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●2010.8.13
先月初めから、この秋に発表するベルリンの写真集のプリント作業にとりかかっている。
暗室作業といっても、以前みたいに昼夜に関係なく作業が出来る完全暗室が無いので、昼間は原稿を書いたりして過ごし、プリント作業は太陽が落ちてからになる。
リビングに大小7つある窓は、大きな窓には黒い布を張り、小さな窓には冬物コートをかけて外光を遮断しての作業である。実は暗室作業は完全に光を遮断しないと出来ないと思い込んでいたが、カメラメーカーで働く知人が遊びに来た折に、「直接印画紙に光が当たらなければ大丈夫だよ」と助言をしてくれたことで、リビング暗室が実現した。
セーフライトは吹き抜けを支えている大きな梁にくくりつけている。
幸い伸ばし機や暗室作業に必要な道具は、25年程前に間違ってお金があった頃に買いそろえていたために、リビング暗室にしてはやたら立派な機材が揃っている。
伸ばし機はアメリカ製で、伸ばしレンズはドイツ製のレンズを使い、印画紙を置くイーゼルも水洗器も乾燥棚も印画紙の皺というか平面を出すためのプレス機もアメリカ製である。たぶんこれらの道具類は外からの圧力を加えないかぎり永遠に使えそうな気がする。
ただプリント作業に集中出来る時間は年齢もあると思うがせいぜい3時間~4時間で一日3カットか4カットしか出来ないが、撮影では味わうことの出来ない身体感覚というか体の奥の方から湧きあがってくる喜びの感情と久々に対面している。印画紙代がどんどん出ていく毎日だが、イメージする黒が出せて良い具合に仕上がった時など、「エイ」と思わず声を発してしまう自分がいて楽しい。
先日催事の後、桜新町の近くで古くからの知り合いの編集者たちと食事をしたが、その帰りにプリント作業の楽しさを話したところ、今の雑誌の写真にまつわる現状を話してくださった。
簡単に書くとデジタルシステムが定着した今、クライアントは必要な写真だけじゃなく、データー全部をもらう方向に向かっているそうである。すなわちカメラマンの手元には何も残らないことになる。その現実を知り自分がとても恵まれた状況にあることと、デジタルカメラの良し悪しや好き嫌いに関係なく、そしてデーター保存に問題があることを承知しつつも、家族や生活の為にデジタルカメラを選択しなくてはならない40代~50代のカメラマンの心中を思うとなんと言っていいか分からない。
分野やスタイルに関係なく多くのカメラマンの中には、それぞれの喜びや達成感があったはず。にも拘わらず、どうしてカメラマンが画像の運び屋のような写真環境が生まれてしまったんだろう。写真表現の現場が様変わりした今、個々の思いが落ち着く先が見つかることを願うばかりです。
このところ韓国にまつわるニュースが続いているが、相互理解という言葉を聞くたびに、ソウルに住む友達の写真家と協力しあい、僕の日本人シリーズを纏めたスチルムービー「日本と日本人を知る旅」と題した朗読会をソウルの美術館のホールで試みた時のことを良く思いだす。
(あくる日ソウル郊外にある高校で同じ内容のものを試みた)
日本人のモノローグをハングルに翻訳して朗読を試みた訳だが、朗読会の後、日本の新聞記者が来場者に求めた感想の中に「日本人も涙を流したり、悩んだりするんだ。日本人は私たちの国にやってきて、火をつけて帰り、戦争の後は経済を掻きまわして出て行った。だから感情なんて日本人の中には無いと思っていた」とソウル大学の学生が言っていたことが今でも強く印象に残っている。
少し話がそれますが、以前から気になっていますが、日本発で届けられる文化を享受する人たちの層が固定化していることの事実に目を向けてもいい時期だと思いますが。
6月の初めに、「子供たちの時間」に登場してくれた、吉澤真人君の個展のオープニングに行ってきました。その時の写真が届いたのでここに紹介します。
真人君が撮影の時に「お母さん笑うな」と言っていたことを今でも良く覚えています。写真の中央が真人君とその隣は「17歳2001~2006」に登場してくれた千野真広君です。千野君は今スーパーで働いていることもあり、手が僕よりも大きく立派でした。

左から橋口、吉澤真人君、千野正広君 |
東北道を車で走っていた時に、道路から見えた農作業をしている家族に声をかけたことから知り合いになった農家の方から朝捥ぎのトウモロコシが届きました。皮をむくたびに甘い香りが台所に漂い作物は鮮度が命ということを改めて実感させられました。
