HASHIGUCHI George

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橋口便り
橋口便りバックナンバー・04(2005.7〜2005.12)


●20051228

ベルリンは25日は晴天で、26日は雪が舞い5〜6センチほど雪も積もりました。一日おきに青空と雪、神様も粋な図らいをするものです。僕のフラットは中庭に面していて四方の建物が良く見えるのですが、25日に灯りが付いていたのは、僕の部屋をのぞいて2箇所の窓だけでした。皆家族の住む街に戻ったのでしょう。クリスマスは家族か親しい人と過ごす日本の正月に近いと思います。僕もベルリン以外で過ごすことを考えたのですが、この一年が慌ただしい時間だっただけに、自分のリズムをとりもどそうと思い、ベルリンに残ることにしました。

25
日は天気も良かったことも有り、久しぶりにカメラを持って外に出かけました。以前から気になっていた中庭を撮影をしていたら、住民の一人が窓から顔をのぞかせ、このアパートが189年に建てられたものだとわざわざ教えてくれました。そして仕上がった写真を売って欲しいといい、自分の名前と住所を紙に書いて渡してくれました。それから1時間後、川沿いでカメラを構えていると、近所に住むパンクのカップルが声をかけてきて、僕のカメラの先にある建物を観ながら、この辺の工場は185年に建てられたものだと教えてくれ、そして自分たちが飲んでいたビールを飲まないかと差し出してくれました。僕がお酒が飲めないことを話すと今度は巻きタバコを勧めてくれましたが、煙草も駄目なのだと答えると、ケッという感じで、顔をしかめてしまいました。おそらく彼らなりに風の吹き抜ける橋の上で三脚を構えている僕を見かけて、敬意と労いたかったのでしょう。顔をしかめながらも、川沿いのトレラーで暮らしているとのことで、今度遊びに来ないかと誘ってくれました。


撮影が終わり、三脚をたたんでいると、つま先からジンジンと染み込んでくる冷気を感じられて、自然と嬉しくなる自分がいました。この冷気も人との出会い方も15年前ベルリンの写真を撮っていた頃とまったく同じリズムだからです。僕はこういう出会いを積み重ねてベルリンの街に入って行きました。そうです、しんどくなったら「ここ」に戻ればいいのです。自分の方向がみえなくなったら路上に戻ればいいのです。

前のメールでトラブル続きと書き混乱させたようですが、価値観の異なる人間が仕事をして行けば必ず起こる、感情や考え方の齟齬です。僕が今度のベルリンの仕事で感じたのは、仕事をしていくうえで、生じた齟齬を埋めて補いあう努力の出来ない人が仕事の現場に増えていることに驚かされました。それと思惑で動く人と、打算的な人の多さもです。僕が作品造りと対極に居ると書いたのは、作品造りの過程ではさまざまな問題が派生します。そして立場や仕事力の異なる人が沢山関わってきますが、作品が残っているということは、関わり方がなんであれ皆責任をもち現場に居たということの他にありません。仕事はなんであれ簡単なことなどなく、苦労して当たり前だと僕は思っているので、この一年が特別大変だったという事ではなくて、ただ仕事において、少しずつ無責任な人が社会の前線に増えてきている、というその事実が冬の雪雲みたいに僕の上にのしかかっているのだろうと思います。ベルリンに限らず年齢に合わせて自然に培われて行く、人間力が鍛えられることなく年を重ねている、 社会が人を育てなくなっているということなのでしょう。マイナス思考かもしれませんが、これから仕事をして行く場合には、東京からスタッフを連れてきたほうがよさそうです。

ですがこの数ヶ月のワークショップで、心ある絵描き3人と会えたのは大きな収穫でした。なによりワークショップ参加者一人一人の人格に触れられたのは、大きな喜びであると同時にこれから先、僕にとって大きな心の財産になると思います。そしてベルリンの教会の集会場でスチルムービーの裏方として動いてくれた日本人留学生たちの存在は、組織の中で、無自覚な日本人が多い中で、僕にとっては意味のある出会いでした。

