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橋口便り
橋口便り 


●2016.08.29

皆さまへ
今日はAPOCCとホームページについてお知らせいたします。

以前から何度かお伝えしてきましたが、この31日でホームページを閉じる方向で動いてきました。ホームページを閉じる、APOCCの活動に区切りをつけるということになります。

ただ、お世話になった皆さまへの報告が遅れているために、ホームページを閉じるのは
9月30日まで延ばすことにいたしました。APOCCのサポーターの皆さまにお礼と報告が届く前に、ホームページを閉じてはいけないとの理由からです。

数年前から区切りの日を見据え、これまでAPOCCの皆さまに一年に一度、お願いしてきた会費のお願いもストップしてきました。

ワークショップ等の実施にともない、その都度助けていただいた、APOCCのサポーターの皆さまや企業や団体の皆さまには別途ご報告する準備をしていますが、このサイトにつきましては経済的な理由にともなう契約の問題もあり、これまでホームページを通じて縁の生まれた皆さまにお礼を述べるとともに、これまでの経緯を簡単ではありますが説明させていただきます。



2000年にAPOCCの活動をスタートさせたことにともない、僕らの活動や考え方、ワークショップの報告の場として、ホームページという公の場を用意してきました。

これまで僕らは、インド、ベトナムを中心に普段自分を表現する機会の少ない国々で暮らす少年少女たちと、カメラを使い写真を撮り、撮った写真をその地で展示する。展示された作品は勿論ですが、展示する作品を選んで行く過程で、撮影者一人一人が出会う新たな自分との出会い。この気づきという言語化、視覚化しづらい感情を探し、共有することを大きな目的としたワークショップでした。撮影-模索-展示。これらをただの作業やパフォーマンスに終わらせないために必要な時間は、最低10日間は必要でした。移動を含めると2週間余り、実施場所を2か所もうけたとすると1ヶ月余りの時間を有しました。

始めた当初はアートワークという、耳慣れない試みでしたが、各地で場を準備してくださった方々の寛容な解釈と親身な対応。日本から僕らを送り出してくださった人たちの理解。なにより、物心ついた頃から大人の時間の中で生きてきたワークショップ参加者を誠実にサポートして、彼らが手に入れた短い時間の中で、彼らが自分と出会う手伝いを分け隔てなくサポートしてくれた日本人スタッフの皆さん。スタッフは睡眠を削り現場を支えてくれました。

ワークショップ参加者、街とは、今でも細い糸の様な関係ですが、切れずに続いています。少なくない応援者がいて、試みそのものが大切なことでもあるのに拘わらず、ここで一区切りつけることになりました。

その理由はいくつかあります。
スタッフとしてAPOCCの活動を支えてくれた人たちが、それぞれ自分の道を歩き始めたこと。僕自身が、戦前に日本の植民地で生まれた日本人や、戦争を機に海を渡った人たちの存在、人生の選択を記録した『ひとりの記憶』をまとめる作業に入ったことで、作家活動の大半を執筆に費やすようになりました。他の作家の方たちのリズムは分かりませんが、僕の場合は一度、脳を使い考え始めてしまうと、他のことに器用に移れない自分に気が付きました。アートワークは実施に至るまで細かいやりとりが一年余り続きます。執筆しつつ打ち合わせを重ねるということが、僕には上手くコントロールできないようです。

それら上記の理由以上に、一番の大きな理由は、僕に運営能力が欠如していたことです。

ワークショップを実施するには、大きな経費が派生します。サポートしてくれるスタッフも生きて生活をしていかなくてはならないという、当たり前のことに現実的な対応能力が僕になかった。自分で働いたお金を使い、何かを続けることには直ぐに限界がきました。

アートワークをスタートさせた当初、広告代理店が援助を申し出てくださいましたが、ありがたい申し出があったにも関わらず、僕には大企業と向かいあう器量がありませんでした。

残念ではありますが、一つの思いで始めたことを営利に関係なく10年間続けられたことに関して誇りに思う自分もいます。ただ営利に拘らなかったことが、今日の結果でもあります。継続することで見えて生まれることがあることは、自身の作品作りで理解出来ているつもりです。それだけに恥ずかしい結果でもあります。難しいです。