実はトウモロコシには懐かしい思い出があります。20代の後半、写真を初めて間もない頃の極貧時代にカメラを提げて北海道を旅していた頃、運搬車から道端に落ちた飼料用のトウモロコシを拾い集めて、川縁や森の中で携帯コンロで湯がいてご飯変わりに食べていた時期がありました。さすがに毎日は飽きるのと、トウモロコシだけだと直ぐにお腹がすいてしまうのと、なにより力が出ない。でも戦後満州から引き揚げて来た人たちは途中そのトウモロコシすら食べれなかったんですよね。
ベルリンから写真集「HOF」の解説文が届きました。プリント作業を頑張らないといけない。
作品「視線」で出会った昔の番長から20数年ぶりに連絡が届きました。プリント作業が手を離れ次第、会う約束をしました。
この夏、父の50回忌を迎えます。思えば母は女手一つで本当に僕を自由に育ててくれたものだと、心からそう思います。
●2010.7.10
ベルリンからは戻っています。
お陰様で体調は特には問題ないのですが、梅雨時の日本の湿気がこんなにしつこかったかと思うほどベタベタと重たいものがまとわりついてきて身体がだるいのと、ベルリンは夏が始まったとはいえ朝晩は厚手の長袖が必要な程寒暖の差が有る為に、そんな気候環境の変化も身体にこたえている気がします。やはりどこか身体の芯が疲れているのかもしれません。
ただ今度のベルリンは3週間と滞在が短かったこともありますが、ベルリンの関係者が滞在3日目に写真展に向けた話し合いを準備しておいてくださったことで、早めに大きな課題が片付き、いつもみたいに鉛が身体に溜まるような疲労感を感じずにすみました。
具体的に何かが確定している訳では有りませんが先が少し見えた分、気持ちが楽になり、次に移れるという無意識の安堵感が身体の中に生まれたからかなと思います。それ以外にも打ち合わせが複数有りましたが、創作とは関係ない活動についての話し合いだったことと、この秋に発表する写真集「HOF」の撮影場所の確認が主だったために、創作に脳と身体を使わなかった分、体力を消耗しなくて済んだのかなと想像します。
たぶん、身体の疲労と繋がることですが、今までは1日1食、お米を身体が要求してきていましたが、今回は気がつくと3、4日パンとミューズリーだけだという日が数回有りました。気持ちの状態がこれ程敏感に食に影響するものなのかと改めてそう思いました。
HOTEL BOGOTAのオーナーのリスマンさんとは、HOTELの吹き抜けを使った展示について意見をだしあったりもしました。2度目の話し合いの時に、リスマンさんがふと黙りこんだ瞬間が有りました。リスマンさんの視線の先を追うとそこには、以前の展示の時にとりつけた複数の大きなちょうつがいと、ペンキが剥がれた壁面が目に入ってきました。
絵を展示するために一緒に勢いで付けた金具だとはいえ、有る意味リスマンさんたち家族と従業員が長い歳月をかけて守り続けて来たホテルを傷つけたことは確かなことです。リスマンさんの思いと、この場に展示した人たちの思いは立場が異なるだけに、違って当たり前のことですが、自分等の財産を傷つけてまで場を用意してくださったリスマンさんとHOTELの人たちの思いは大切にしないといけないなと思います。
そしてBOGOTAは文化的に歴史のあるホテルだけに、長きに渡り様々なアーチストを見てこられているからか、リスマンさんは作家の姿勢についても触れられました。僕自身も若手に場を用意することの是非をこの10年余り考え続けて来ていることもあり、なんとなくリスマンさんの言わんとする気持ちは分かる気がしました。「あと2、3年、頑張ってみませんか」と僕はリスマンさんに声をかけましたが、気長に新しい人との出会いを待ちたいと思います。
べルリンに出かける方は是非BOGOTAを使ってあげてください。

ここで朝ごはんを食べます。 |

僕がこの前使った部屋で、朝食付きで44ユーロです。 |
ベルリンを立つ前日にベトナム料理屋に立ち寄ったところ、従業員の一人が「新聞を見たよ、コーラでもなんでもごちそうするから」と話かけてくださいました。ベトナムのワークショップから時間が経っているので、少し驚きましたが自分等の意思で母国を出たとはいえ、離れて生きる分、ベトナムに対する思いが強いのだと思います。写真集を纏め終わった後にワークショップの準備に入るつもりです。
ベルリンから戻って2日後、宮崎県延岡市の美術展の審査に出かけました。
