<デリーでの絵画・写真展が始まるまで> レーでのワークショップと展覧会を無事終え、26日は1日休養をとってレー近郊のお寺を見学に行って久々の命の洗濯をしました。デリーでの展覧会オープニングが28日火曜日の18時だったので、27日早朝の便でデリーへ戻り、その日じゅうに展示を完成させるというスケジュールを組んでいました。昨年のアウグスブルグでの展覧会が、様々なトラブルが重なってオープニング1分前に展示が完成するという非常事態になってしまったという苦い経験から、当日展示をするのは避け、余裕を持って展示に臨もうと考えた上でのスケジュールでした。 レーのホテルでは、倒れたスタッフをオーナー家族が病院まで運んでくださったり、そのあとも体力の回復しないスタッフのために特別メニューを作ってくださったりと、従業員の方々に大変お世話になり、しかもとても家庭的なホテルだったため、別れる時にちょっとしんみりしてしまいました。 さあ、気持ちを切り替えてデリーに向かうぞ、とスタッフ一同、まだ夜が明けていないうちに空港へ向かいましたが、空港は人であふれかえり、搭乗時間を過ぎても待てど暮らせど搭乗のアナウンスが流れません。出発時刻を大幅に過ぎてから、デリーからレーに向かった飛行機がレー上空の気流の関係で着陸できず、デリーに引き返したため、今日の飛行機はすべてキャンセルになったというアナウンスが流れました。レーの町は風のまったくないよい天気でしたが、山の上では天気が異なるようで、飛行機がやって来ない限りはレーから出ることもできないのです。結局私たちはもう一日、レーに残ることになってしまいました。なんという因縁というか、私たちは展覧会当日に設営をしなければならない運命なのでしょうか。しかも明日確実に飛行機が飛ぶという保証はありません。明日飛ばなかったら展覧会はどうなるのだろう・・・不安がよぎりますが、これはもう運を天に任せるよりほかありません。 涙ながらに別れを惜しんだホテルに再び戻るというのは、なんともバツの悪い感じでした。せっかく厳重にパッキングしたプリンターやダンボールを再び開け、明日の負担を少しでも軽減させるため、また黙々と印刷を始めました。あとで聞かされたことですが、この頃、空港と展示会場で待機してくださっていたたデリ-の国際交流基金の方々はパニックに陥っていました。展覧会が明日に迫っているというのに、展示が終わっていないどころか、人間すら来ないのですから。この日はまたなぜだかレーの通信状況が悪く、電話も通じず、わけがわからないまま何時間も待機してくださっていたそうです。本当に申し訳ないことでした。 翌28日、この日に搭乗する乗客と前日搭乗できなかった乗客たちで騒然とする中、ソナムさんのゴリ押しのおかげで無事飛行機に乗ることができました。連日夜明け前に起床、パッキングとアンパッキング、緊張と拍子抜けの繰り返しでスタッフの疲労も再びピークを迎えていました。しかし今日だけは、夜までぶっ通しでテンションを持続させなければ乗り切れません。「倒れるなら、明日ゆっくり倒れよう」を標語に、私たちはようやく13時に会場入りすることができました。 この危機を乗り越えるため、基金のデリー事務所は総動員態勢で会場に待機してくださっていました。事務所の保科さんはじめ、本来事務の仕事をする女性スタッフの方たちまで動きやすい格好で待っていてくださったのには感激してしまいました。この1か月弱で何度も展覧会を行ってきた経験が生き、スタッフの作業分担も自然とスムーズになっていました。絵のレイアウトを考える人、絵を貼る人、絵の飾りつけをする人、写真を貼る人、ネームキャプションを作品ごとに振り分けていく人、テープを切る人と、それぞれ得意分野を生かしながら作業を分担していきます。事務所の女性スタッフもテープを切ったり貼りつけたり、英語に訳されたネームキャプションにヒンディーを手書きで書き入れたりとフル回転です。こういうのを火事場の馬鹿力というのでしょうか、不思議と疲れは感じませんでした。そして驚くべきことに、この時点でヴァラナシ・ニシャードラージの生徒たちの写真集が1冊完成していました。