あとケルンの文化会館で、僕のスピーチを聞いたあと、歓談の輪から離れ、長い時間一人静かに作品と対峙してくださっていた、若い外交官の存在も強く心に残っています。日本人外交官です。他の作家はどうだか分かりませんが、僕は作品を作る過程や発表する時、ある特定の人の存在を意識して、「あの人に届けたい」と思いで発表しますが、この一年の滞在で意識する人たちが増えたのは確かです。ですからただ大変だったということでは無いので、誤解をしないでください。

あとクリスマスに合わせて良いニュスが日本とベルリンから一っづつ届きました。日本からはこの数年相談に乗ってあげていた写真家の作品集が完成したことと、ベルリンからは最初のスチルムービーの中心になってくれたドイツ人が日本政府の奨学金がもらえることになり、日本での勉強の機会がかなったそうです。二人とも今年は本当に努力して頑張ったと話してくれました。要領ではなく努力をすれば報われる社会がまだ少しですが残っていることに希望を見たいと思います。僕も来年は久しぶりに自分の作品を外に向けて発表します。頑張らないといけない。



●20051218

昨日の朝屋根の上に雪が降り積もっていました。この数日雪空が続いていただけに、やっと降りてきてくれたという感じで僕は嬉しいです。

街はバーゲンが始まり、買い物や散歩を楽しんでいる人でにぎわっていますが、僕のフラットの周辺の買い物客が手にしている袋が、クーダムやポツダマプラッツを行き交っている人たちとことなり、慎ましく質素な感じがとても好ましく僕には映ります。たぶん東京、吉祥寺のこの時期の光景が眼に焼きついているからかも知れません。僕は年齢のせいもあると思いますが、消耗品(下着、靴下)以外、この数年買い物をしたことがないです。毎年、ジャケットが欲しいとかいろいろ考えるのですが、お店に行き試着をするとなぜかそれで満足するのです。「そうかこれが今年の流行なのか」と試すところでいつも止めています。作品を作ること自体に沢山のお金がかることもありますが、たぶんやっと自分に必要な物、量がこの年齢に来て分かったということなのでしょう。

買い物客で賑わう街かどに、頬を赤くそめ、身体を震わし両膝を路上に付き手のひらを広げ、助けを乞う姿をよく見かけるようになりました。ベルリンでは路上で助け(お金をもらう)を乞う姿は特別なことではありませんが、クリスマスという時期が時期だけに、身につまされるものがあります。スーパーの出入り口で、ビールを飲みながらお金をねだるパンクと異なり、僕にとっては人ごとではない気がします。それだけに、彼らに失礼のないよう、「どうぞ」と言葉をかけながら手のひらにお金を置いています。たまたま僕は路上に座りこむことがなくて、幸運ですが僕と路上で助けを乞う人とそんなに違いはないし、僕の状況はいつ路上に座る彼らと同じ状況に陥る可能性があるところに僕はいます。周りに僕がど映っているか分からないですが、僕はいつも背中のどこかで危機感を感じて生きている気がします。大げさな言い方ですが「魂を売ってまで社会のなかで生きる気はない」という思いがどこかにあるからだろうと思います。そういう僕はたぶん、周りににはうっとおしい存在なのだろうと、想像します。

この一年間のことを、報告をしなければと思いつつ、このような場でどこまで書いていいのか、おそらく書けないことが多いと思います。ただこの春から、今日までずっとトラブルの中に居たのは事実です。正直つまらない消耗をしいられています。

10日ほど前に、アメリカの社会学者が僕の仕事を学問的に位置づけた論文と、来年5月に出版される僕のこれまでの仕事(作品集)のコピーが届きました。コピーの写真を1枚1枚みながら、今の僕はずいぶん遠くに居るのもだと痛感しました。車で日本を移動しながら、気になった人に声をかけ、自分を説明をして写真を撮らせてもらい、言葉を記録させてもらう。勿論僕のことなど知らない人達に声をかけていくから、声をかける僕は勿論ですが声をかけられた人も、人間力の勝負です。それにふりかえ、今の僕の状況は作品づくりとは対極のところにいます。