審査が終わった後、一人の市民の方が僕の写真集を手にして話しかけて来ました。そして「彼方の写真は全然分からない、だけど後書きがここに来た」と拳で胸を叩くのです。「新しいベルリンもちゃんと買うから」と。ぶっきらぼうなものいいでしたが、疲れも何もかも吹き飛んでしまうほど嬉しい一言でした。
審査の翌日僕は、宮崎市内の温泉付きの宮崎観光ホテルに2泊しました。
時差ボケと身体の疲れをとる為です。
このホテルを選んだのは温泉がついているということ以上に、前回審査に訪れた時に小学6年生の時の修学旅行で泊まったホテルだったことを思いだしたからでした。あの頃は皆等しく貧しく宿泊費を補足するために僕ら皆一人ずつお米を宿泊先に用意して行ったものです。
この春鹿児島で番長たちと再会したこともあり、懐かしい思いで予約して泊まりました。
たぶん疲れが出たのか温泉にも入らず眠り込んでしまいました。
東京の知人からの電話で目が覚め、電話を切った後空腹を覚え、何かを食べないと良く無いと思いホテルの8階に有るラウンジに出かけました。
ただ残念なことにちょうどラウンジは閉まったところでした。引き返そうとしたところ女主人らしき方が気づいてくださり、僕が何かを食べに来たことが分かると、「待っていてください」といい、お茶を出してくださいました。そしてソフトボール程の大きさのおにぎりを3個握ってきてくださいました。僕は甲子園球児じゃないからこんなに大きなおにぎりは食べきれないと思いつつも、有りがたい気持ちで梅干しと昆布が入ったおにぎりを受け取り「明日必ず来ますので」とお礼を言い部屋に戻りました。おにぎりのお金は受け取ってもらえませんでした。
部屋に戻り窓の外に広がる大淀河の夜景を見ながらおにぎりを食べた訳ですが、おにぎりを食べながら僕はずっといろんな人の好意を受けて生きているなとしみじみ思った次第です。電話をかけて来た知人ももう一人の知人が電話口に居ることを伝え、「東京に戻られたら赤坂に来てください」と僕の生活や仕事を気遣っての電話でした。
3個のおにぎりは食べ終わるのに2日半もかかりました。
あくる日、8階のラウンジを再度訪ねました。そしてメニューを見てここは観光ホテルであってベトナムとは違うのだと値段を見て慌ててしまいました。だからと言って見栄を張っても仕方がないので、メニューの中で一番安いご飯とみそ汁のセットにゴーヤの炒め物を頼みました。全部で900円ぐらいです。それでもホテルの方は嫌な顔一つせずにお茶を急須で出してくださり、「昨夜も来ていただき有難うございます」と挨拶をされてしまいました。

ホテルの部屋から見た大淀河 |
写真集 「HOF」 ベルリンの記憶
発売予定日が9月29日に決まりました。
発行岩波書店
以前も触れましたが、人間が一人も出てこない作品集です。
今月は写真集で使うプリント作業に加えて、TV・ラジオのCMの審査が有ります。体調管理をしっかりしないといけない。

HOTEL BOGOTAで現在続いている安河内さんの展示です。
足場のない所でどうやって作品を吊るしたかは分からないですが、
命がけの設営だったような気がします。 |

この秋には、また新たに絵の展示が始まります。 |
●2010.6.13
このところ橋口便りが延び延びになってしまい、申し訳ないです。
実は僕は今、ベルリンにいます。
先日、美術館で写真展開催に向けてプレゼンテーションの機会をもらいました。資料は事前にデビュー作から近作まで届けていただいていましたが、今回は初めてBERLINのオリジナルプリントを用意しました。
僕の作品がいいとか、悪いに関係なく、ベルリンの写真は少し見飽きてしまったという主任キュレーターが、僕のプリントに釘付けになっていたのと、僕の作品を見て「生活はどうしていますか」と思わず言葉にされたのが印象的でした。片手間で作品作りをしていないということを感じてもらえたからの言葉だと僕は理解しました。
そして有り難いことに、作品は日本人シリーズも含めて全て気にいってもらえたようです。ただ気にいってもらえたからといって直ぐ直ぐ写真展に結びつくかというと、ことはそんなに単純ではなく、おそらくここから2、3年はかかるかと思います。それでもドアの前でウロウロしていた状態からやっと一歩ベルリンという部屋に入れたかなという感じです。
一歩一歩ここからです。
勿論一人でここまでたどり着けた訳ではなく、沢山の人の助けをいただいています。
いつか僕の背中を押してくださり、一緒に道を開いてくださっている人たちを紹介できるよう頑張りたいと思います。