作業の合間、事務所のスタッフの方たちも奪うようにして写真集を見ていました。スタッフいわく、「本当はもう少し重しを載せて紙の歪みを強制しなければいけない」とのことでしたが、とにかく展覧会で見せられる状態までこぎつけたのです。展覧会は作品を発表する場としてもちろん重要ですが、それがどうしても一過性のものであるのに対し、本は形として残すことができます。これがデリーの展覧会に間に合ったことは非常に大きな意味を持ちました。 そしてさらに驚くべきことに、事務所スタッフの方々のご尽力のおかげで展示は16時には終了したのです。アウグスブルグでは、めいっぱいおしゃれをした生徒たちの前で、スタッフたちだけが汗まみれという苦い経験があったため、一度ホテルへ戻ってシャワーを浴び、着替えることにしました。ちなみに橋口は、スタッフの伊藤さんがヴァラナシで購入したシャツを借りて着ていました。 <オープニングレセプション@ハビアートギャラリー/ハビタットセンター> ギャラリー「ハビアートギャラリー」のあるハビタットセンターは、芸術総合コンプレックスとでも呼ぶべきセンターで、ギャラリーのほかにレクチャーホール、劇場、映画館、レストランなどが入っています。レストランや劇場に出入りする人たちを見ていると、これまでインドのどこでも見かけたことのない、洗練された身のこなしのアッパークラスの子弟たち、といった感じの若い人たちが多いようでした。この1か月間弱、私たちが見てきた世界とは別世界がそこにはありました。展示したのはヴァラナシの生徒の写真、ヴァラナシの生徒の絵、レーの生徒の絵、そして2002年度写真ワークショップに参加したデリーの生徒2名(アショークとヴィジャイ)の写真作品(リーフレットに掲載されている)です。 ヴァラナシとレーではできるだけ多くの人々に作品を見てもらいたいという考えから、多くの人が集まる町の真ん中の屋外で展覧会を行いましたが、最後の総合展覧会はふだんから芸術作品が展示されているギャラリーで行いました。インドでは2000年に橋口の作品「職」を公のギャラリーで展示していますが、生徒たちの作品をギャラリーに展示するのは今回が初めてのことです。これまでそういうこと(きちんとしたギャラリーで生徒たちの作品を展示すること)に興味がなかったわけではないのですが、自分たちで会場を探したり交渉したりするといったエネルギーをかけなければならないのなら、その分エネルギーを他のことに使おう、ということで行ってきませんでした。今回は国際交流基金デリー事務所が「デリーで総合展覧会を開いてはどうですか?」と提案してくださり、会場探しをしてくださいました。18時直前にギャラリーに到着すると、人であふれかえっていて会場に入れない状態でした。すでに国営放送ドゥールダルシャンのテレビカメラが入っており、ギャラリーの中は高い光源のライトで照らされ、これがさっきまで自分たちが設営していた会場なのかと、ちょっと現実感がないような感じです。インドは時間通りに始まることがないとたかをくくっていたら、いきなりたくさんの人が集まっているので、心の準備ができないままレセプションに突入してしまいました。テープカットに続き、基金のデリー事務所の深沢所長のスピーチ、インドの文化庁役人のスピーチ、そして橋口のスピーチと続きました。 開会式から間もなく、2002年度デリー/ヴァルミキ寺でのワークショップ参加者たちが先生と、基金事務所でアシスタントをする河合さんと共にかけつけてくれ、2年ぶりの再会の喜びと、それをのがさずカメラに収めようとするテレビカメラで会場は騒然とした雰囲気になりました。(中央オレンジ色の女性が先生、左隣はアショーク、右隣はスレッシュ)作品が展示されていたアショークは、自分の作品がギャラリーに展示されているのを見て、きょとんとした表情をしていました。それは嬉しいとか興奮するとかではなく、「なんで僕の撮った写真がここにあるの?」というとまどいのように見えました。率直な反応だと思いました。