電車の時間が来ました。僕はこれからワークショップを試みる為に、Gotbaという街に出かけます。今日は急行が使えますが3時間半の旅になります。

皆さんも良いクリスマスを。



●20051212

ミリアムさんに続いて、1月9日発売の「世界」で紹介するエヴァさんの原稿を今日、読みました。原稿を読み終わり、 正直このこの数ヶ月間人間関係にまつわる困難な状況が続いていただけに、やっと報われた感があります。報われたというより、新しく、オリジナルな視線を持った作家に出会い、彼女たちの仕事に関われたことになんともいえない喜びと幸福を今かみしめているところです。そして責任もです。

3月号のアナさんは、まだ自分の視線の質に気づいていないところがありますが、エヴァさんは自覚をしてカメラを持ち社会と対峙していると思いました。彼女はポーランド人ですが、ポーランドはロシアとドイツに挟まれた国です。いつの時代も自分達の価値観やリズムで生きることを許されてこなかった、これまでの国の歴史が彼女の視線と覚悟を育んでいる気がします。エヴァさんの仕事が素晴らしいのは、人間はだれであれ、存在そのものに価値があることを伝えてくれていることです。そして僕は特に女性に見て欲しい作品です。しっかりした仕事が出来て良かったです。

作品は勿論ですが今日、原稿を読み、世界(worldの意味)に先駆けて日本で紹介できたことを誇りに思える日も必ず来ると確信しました。今月始めからエヴァさん他二人の作品集づくりに入りましたが、個々の持つ、写真や生き方に対するモチベーションに違いが見えてきたので、少し考えなおしたいと思います。

この9月、「世界』の編集部に3人の作品を持ち込み、編集部の人たちを悩まさせてしまいましたが、気持ち良く紙面を空けていただいたことに感謝するとともに、3人の作品が登場することで機会を失った日本の作家のこともキチント心に留めて置きたいと思います。ですが「世界」を見てもらえれば、きっと納得してもらえると思います。

それより12月に入り、気持ちと時間に余裕が持てるようになった今、また昔みたいにベルリンの街を歩き始めましたが、眼に止まるものが違います。この数ヶ月ベルリンにいても何も見えていなかったことに気づきました。改めて心の気の持ち方で視線の質が変わるものだと認識を新たにしているとこです。五感は正直です。ですがまだカメラは提げていません。

昨夜近所のカフェでローソクの灯りを使い勉強をしていたら、お店のご主人が胸に手をあてて、お店からといって、ホットレモネードをご馳走してくださいました。人間はやはりいいです。仕事(生き方)でどんなに苦労をしても、やはり自分の気持ちや動機や感情に正直にありたいです。というより有りつづけたいと思います。

11日グリマに出かける、電車のスケジュールが今届きました。なんと朝7時5分発の電車で、途中3回乗り換えて4時間かかるそうです。急行が使えたら乗り換えもなく、もっと早く着くのですが、一番安い週末チケットを使う為に時間がかかるのだそうです。ちなみに一日五人まで乗り放題で30ユーロです。



●2005124

早いもので、ベルリンに来てもうすぐ一年です。そろそろこの一年を総括する時期が来ました。このところこの過ぎ去った一年の時間の意味を良く考えます。作家橋口にとっての意味。社会人としての意味。作家として残された時間が計算できる中でのこの一年の意味。個人としての意味もありますが、僕の場合、仕事と日常の境目がないので、存在の仕方や関わり会い方そのものを語ることになりそうです。重たい話になりそうなので、その前にとても心暖まる話をしたいと思います。