ベルリンに出かける前に、雑誌「世界」のグラビアの選考をしてきました。
有り難いことに今回もいい作品と出会えました。
前回の選考会で広島をテーマにした作品がありましたが、今度は長崎をテーマにした作品が残りました。広島の作品もそうですが、戦争を知らない世代がどの様に過去の記憶と向かいあうのか、一つの指標になる作品だと思います。ただこの作者はこれまでも北京や上海をテーマに応募して来ています。出会った対象を消費するだけで終わってほしくなく、作家自身がこれからどうして行きたいのか、という問いが僕の中に残りました。対象はなんであれ、撮ることは簡単なことですが、大切なことは出会って撮った後どう向かいあうかだと思うからです。
自宅の周辺や新宿の街角を撮った作品も残りました。僕らは新しい文明の利器がとりまく社会を生きていますが、進歩ってなんなんだろうかという問いを投げているような作品です。写真は乱暴でしたが、新しい文明の利器でごてごてにラッピングされても人間はそんなに変わらないのだと突きつけられた思いでした。あるいは近代に溶けこむことを拒否している人たちかもしれない。
インドの砂漠で生きる民を撮った作品も残りました。この作者は以前も同じインドの砂漠をテーマにした作品で応募していましたが、前回よりもさらに視線の質を深めてきた作品で再登場して来てくれました。「世界」の原稿料を活かしてくれていることが伝わってくるだけに、公募という場を用意してきている僕らにとっては嬉しい作品でした。
そして年齢基準をオーバーした作家による衝撃的な作品も届けられました。
招待作品として8月発売の号で紹介されます。
この春に以前「世界」のグラビアで作品を発表した人が二人、写真集を発表しました。
ここでタイトルを紹介できたら良かったのですが、東京に置いてきているので申し訳ないです。グラビアに応募してくる人たちが、写真で生活が出来ているとは思いませんが、応募してくる人の何人かは、生活できる出来ないではなく、自分の心の声と対話をしている人たちだということは確かです。
話は飛びますが、何時も僕がベルリンで使っているHOTEL BOGOTAに自分の部屋に戻る前の2日間だけ泊まりましたが、僕が今新しい作品「HOF」を纏める作業に入っていることを知っているオーナーのリスマンさんが、中庭の奥にある部屋を用意してくださっていました。しかもキーホルダーには「HOF」の文字が。にくいです。
そしてHOTELの拭き抜けに展示されている安河内さんの作品も、送られてきた写真よりもはるかに素晴らしい展示でした。展示風景や「HOF」の文字つきのキーホルダーもデジカメで撮りましたが、アナログ回線の僕の部屋からは送れないのが残念。
●2010.4 .25
しばらく東京を留守にしている間に、近所の空き地で前々から狙っていた竹の子が全部だれかに先を越されてしまったようです。残念。
さてもう2カ月程前になりますが、コダックが製造、発売していたカラー印画紙が製造、発売中止になりました。突然の発表ということもあってか若い写真家たちは急いで印画紙の買いだめに走ったそうです。実は僕も以前ポラロイドフィルムの製造中止を知り、10年分ぐらい買いだめをしたことがあります。買いだめしたフィルムは今冷蔵庫の中です。ただ買った後に、量販店の人に有効期限がありますよと言われてアラマーという思いで冷蔵庫を眺めていますが。
若い人たちが自分の表現に適した印画紙を買い求める気持ちを僕はなんとなく理解できる気がします。企業が市場原理でデジタルに走るのはいたしかたないというか、メーカーとして自然なことですが、ただ写真文化の周辺に居る人間の一人としてもう少し文化としての写真という側面、視点で、市場とは違う対応の仕方が写真家サイドにあったのではないかと強く思っています。
後、写真は一人でも完結できる表現という特性から来ているのか、(本当は沢山の人の関わりや応援が無いとできないことですが)、少なくない人たちがフィルムに拘って作品を作っているにも関わらず、そんな人たちの声や思いが束になり社会や企業に届けられないところに、日本の写真文化の非弱な立ち位置を感じてしまいました。
実は民族学者の宮本常一さんの「宮本常一が見た日本」というタイトルの文庫本の解説文を書く機会をもらいました。発売は5月初旬で筑摩書房からです。