APOCCの活動に区切りをつけますが、橋口個人として出来る可能なアートワークは機会のある度に試みるつもりです。幸いにも近所の小学校の美術の先生に、生徒の個性も殺さず、費用もサポート人数もかけずに出来るアートワークのヒントを頂いています。

だったらAPOCCを閉じることはないじゃないかという、意見が寄せられることは想像できます。しかし個人の善意を元にスタートさせたAPOCCの存在は僕にとって気持ちの負担が大き過ぎるのです。『ひとりの記憶』と向かいあいながらもAPOCCの活動はどうするのだという心の囁きのプレッシャーを何時も感じていました。APOCCを一度隣におくことで、逆に個人的には身軽に動けるようになるような気もしています。

前にも述べましたが、APOCCのホームページは閉じますが、いずれ橋口個人のサイトを開き、そこからAPOCCの活動記録は、少しずつ読める状態にするつもりです。これまでAPOCCの場を使い、お知らせしてきた橋口個人の活動については新しいホームページ上でお伝えすることになります。

最後に、表現にかかわる人間がNGOを立ち上げ、アートワークを試みるということを暖かく見守り応援してくださった方々に心から感謝いたします。少なくない人たちがアートワークを支えてくださったという事実と、インドやベトナムの村で、少年や少女が初めて自分自身と出会った時の誇らしげな表情は、僕の中で消えることなく生き続けています。

アートワークを通じて学んだことは、これから発表していく仕事や作品に生かして行きたいと思います。

本当に有難うございました。

アートワークに於いて資材、機材、フィルム、展示作品制作、画材、リーフレット制作、荷物等の運賃、交通費等を助けてくださった会社、団体の皆さまをここに紹介させていただきます。

Canon Marketing JapanPENTAXFUJIFILMPentelJICA

JAPAN FOUNDATION、マッチアンドカンパニー、 JAL



〈APOCCの連絡先〉 
apocc2003may@gmail.com


橋口 譲二   2016年8月28日



・6月の初めになりますが、一息ついたこもあり、Berliner Zeitung(ベルリナー・ツァイトゥング)のサイトを覗いて見ました(見出しを見るだけですが)。その日の一面はHOTEL BOGOTA(ホテル・ボゴタ)の火災のニュースでした。燃えたのは最上階だけらしいですが、消火活動で建物は水浸しになったことは想像できます。「とにかく消火活動がやりづらかった」と消防士の談話が添えられていました。昔の建物で部屋も入り込み、廊下も狭く、想像するに装備した消防士一人がやっとという感じの広さでした。大変だったと思います。

HOTEL BOGOTAとは、東西ドイツ統一後まもなくして縁が生まれました。『BERLIN』の作品制作の時は部屋でご飯を炊き、みそ汁を作り、日本食で力をつけて街に出かけていました。その後、親しくさせてもらったHOTEL BOGOTAオーナーのリスマンさんと話し合い、ホテルの吹き抜けを使い日本人若手作家の発表の場として開放してもらいましたが、BOGOTAが経営難に陥り閉館してしまいました。

閉館後は文化財として保存されてきましたが、火災に見舞われただけに、今後はどうなるのかまだ分かりません。

HOTEL BOGOTAの吹き抜けを使った、若手作家のプレゼンテーションは5年間続きました。(財政が悪化している状況でもリスマンさんは援助することを続けてくださいました)
BOGOTAでの試みは僕のアートワークの一つでもあります。

リスマンさんとの友情やBOGOTAが育んできたベルリンの時間、Lichthof(リヒトホーフ)でのことを含めていつか一冊の本の中で語り残すつもりです。











●2016.08.07

四国の仁淀河から暑中見舞いが届きました。涼しそうです。

        

 

・このホームページを8月31日に、閉じる方向で動いています。
ホームページ移行にともない、少しずつレクチャーを受け勉強をしていますが、自分の知識の無さに驚いています。今の予定では、切り替えと同時に新しい連絡先も習得できるはずですが、万一の為にフリーメールお知らせします。

