をしています。本来ならスチルムービー終了後にでも、お世話になった先生たちと食事を一緒にすべきだったのですが、情けないことにスチルムービーが終わった瞬間、身体が車のガス欠状態になってしまい、帰国までの三日間はただひたすらホテルのベッドで横になっていました。僕の作品集三冊を大学に寄贈してきましたが、先生たちへの不義理は今後の関わり合いの中で補っていきたいと考えています。ガス欠状態はおそらくワークショップが無事に終了したことで、身体の中に張り詰めていたものが溶けてホッとしたのだと思います。
正直、ベトナムの地に立つまでの数ヶ月というもの、不毛でただ神経を擦りへらすことの連続でしたが、ホーチミンに降りたってからというもの、その時々で向かい合っている人たちに、純粋に全てのエネルギーを向けることが出来て、とても幸運でした。
ホーチミン市は雨季でしたが、カメラと絵画のワークショップを開いた中部ベトナムのトゥイホア市は乾季で、太陽の日差しは強いのですが湿気もなく木陰は涼しく快適な環境でした。それに、果物、野菜、海産物が豊富で、食べ物が美味しくハードスケジュールにもかかわらず僕は6キロも体重が増えていました。ハードスケジュールと書きましたが、これまでのアートワークの中では今回が一番穏やかでした。
アートワークを数カ所で試みるのではなく、トゥイホア市一箇所に腰をすえてかかったことが結果として僕らの健康は勿論のこと、町の人たちとの関係、子どもたちとの関係、人民委員会、青年団との関係と全ての面で丁寧な関係を築けたことに繋がったのだと思います。
ワークショップを進めるにあたり、ベトナム側の窓口である人民委員会、チルドレンズパレスの青年団の人たちの対応一つをとっても、僕らに社会主義体制を意識させられる様なことは、殆どありませんでした。制度上はいないことになっている学校に通っていない、あるいは昼間働き、夜学校に通っている子どもたちとの対話を望む僕らの思いも、快く受け入れてくださいました。学校に通っていない子どもたちとの出会いが実現できた背景には、チルドレンズパレスで働いている、青年海外協力隊員の塚田氏の人柄と、後は僕らのワークショップを見て、接して信用してもらえたからだと思います。それに通訳のヤンさんの存在も大きかったです。ヤンさんの社会感と知識に加えてワークショップの経済問題、意義、現場の空気造りを掴んでくださっていたのは、僕と星野以外ではヤンさんがもっとも良き理解者でした。
後は、僕らがこれまでインドやドイツで試みて来たワークショップの中で生まれた課題をベトナムでは上手く改善できたことが良い現場に繋がったのだと思います。
そしてなにより、炎天下にもかかわらず事故もなくワークショップを無事終えられて幸いでした。ともすると学芸会の雰囲気になりがちな現場を、星野がいつもの通り緊張感を持って纏めてくれたことが大きいと思います。厳しさと愛を持って現場に立つのは簡単なようで難しいのです。何事もなく終了できたのは決して偶然の産物ではないことを付け加えておきます。
そしてベトナムでのワークショップが成功裏に終えられた背景には、ベトナムの複数メディアの存在が大きいです。メディアが結果として僕等の背中を押し、セーフティーネットの役割を果たしてくれたことは次回に触れたいと思います。
橋口譲二 2007/9/24
|
●アートワークに向けてのご挨拶
皆さんへ
ベトナムでのアートワークについて説明をする前に、まず皆さんにお礼を述べたいと思います。2005年度は文化庁の仕事で、2006年度は作品集を纏めるために、APOCCとして活動らしい活動を試みてこなかったにも拘らず、今年もまた多くの人たちが気持ちを届けてくださいました。本当に有難うございました。お寄せいただいた気持ちはベトナムで大切に使わせていただきます。ただ前々からの課題であるアートワーク期間中のスタッフに対する常識的な範囲内で対価を派生させたいという思いは今回も難しそうです。但し通訳の方にはキチンと対価を準備できたので安心をしてください。