その中で宮本さんが生前、10万カットの写真を残されていることを知りました。同じ表現の端っこにいるものとして宮本さんが残された膨大な量の仕事を前にすると気が遠くなりそうになりますが、宮本さんも最初の一歩、最初の一枚から始まったのだと自分に言い聞かせています。そしてデジタルだったらこれだけの財産が残っただろうかと素朴にそう思いました。そしてデジタルデーターの保存が確立するまでは、せめて人生の節目節目の行事である入学式とか卒業式とか結婚式とか家族の記念写真ぐらいはフィルムで残さないといけないのではとも。そしてデジタルはこれからさらに進化して行くのでしょうが、フィルムや従来の印画紙だと150年は保存されて来たというこれまでの事実を今一度立ち止まり考えてみる時期に来ているような気がします。
ベルリンから安河内さんの展示風景が届きました。実は安河内さんの作品をなぜ選んだのかという少なくない質問を僕は受けました。僕は安河内さんの存在と作品を知ったのはベルリンでです。8×10というちょうど週刊誌サイズより少し小さめのサイズのプリントを見せてもらいました。テーマは桜で特別なものでもないです。ただ彼女の作品を目にした時、彼女は桜が持つ美しさに頼ることなく、一度桜を自分の身体の中を通している作品だと感じました。ただその時点では彼女の作品をBOGOTAのリスマンさんに推薦するまでの思いは僕の中にはなかったです。
それから数カ月して安河内さんから一通のメールをもらいました。「桜を大きなサイズにプリントしました。その変わり印画紙代でアルバイト代は全部吹き飛んでしまいました」そのメールを読み、彼女の中には優先順位がキチンと出来ていると思いました。働いて得たお金は勿論のことですがプリント作業に費やす自分の持ち時間をおしみなく注ぐだけのものを世間の評価に関係なく彼女は見つけていると思いリスマンさんに彼女の存在と作品を推薦しました。
「世界」5月号で年越し派遣村を主催する湯浅誠さんと映画監督の山田洋次さんの対談が掲載されています。日本人はなぜ「フーテンの寅さん」を必要としたのか、なぜ山田さんが「寅さんシリーズ」を作り始めたのか、なぜ湯浅さんが炊き出しに合わせて「寅さんシリーズ」を大晦日に上映してきたのかという興味深い内容です。湯浅さんと山田さんの対談を読みながら、僕らAPOCCが試みているワークショップの意味みたいなものも再確認できました。「世界」は公立の図書館に置いてありますので読んでみてください。
星野が「すばる」5月号で、彼女の生活圏である、五反田や大崎を散歩しながら星野にしか見えない風景を書いています。かつて無産階級の人々を対象にしていた診療所の話や、あの一帯を包んでいる空気の正体を、歴史を絡めながらひも解いてくれていてドキドキするエッセイです。「すばる」はまだ書店で探せると思いますが、「世界」同様に図書館でも読めますので探してみてください。
ベトナムの少年少女たちの世界を日本の高校生に見てもらう最初の一校が決まりました。
そして日本の高校生が撮った世界と一緒にベトナムの少年少女たちの世界も同時に美術館に展示する企画も決まりました。ベトナムの少年少女たちの世界を日本の高校生たちが自分たちの手で展示をするという試みです。未来が開いてく思いです。面倒を承知で動いて下さっている先生たちに感謝です。
僕の新しい作品集「HOF」が正式に岩波書店で社内企画として決まりました。版型も前の「BERLIN」と同じです。この9月には皆さんの元に届けられると思います。僕の作品で、人間が一人も出てこない初めての写真集になります。後、サプライズがこの写真集には準備されていますが、それは完成まで秘密です。
Naoko Yasukochi
Nachtgarten
HOTEL BOGOTA
SchluterstraBe 45, 10707 Berlin
www.bogota.de |
●2010.3.13
この便りがUPされる頃は気温も高くなっているのかもしれませんが、寒いですね。
さて殆どの方は気がついておられないと思いますが、横浜の展示会場に足を運んでくださった人たちが残してくださったメッセージ、感想文が先日やっと全部ベトナム語に翻訳してホームページ上にUPすることができました。英語にはすでに訳されています。お陰さまでというか会場に気持や思いを残してくださった人たちの行為を無にすることなくちゃんとベトナムに届ける状況が作れて良かったです。