今旧東ドイツの町、グリマの教会で十二月二十四日から一月六日まで、僕を含めてベルリン、ドレスデンで表現を勉強をしている若い作家の作品を展示して入る事はお伝えしたと思います。(展示作家は僕が選びました) この教会以外でも河を挟んだ向かいの丘にある、旧貴族の館のパ ピリオンでも同時に展示をしています。この館は昔、森鴎外が宿泊した館だとかで芳名張に日本人の名前が記されているのには、正直驚きました。貴族の館はグリマの街を見渡せるところに位置していますが、戦後旧東ドイツ時代に意識的に火を放たれたそうで、敷地の建物の半分は焼けた後が、今でもなまなましく残ったままです。現在修復中ですが、復旧するまではまだまだ時間がかかりそうです。

話を戻すと、展示はそれぞれ作家自身が作品を運び展示する方法をとっています。僕らベルリン組は事前に作品を吊るピアノ線の太いのを用意していったのですが、ドレスデン組が準備してきたのは針がねでした。見た目のことを考え、作品を吊るすものをピアノ線に統一させることにしました。そしてドレスデン組の一人がピアノ線の見本を持ち街の画材やさんに出かけました。 作品を吊る為に必要なピアノ線は十三本、金額にして60ユーロほどです。日本円にして約8000円です。お使いに行った、美学生はその金額を聞き、驚き困惑したそうです。見本を片手に画材やでオロオロする姿が眼に浮かびます。美学生にもよりますが、美学生の大半は画材に大半のお金を使います。分かり易く書くと誇りある貧乏人です。たまたまですが、彼女の着ているコートの後ろは、虫に食べられた後が、大きく継ぎはぎされていました。ドイツには毛製品を好んで食べる蛾がいるそうです。微笑ましいです。

ピアノ線を前に、オロオロしている美学生に店の主人はおもむろに、目的を尋ねたそうです。彼女が、教会に作品を展示にドレスデンから来たことを話すと、お店の人は,お金はいらないから使い終わったら返してくれたらそれでいいと、ピアノ線と吊るのに必要な金具を手渡してくれたそうです。そして彼女が保証がわりに免許書を渡そうとしたら、それも必要ないと、笑いそして保証金として三ユーロだけ受け取られたそうです。その上に十二本は貸して、一本は貴方に記念の為にプレゼントするは、とまで言ってくださったそうです。誰にでも店主がそう対応するわけではなく、お使いに行った美学生の人柄によるところが大きいと思います。もちろんお店のご主人の人間感、そして教会がこの街で果たしている役割。さまざまなことが折り重なり、導きだされた結論だと思います。そしてなにより画材やの御主人の中には「社会」が存在していると思いました。

個人の利害を超えて「私」の欲望だけではなく、「公」の為に自分の出来ることをする。少し大げさな言いまわしになりましたが、僕が20代だったころには、僕の母国の日本でも普通に人々の中に存在していた感情と思想でした。一度消えた価値観をとりもどすのにどのくらいの時間が必要なんでしょうか?つい最近雑誌「世界」の表誌に登場した十七歳の少女が「分かちあって生きたい」と言っていた言葉を思いだしました。感情や思想は宗教感と言う言葉に置きかえることが出来ます。宗教感、思想というと今の日本ではネガティブな印象が支配的ですが、個人の生きる哲学というと身近に考えられるかもしれません。話は飛びますが、今の日本で思想や感情が消えた責任は僕らの世代に責任があるような気がします。

話を戻すと、 その報告を聞いた僕らが、豊かで暖かい感情に包まれたのは勿論のことです。間違い無く今回展示した作家の何人かはこのことで、この先しばらくは頑張れると思います。 話は飛びますが、僕が今回ベルリンに来て、最初はホテルに滞在しましたが、ホテルから安いホテルアパートに移るときに、そしてホテルアパートから将来のアトリエを見据えた今のフラットに移るときも、ホテルの主人はお金のことは気にしないで、今のままで作品を制作したらと引きとめてくださいました。その話をことあるごとに、ベルリンであった日本人に話していますが、その時の反応はさまざまです。反応の仕方でその人の価値観が透けて見える思いです。