 

〈連絡先〉

apocc2003may@gmail.com

 

 

・この数年、夏場になると体調管理に失敗して苦しい思いをしましたが、今年は「塩」を舐めるようにしたところ、今のところリズムを崩すことなく過ごせています。
皆さまも暑さに気をつけてお過ごし下さい。











●2016.07.16


暑さにめげずに執筆を頑張ってくださいと、四国から釣りあげたばかりのアマゴと清涼感溢れる渓流の写真が届きました。釣りに行きたいことを伝えると、今はマムシの季節なので危ない。それに今の渓流はクモの巣だらけ、釣りたいなら春先に来てくださいと。東北の知人からは今年はクマが多いから来るなと言ってくるし。

                                            

               

 

もう一月前になりますが、下北沢にある本屋BBでの、寺尾さんとの対談は会場に入れない人たちが出たほど盛況でした。寺尾さんを始め本屋さんや知人たちが広報してくださったおかげです。有難うございました。


寺尾さんのお仕事は、僕と重なりますが、かつて日本の植民地だった南洋の島々で生まれて生きた島の人たちの目に、日本人と戦争はどのように記憶されているのかという、僕の仕事には無い視点で大事な仕事です。

 

トークの途中に、『ひとりの記憶』に収録した写真と寺尾さんの楽曲を重ねて流す試みもありました。寺尾さんの楽曲が流れ写真が写し出されていきます。いい楽曲には写真が良く会うなと、うっとりしかけた矢先に、写真の人たちには名前があり、住んでいる国と街があるのだ。このまま続けてはいけない。一瞬、寺尾さんの楽曲のことが頭をよぎりましたが、思わず一人一人の名前を読み上げてしまいました。その結果せっかくの寺尾さんの楽曲を僕の声が消してしまいました。寺尾さんと寺尾さんのファンの方々に申し訳ないことをしてしまいました。

 

・トークライブに15年前に僕のワークショップに参加した、当時学生で現在はアジア各地で日本語を教えていると、近況を伝えに来てくれた人もいました。「ワークショップの後、葉書をもらったけど、なんて書いてあるか読めない。きっと大事なことが書いてあると思いまだとってあります」。もうその一言で汗が吹き出しそうになりました。僕の字を読めない人が大勢いることが想像できるだけに焦ります。

 

・7月15日に『ひとりの記憶』の電子書籍の配信が開始されました。周りの方々に教えてもらえると嬉しいです。

 

・おそらく8月末になりますが、このホームページは閉じることになります。その理由は経済的な理由からです。このホームページの維持に年間6万円の費用がかかっているからです。別途にもっと安い維持費で橋口のサイトを開く準備をしています。そして僕のサイトからAPOCCでの活動記録を読めるようにするつもりです。


・このホームページは閉じますが、APOCCのドメインは残します。APOCCのネーミングは星野博美が考えたオリジナルな造語であることや、一度ドメインを捨ててしまうと、他の人たちに使用権が移り、もう二度と僕らがAPOCCを堂々と使えなくなるからです。


新しい人たちにAPOCCを引き継いでもらえる日を待つつもりです。











●2016.06.09

『ひとりの記憶・海の向こうの戦争と生き抜いた人たち』を発表して約5か月。お陰様で大勢の方々が書評に取り上げてくださいました。何人かの方たちは同じ書き手として励ましと労いの思いを書評の中に織り込んでくださっていて、届いた紙面を読みながら何度か涙が出てしまいました。何もないところから一つの形、社会に手渡す「もの」にしていく途中を経験してきている人たちだからこそ、生まれる労いと共感なのだと暖かく受け取らせてもらいました。この11日に対談をする寺尾沙穂さんも書評を書いてくださいました。


僕個人は、本を纏められて良かったと達成感に浸った時間は一週間ぐらいで、今は『ひとりの記憶2』にとりかかっています。脳が溶けない内に書こうという思いもありますが、僕の手元にある、もう二度と聞くことの出来ない戦争があった時代を生きて来た人たちの記憶を次の時代に繋がないといけない。そんな思いからです。