ただワークショップの参加者の大半がインターネットの世界とは無縁なところにいるだけに、直ぐ直ぐ簡単に皆に日本からの思いが届くとは思えませんが、きっと読んだ誰かが彼らに伝えてくれるような気がします。それにベトナムで暮らす人たちや、ベトナム以外でベトナム語を母語とする人たちとも、これで繋がりがまた一つ増えた気がします。そして翻訳された日本人の感情に触れる機会を得たベトナム系の人たちの中にもきっと新たな何らかの感情が生まれるはず。DVDが完成した折にも同じような感想を述べましたが、僕らが間に入ることでやっとぐるぐると循環する感情の流れを生み出せるところまでたどりつけた気がします。交流ということは、たぶんこういうことの積み重ねなのだなと思いました。
話は飛びますが、昨年末に沖縄で、映画監督の是枝監督と歌手のタテタカコさんによるアーチストトークが有りました。その時、来場者から質問が幾つか出ました。その質問の中に「心」と「命」をどう定義しますか?という問いが来場者から出ました。その質問に触れたとき僕は「難しい質問だなこれは、恐ろしいことを聞くな、自分だったらどう答えるのだろう」と映画館の壁によりかかりながら考えていると、是枝監督はしばらく考えた後、質問を変にはぐらかすことなく「命はそこに有るもの、心は何かと何かが出会うことで初めて生まれて存在するもの」とそんな感じのことを答えられました。とても分かり易くそしてみごとにアートが持っている答えの一つを提示されたなと思いました。
是枝監督が定義された「心」と展示会の会場に残された感想文やワークショップ参加者が感じた思いなどは同じ線上に位置づけることができます。そしてこれもアートだと言えます。
表現やアートの世界には所有できるものと、所有できないものが有ります。作品として形として見る人が目で見えるものは、だれかが所有できるものですが、その反面人間が作品に触れそのことで生まれた感情や言葉は所有できないものです。一般的に形有るものがアートや表現だと位置づけられていますが、ワークショップを積み重ねて行く中で、僕らが大切にしていかなくてはいけないことは、ワークショップに参加した少年たちが撮った写真ではなく、参加したことで感じた思いであり、湧いてきた感情がとても大切なことで、そしてまた、ワークショップ参加者が撮った写真、作品に触れた人たちの中に生まれてきた目に見えない感情こそが僕らが目指しているワークショップの成果だと思えるようになりました。
しばらく時間が空きましたが、ベトナムの少年少女の世界を日本の高校生に見てもらう機会がそんなに遠く無い日に作れそうです。本当は中学生にも見て触れてもらいたいと考えていますが、回路を見つけるのにもう少し時間がかかりそうです。ワークショップの方も自分の作品集づくりとの兼ね合いがありますが年内にもう一度ベトナムで試みたいと考えています。
ベルリンのHOTEL BOGOTAで日本人アーチストの展示を一年前から始めたことはお伝えしてきていますが、今月の5日、二人目の作家のオープニングに無事たどりつけました。今回はベルリン在中で写真家を目指している安河内直子さんの「夜桜」をテーマにしたモノクロの写真作品です。
第一回目の絵描きの大星純一君がしっかりとした展示をしてくれたことが次に繋がり、HOTELオーナーのリスマンさんがすっかり本気になってくださったことでオープニングは盛況だったようです。僕は所用があり東京を離れることが出来ませんでしたが、日本でも良く知られている写真歴史家でヘルムート・ニュートン美術館の学芸員であるマティアス・ハンダーさんがわざわざスピーチしてくださり、そしてベルリンの日本大使館の文化部の方やベルリン日独センターの方、先のベルリンでの講演会で同時通訳をしてくださった方、対談相手の一人、写真歴史家のカトリーナ・ハウゼルさんも寒い中足を運んでくださったそうです。まだスタートして2年目ですが早くも場が公になりかけてきているような気がしています。
僕が初めて展覧会を開いた時には展示は勿論ですがオープニングなんてどうやったらいいのか分からず、当時の仕事場の有った西麻布で関係者5人ぐらいで乾杯をした記憶しか残っていません。そのことを思うと作家、作品、HOTEL BOGOTAはとても幸福だと思います。
安河内直子さんの展覧会の告知やHOTEL BOGOTAを紹介してくださっている記事が届きました。ベルリンでの僕の写真はとても珍しいので、恥ずかしいですが併せて読んであげてください。
ベルリン在住のライター中村真人さんのブログ「ベルリン中央駅」
●安河内直子「Nachtgarten(夜の庭)」展オープニング
http://berlinhbf.exblog.jp/12255162/
●橋口譲二が案内するホテル・ボゴタ