(2002年度デリーでのワークショップはこちらをごらんください)![]() ヴァルミキ寺でふだんから彼らの職業訓練や就業支援をなさっている先生は、「これまで色んな人が私たちの所へやって来ましたが、こうして長い間気にかけてくれる人たちは初めてです」とおっしゃいました。その言葉を聞いて素直に嬉しいと思うと同時に、一度やって来て何かをしていくけれど、そのまま去っていく人が多いという現実を知らされました。長期的に関わろうという意識がこちらにあってこそ、初めてお互いの間に信頼が成り立つのだということをあらためて認識させられました。そして、日本から有志の人に集めていただいた画材を運びがてら、急遽翌日ヴァルミキ寺を訪れることにしました(ヴァルミキ寺では翌日、ミニ絵画ワークショップを行いました)。 それにしてもおもしろかったのは、私自身最初は20人くらいで来てくれた一人一人と握手をして再会を喜んでいたのですが、「いまの誰だっけ?」と思うことが多いことに気づきました。よくよく冷静になって考えてみたら、この日来てくれた前回の参加者は上の写真に写っているアショークとスレッシュのみで、あとはみんな近所の子だったのでした。それもまた愉快なことでした。 会場に来た人々に次から次へと話しかけられました。 「物質的に何かを与えるのではなく、感情を共有しようというコンセプトに共感しました」 通りがかった誰もが見られる、町の中心部の屋外で行ったヴァラナシ、レーと異なり、このギャラリーに来ているのはふだんからこういったギャラリーに通い慣れ、芸術に親しむ機会の多い、ある意味上流階級の人々です。そういった人々が、生徒たちの表現した作品の豊かさに素直に驚き、才能を持っている人はどの階層にもいるが、実際に機会を与えられる恵まれた人は少ない、ということを実感してくれていたようでした。何人かの人から「何度もインドを訪れてくれているんですね。インドの何があなたたちを惹きつけるのですか?」という質問を受けました。(この質問はテレビのインタビューの中でも受けました)繰り返しインドで試みてきたことが、「一過性の思いつきでやっているのではない」というこちらの姿勢として受け止めてくれているのだなと思いました。「これはインドと日本のラブストーリーですね」 そういわれた時、ゆっくりとだけれど確実にこのアートワークの趣旨がインドの人々に届いているという自負を持ちました。 私自身、こうしてギャラリーに並んだ生徒たちの作品を実際に見て感慨深いものを感じました。個人差はあるだろうし、写真や絵に限ったことではありませんが、多くの子供たちが豊かな才能や感性を持っている。ただそれを発揮する機会が与えられていないということなのだとあらためて実感しました。そして、スタッフにとってもこの展覧会を開いてよかったと思いました。それはスタッフが生徒たちの作品を見る表情が、これまでとは明らかに違っていたからです。ヴァラナシとレーで開いた展覧会では、屋外ということもあって、スタッフも故意ではないにせよ、「生徒たちの成果を街の人たちに向けて発表する場、それ以上でもそれ以下でもない」という感じを無意識のうちにどこかで持っていたような気がします。その場ではっきりと感じたわけではありませんが、設営が終わったあとの作品の見方を見ていると、漠然とそう感じました。しかしこうしてギャラリーに展示したことで、これは生徒たちの作品なのだということが体感できたのではないでしょうか。肩と肩がぶつかりそうなギャラリーの中にスペースを見つけ、じっくり作品と向き合っているスタッフの姿がありました。その作品を作った生徒と対話しているようでもあり、過ぎ去った1か月間の自分と対話しているようにも見えました。 最後まで会場に残り、取材を続けていた国営ドゥールダルシャンのディレクターは別れ際、「インドの子供たちのためにどうもありがとう。あなたたちはインドの友人です。いつでも歓迎します」といって固く手を握り締めました。
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