簡単にはいかないでしょうが『ひとりの記憶2,3』と進める気持ちでいます。ただ年齢が年齢だけに集中できる時間は一日に二、三時間がやっとで、とにかくコツコツだと自分に言い聞かせながらの毎日になります。



             -手元に届いた書評-

○飯沢 耕太郎「写真家の鮮やかな語り口」(図書新聞 2016.5.21

○能島 龍三「激しくも淡々と流れた過去重く」(しんぶん赤旗 2016.5.8

○姜 信子「生身の人間として寄り添う」-書評(週刊読書人 2016.5.13

○塚田 恭子「彼の地で戦争を生き抜いた人々の記憶を、今につなぐ」
                          (家庭画報6月号)

○米田 綱路「20年反芻した声編む」-書評(東京新聞 2016.04.17

○金子 徹「戦後帰国しなかった日本人の証言」(しんぶん赤旗 日曜版 2016.4.17

○鳥海 美奈子「戦争前後に海外に渡り、異国で生きた人々の多彩な人生を綴る」

(サライ5月号)

○奥 武則「無告の民の言葉を伝える」-神保町の匠(WEBRONZA 2016.03.24

○城戸 久枝「人生と記憶に誠実に向き合う」-ブックレビュー
                   (日本経済新聞 2016.03.20

○寺尾 沙穂「外地で戦後歩んだ人々」書評(南日本新聞 2016.3.20

○渡辺 一史「波瀾の半生 時をかけ記録」-本の森 書評(北海道新聞 2016.03.13

○大上 朝美「戦後も外地に残る人々の歴史」-著者に会いたい
                      (朝日新聞 2016.02.28

○角田 光代「人生という真実」-書評(本の話WEB 2016.02.07

 

 

          

 





●2016.05.19

夏が始まりましたね。

2日前に3年以上履きっぱなしの冬タイヤを夏タイヤに付け替えたところです。春が来る度にタイヤ交換をしないといけないと思いつつも、気持ちに余裕が無く、冬タイヤのまま車を走らせていました。

 

近くの公園で太陽に当りながら、ふと熊本でテント暮らしを与儀なくされている人たちの生活を想像してしまいました。

20代のころテントを担いで夏の南西諸島の島々を転々としていたことがあります。

日が昇ると、もうテントの中でじっとなんかしていられない。自然災害だけにしょうがないのか、と思いつつも被災して家に入れない人たちが気の毒でなりません。何か出来ることをと思いつつも、駅前で街頭募金を呼び掛けていた学生さんらに、募金をするのが精一杯の行動になります。

 

それにしても阪神淡路大震災、長野や中越の地震、東日本大震災、そして熊本と、自然災害が普通にあちこちで多発するような国土の上に建つ原発の存在が恐ろしいです。

 

このホームページも閉じる方向でいますが、閉じるなら今このタイミングなのですがAPOCCでお世話になった方々に、お礼と今後の報告が出来ないまま、時間だけが過ぎて行っています。ホームページを管理している方も、自分の展覧会に向けてギアを入れなおし創作に向かい始めただけに、できるだけ迷惑をかけないようしないといけない。

 

6月11日に下北沢の本屋BB において歌手で作家の寺尾沙穂さんと対談することになりました。『ひとりの記憶』の発刊記念イベントになります。

 

実は『ひとりの記憶』を書き上げるまでの数年、浦島太郎状態の自分が恐ろしく本屋を覘く余裕がなかったのですが、今年の一月、原稿が手を離れてやっと、駅ビルの中の本屋を覘く気持ちが生まれました。その時、最初に手にした本が角田さんの『拳の先』と『南洋と私』と題した寺尾沙穂さんの本でした。何故に手にしたかというと、本が放つ気配が果物のマンゴーとパパイヤの完熟色だったからです。で読み始めてアプローチの仕方やテーマが『ひとりの記憶』とほぼ同じで驚いてしまいました。世代も僕よりはるかに若く、戦争をリアルに語れる人が亡くなって行く中で、寺尾さんなりの方法で戦争があった時代や社会を語る本でした。寺尾さんのお仕事のことをベルリンでドイツの戦中、戦後と向かいあっている知人に「何か仕事のヒントになるかもしれない」と送ってあげた直後に対談の話が届きました。寺尾紗穂さんは音楽活動以外に『南洋と私』の他に、原発で働く人たちに関心を寄せたり、日本の土俗文化の残る地を訪ねたりと、精力的に活動されている、音楽家で作家さんです。