さてベトナムでのアートワークですが、先の事務局からの報告にもあるように、8月10日から9月3日まで、ベトナムのホーチミン市とフーイエン省のトゥイホア市という街の2ヵ所で試みることになりました。当初は北部の山岳地帯での実施も視野に入れて交渉を重ねて来ましたが、受け入れ先の問題もあり北部での試みを断念せざるを得ない状況が生まれました。その結果、今回は南部の2ヵ所での開催の運びになりました。(出発まで後10日しかないというのにまだ交渉中の懸案があります)
アートワークはベトナムで活動する青年海外協力隊の隊員の助けを借りながら3部構成で試みます。
まず第1部は日本でいうところの中学生から高校生ぐらいの年齢を対象にした、フィルムカメラを使ったワークショップです。(すでに働いている人も参加してもらえそうです)
僕らはこれまでデジタルカメラを使い心に残るアートワークを何度となく試みてきていますが、アートワークを試みる街にフィルム現像所が見つかったこともあり、ベトナムではフィルムカメラを使うことにしました。フィルムを使う理由ですが、枚数に限りのある有限感を大切にしたいのと、シャッターを押し写真が出来上がって来るまでの時間を大切にしたいという思いからです。そしてデジタルカメラは消去することが出来ますが、フィルムカメラは一度シャッターを押すとネガを切り刻まない限り必ず残るものがあるので、手元の写真と対峙することで、時間を置いた後でも感情の移ろいを辿ることが出来るからです。
物事には限りがあるということと、何か生まれるのには時間が大切な要素となること、そして消すことの出来ない写された写真に残る感情と意志の確認。写真に写しこまれた感情を共通言語にして、ベトナムの少年少女たちとの対話が最終的な目的になります。
社会全体がデジタルに移行していっている中で、フィルムカメラを提供してくださったキャノンさん。そしてフィルムを提供してくださったフジフィルムさんに深く感謝です。
第2部は絵画を使ったアートワークになります。2部ではカメラのアートワークに参加できなかった低学年の生徒から、さまざまな年代の少年、少女を対象に試みます。第2部でも、カメラを使ったアートワーク同様に、人間の気持ちを大切にして、ただ楽しいだけではない試みをするつもりでいます。何が生まれるのか楽しみにしていてください。2部で使用する画材はインドに続きペンテルさんに提供していただきました。
第3部はホーチミンにある大学で日本語を勉強している大学生を中心に僕の日本人シリーズから選び、構成したテキストと写真を使い「今を生きている人を知る旅」と題した写真と朗読を合わせた試みをします。朗読は日本語とベトナム語で試みます。日本語からベトナム語への翻訳は貿易大学ホーチミン分校の日本語学科の先生たちの手で翻訳されました。朗読者は僕なりの方法でオーディションをして選ぶつもりです。同じテキストを日本語とベトナム語で読み合わせることで、音の響きの違いも楽しんでもらえたら嬉しいです。
そして今、アートワークを紹介するリーフレットを製作していますが、昨年新装本3冊を手がけてくださったADの町口寛さんを中心に新装本の印刷チームが製作に関わってくださっています。今回ベトナムで試みるアートワークも国際交流基金から日本文化紹介事業としての助成金をいただいていますが、リーフレットを製作することでさまざまな日本の今の文化(デザインと印刷、紙)をベトナムで暮らす人たちに届けられる可能性を今新たに感じ始めています。
APOCCの会員の方は勿論のことですが、機材、フィルム、画材を提供してくださった会社以外にも、ベトナムJICAの人たち、日本大使館の人たち、荷物の超過料金の相談に乗ってくださった飛行機会社、そしてアートワークスタッフの一人がホーチミンの路上で知り合ったさまざまなベトナムの人たちが今度のアートワークを支えてくださっています。東京から行くスタッフの一人は先の交流使としてベルリンに滞在していた時、僕の活動を助けてくれた若いアーチストの一人です。
僕らの試みるアートワークは直接の参加者は勿論のこと、いろんな属性を持った人たちが集まり繋がり支えあい気持ちが集約されて始めて何かが生まれます。具象化しづらいその何かを大切にして来ています。繋がり、集まりと形容すると美しい言葉ですが、美しい響きの中には沢山の面倒が存在していることを最後に付け加えたいと思います。準備から出発まで7ヶ月もかかりました。そして出発できたとしても新たな出来事はそこから又始まります。
行ってきます。
橋口譲二 2007/8/1
|