http://berlinhbf.exblog.jp/12043920/
今月5日発売の月刊誌「すばる」でカフェ・セルジェナというタイトルでベルリンのことを寄稿しています。興味のある方は「すばる」を読んであげてください。僕の原稿もそうですが、同じ号に掲載されている「ロスジェネ芸術論」は是非読んでほしい記事の一つです。著者の杉田俊介氏の立ち位置に僕は共感します。
そして知り合いの小説家の中島たい子さんが「結婚小説」というタイトルの新作を集英社から発表しました。中島さんの新作は読んでいて入口の部分がちょっと背中がもぞもぞしてしまいましたが、中頃から緊張感ただよい、生き方がテーマになっている作品ですので併せて読んでもらえると嬉しいです。
●2010.1.31
先日、雑誌「世界」のグラビア写真の公募作品のセレクションを行いましたが、今年最初のセレクションはとても気分がよかった。それはセレクションに残った作品、作家の中に、今までもう本当に何度も何度も選考から落ち続けていた人の作品が残ったからです。
編集部の人たちはしっかりと把握されていると思うのですが、僕の印象として、彼は10回以上も選考から漏れていた気がします。
彼の凄いところは、選考から漏れても変にイジケルこともなく、そしてテーマ対象を変えることなく、応募し続けて来てくれたことです。世間や他人の評価に関係なく自分自身が拘ったことに拘り続ける。これは表現の基本中の基本なんだけど、多くの人にはそれが出来てない気がします。
実は一年ほど前に、毎回、毎回大量のプリントで応募してくる彼の一途さに、負けかけたことがありました。プリント費用も膨大な金額になっていることが想像ついたからです。フィルム写真はお金がかかるだけに、気の毒な気がして、編集テクニックで彼の作品を残しかけたのですが「じゃなんの為に今まで彼の作品を落としてきたのか」という当たり前の問いが僕の中に沸いて来ました。僕らの(編集部も含めてです)知識で、彼の作品を合格にしても彼は喜ばないだろうとそんな気がして、結局その時も落としました。
広島で暮らす彼とは会ったこともなければ、言葉も交わしたことのないのに、「彼はまた、ここに来ますよ」と何故か確信めいたものが、僕や編集者たちの心の中にはあった気がします。そして応募し続けてくる彼の中にも、「世界」が用意している「場」に対して信頼めいた何かを感じてくれていたのだろうと想像します。
彼の作品は3月8日発売の号に掲載されます。是非見てあげてください。
そして2月8日発売の号には、バングラディッシュで撮影された作品が紹介されます。彼の作品は、一度、選考に残した作品にも拘わらず、ベルリンに居ても、このまま「世界」で紹介していいものか、ずいぶん迷いに迷った作品でした。良くある旅の写真とどう違うのだろうかと、そんなもやもや感がどこにいても僕の中につきまとっていました。でも彼の作品の中に流れている「温かい」正体が気になり決断がつかないまま、ずるずると掲載日が来てしまいました。
そして彼と面談した担当編集者から「彼は大阪で作られた義足をアフガニスタンへ届けるボランティアをしている人でした」と知らされ、その時彼の作品が持っている「温かさ」の正体を知り、合点がいきました。写真に限らず表現は表現されたものが全てだと良く言われます。その通りだと僕も思いますが、それでも僕は、表現は生き方そのものが大切なのだと思う自分が居ます。
今回セレクションに残った作品の中で、アフリカの子どもたちを撮った作品がありました。ふだん応募作品の中で傾向として多いのが、紛争地や発展途上国で暮らす子どもたちの写真です。紛争地や発展途上国を超えた作品が無く、毎回選考からもれていました。ですが僕らは今回久しぶりに子どもたちのいる風景を選びました。関係の持ち方というか、目の前の現象に惑わされることなく人間と風土をちゃんと見ていると感じとったからです。後で分かったことですが、彼もまた写真を撮るまえに、3か月間エイズ患者が暮らすアフリカのキャンプでボランティアとして働いていたことが分かりました。結果として僕らは遠回りしている作品、作家を選んでいた事実が嬉しくなります。
今僕は遠回りと形容したけど、ものごとには近道もなければ遠回りもなくて、目の前の被写体にカメラを向けるまでに必要な手続きの時間ということだと思います。ただボランティアの動機が写真を撮るための手段でないことを願う自分もいます。この辺のことはとても微妙な問題だと思います。