 

2016/06/11 ()

15:00 - 17:00 (14:30開場)

会場:本屋B&B

チケット :前売/席確保(1500円+ 1drink order 

会場住所:東京都世田谷区北沢2-12-4 第2マツヤビル2F

電話:03-6450-8272






●2016.03.06

『ひとりの記憶』を発表してひと月になります。

まだ数えるぐらいの人たちしか手にされていないと思うのですが、これまでだと新作を発表すると必ず多方面から連絡が届きますが、『ひとりの記憶』ではまだ3通だけ。この静けさはなんだろう。


千葉で有機野菜を作っている方が「一つの章を読み終わっても、すぐに次の章に移らず、しばらく笠原さん(第一章の人)のことを思いながら生活をしています」と、連絡をくださいました。

 

作家の角田光代さんが『ひとりの記憶』を読んで、「幸福だとか不幸だとか、そんなことは関係なく、そこに人が居て生きて来たという真実」と言った意味合いのことを書評に書いて下さいましたが、個々の表現の差異はあるにしろ読んでくださっている皆さんの中で、静かに何かが動いているのかもしれません。


「人生の真実」と題した角田さんの書評は、人生に対する考察力の鋭さ深さにはプロの物書きの厳しさを見せられた思いです。というか人間、角田光代を『ひとりの記憶』にぶつけて下さり有り難かったです。

 

『ひとりの記憶』について少し説明をします。

本の中に登場するのは10人。男性6人女性4人になります。戦前、日本が植民地支配していた朝鮮半島や信託統治していた島々で生まれた人が3人。同じように日本が植民地支配していた台湾に、働きに行った両親に連れられて行った人。戦前に沖縄から台湾に渡り戦後も台湾で漁師として生きた人が一人。戦争が終わる3か月前に満州にある看護学校に勉強に行った人。北海道で生まれ、その後家族で樺太に渡り、終戦後にシベリアに抑留された人。兵士として海を渡り、戦後もインドネシアに残留した人が二人。戦争が始まる前に福岡からキューバに移民として渡った人が一人。皆さんの中に「戦争の時代」が共通して流れていますが、いわゆる戦争の話ではありません。僕は本の中で「人生」という単語を使いきれませんでしたが、戦争があった時代の前後を生きた人たちの話です。

 

版元の文芸春秋に「本として纏めたい」と400字詰めで500枚程の量の原稿を送り読んでもらったのが、昨年の7月の頭、そして本として形にして社会に提出できたのがこの一月。僕はこの10年近く『ひとりの記憶』と向かい合って来ていた訳ですが、編集者はこの数か月間、半年間という短い時間の中で『ひとりの記憶』と向かい合うのに大変だったと思います。『ひとりの記憶』を編んで行く途中、文芸の編集部の一人の方が「橋口さんの表現を弄ってはいけない」と、その考えを編集部内で共有しあい守ってくださり、出版に辿りつけたことに、本当に心から感謝をしています。ここにきて完成を急いだのは、これ以上は僕の神経がもたないと自分で判断できたから。

 

 

JAが発行する『家の光』3月号で、東日本の被災地をテーマにした、写真作品と原稿を発表しています。


・『Them magazine』009号が路上をテーマに特集をしていますが、『視線』の作品2点が紹介されています。


『家の光』も『Them magazine』も『ひとりの記憶』の原稿を校了した直後に依頼が届きました。僕の中で他のことと、向かい合う余裕が出来た時で良かったです。