選考から漏れた作品の中にも、自らの肉体を使って撮ってるなと分かる作品が幾つもありました。そんな作品、作家に対しても、お金も時間も体力もかかることを承知しつつも、僕らは「テクニックに溺れることなく、もっと対象を深めてください、待っていますので」と実にアナログ的なメッセージを送りました。楽しみです。
話は飛びますが、今年のベルリンは本当に寒いようです。クリスマス前に降った雪が寒さで凍りついて解けないそうです。ベルリンの街で鼻水たらしながら20年前から撮り始めた作品「Hof」を写真集として纏める作業に入りました。社会環境が環境だけに一冊の写真集として完成するまでには、問題山積でしょうが、歴史に耐え得る作品集に仕上げたいと思います。
ベルリンの街角の写真が届きました。この映画にはTBSの僕の知人が関わっていただけに、嬉しくなる光景です。何時か自分の写真展のポスターをこうして眺めたいものです。
後、すばるの次の原稿が手を離れました。
●2010.1.3
新しい年が始まりましたね。僕は東京に戻っています。
たぶん年齢のことも有るかと思いますが、何事もなく無事に一年を終えられて、そして新しい年を迎えられていることを、とても有難く感じ受け止めている自分がいます。
昨年は例年になく、僕の廻りで訃報が相次ぎました。それも僕よりも若い世代の人たちが多いのに驚いています。新しい政権が生まれて、社会システムを問いなおす動きが生まれ始めていますが、今僕らが享受している新しい文明や、それによってもたらされた文明の利器や新しい生活環境をそろそろ真剣に問い疑っていい時期に来ていると僕は思うのですが、一度手にした便利を捨てることは難しいのかな。
僕は間違いなく今の文明の利器は人間の命を縮めている気がしてならないのですが。
話は飛びますが、ベルリンで美術関係者と食事をした折に、ベルリンのアパートでは僕はアナログシステムで有ることを話すと、驚いたことに美術界の一線で活動している二人が「私たちもそうだ、仕事上携帯も持っているけど、昼間は電源を切っていて、できるだけ家に戻ってからかけ直すようにしている」「今の文明は進みすぎているから」と。
僕がベルリンを好きなことの一つに、頑固な人たちが変わらず社会の一線にいることです。以前も仕事や住む家のない女性を対象に、20年前から食事を提供してきている女性に「ジョージ、日本の左はいま何をしているのだ」と。
新年なので、今年の抱負を述べたいのですが、昨年までとりかかって来たことをより確かなものにするために続けていきたいと思います。
APOCCの活動については、昨年は自分自身の作家活動の土台固めに比重を置いていたために、DVD制作で終わりましたが、今年は昨年度の繰越金や新年度の会費を原資に、この秋ごろアジアの地でアートワークを考えています。ただDVDを制作したことで、とても大切なことに気付かされました。そのことは改めて触れたいと思います。
話は飛びますが、帰国前日、励ましの思いで、日本人絵描き二人と食事を一緒にしましたが、マイナス10℃のベルリンで、生活費を節約するために、二人とも部屋の暖房を切っているそうです。その時は、思わず絶句しそうになりましたが、何かを目指すということは、こういうことかもしれないなと納得してしまいました。ただそうしながら真面目に絵を描き続けたとしても、作品が社会に評価され、努力が報われるかというとまた別なことだけに、現実はとても厳しい世界です。それだけに気持ちの応援は続けていかないと、と思いました。
昨年5月からHOTEL BOGOTAの吹き抜けを利用して、日本人絵描きの絵を展示して来ていましたが、この3月から新しい作品に入れ替えることになりました。当初3か月の予定でスタートした展示でしたが、約10か月余りの展示になり、作品、作家にとってとても幸福だったと思います。次回は写真家を目指している女性の写真作品になります。絵描き同様日本人です。
HOTELのオーナーとは、日本人でベルリンの街で表現の世界で生きることを試みていて、ギャラリーや公の場に出て行く前の人たちの場として、HOTELの吹き抜けを活用していくことを先の滞在中に確認しあいました。5年ぐらい続けたのちリーフレットの制作を考えています。
部屋の暖房を切って生活している絵描きが住むベルリンから、街の様子を写した写真が届きました。
僕が帰国したあくる日から寒波が居座って居るそうです。
改めて今年も宜しくお願いします。
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