話を戻すと、人間が生きていくのに必要なものは、お金や物も必要で大切なことですが、ですがそれ以上に、気持ちや感情です。そして思想。そのことを改めて再確認させられた一日でした。

この11日、グリマの教会でミサの後作品レクチャーをする時間をいただきました。出来ればレクチャーの後、来年以降の話を教会としたいと考えています。次は新聞に載るかどうか分かりませんが、今回の展示の為にプレス用に書いた原稿を紹介をします。そして十二月九日に発売される「世界」に僕がこの半年間付き合ってきたベルリン在住のドイツ人作家の作品が掲載されます。写真もさることながら作家の価値観が記された原稿を是非読んで欲しいです。今の日本で作品を作っている人たちに欠落している思想と視線です。十二月十九日から二十二日までSalzmannchule(旧東独)のギムナジュームでワークショップを開きますがこれで区切りにしたいと思います。冬も来たことだし、そろそろ写真を撮りたくなりました。



●20051124

ベルリンはこのところ、毎日路面が濡れています。1週間ほど前だったか雪もチラついていました。そう冬がやって来たのです。ベルリンの人は冬は大嫌いだといいつつ、足元のブーツやもこもこのストールをクビにまいてるのを見ていると、僕には結構楽しんでいるように映るのですが、どうなのでしょうか?

先日この半年間張り詰めていたものが取れたのか、始めて2日間寝込んでしまいました。正直この半年間は仕事が大変というより、背後に恐ろしい気配を感じながらの日々をすごしていました。おそらく普通の人だったらとっくに潰れてたと思います。いろんな意味で情けない現状です。

風邪薬が身体にに残ったまま、3ヶ月ぶりに語学学校に戻り、テストを受けたらいきなりグラマーで45点をとってしまい、クラスを3クラスも落とされてしまいました。下から2番目のクラスです。落とした先生は新人の先生で、結果を伝え聞いた他の先生たちは僕の日常を知っていただけに一瞬学校中が暗くなってしまいました。受付の女性は、「3ヶ月ぶりなのになんで」とダイレクターを呼びに行ったりとちょっとした騒動でした。しっかりしないといけない。

フランクフルトオダーでの展示も無事に、先週の土曜日に終わりました。最終日は、作家自身に自分の作品を作品の前で語ってもらいました。広報がキチントできていなかったことも有り、参加した人は教会の牧師さんに働いている人を合わせて20人足らずでしたが、若い作家には心に残る日になったことと思います。そうだわざわざ市の副市長さんが足を運んでくださり、市の美術舘の図録を作家一人一人に手渡してくださいました。収録されている作品は、統一後のものばかりだっことが気になりましたが、その心づかいが嬉かったです。

実は明日グリマの教会に作品を展示に出かけます。フランクフルトオダーはベルリンで勉強をしている日本人作家が中心でしたが、グリマはザクセン州なので、ドレスデン、ライプチヒで勉強をしている、日本人美学生の作品を中心に展示をしたいと考えています。皆の横に僕の新作も展示をします。グリマの教会は現在も使われている教会なので、おそらく沢山の人に見てもらえると思います。しかも展示したあくる日から、アドベントクラントが始まります。クリスマスに向けて周に1本ずつローソクの灯りがともされるのです。

今度の展示は、先に試みたワークショップに対する、教会からのお礼の展示としての位置ずけになります。そして展示は新年まで展示するので、街の人にとっても作品にとっても幸福なひと時が育めそうです。

少しずつ少しずつ繋がり始めています。



●20051112

ワークショップ、スチルムービーとも無事に終わりました。 ワークショップの時間が土、日の2日間と限られた短い時間でしたが、休憩15分を挟んで一日3時間半、普段スポーツで鍛えられているだけに、彼らの集中力は見事でした。

月曜日にスチルムービーの公開が決まっていましたが、土、日の2日間は日本の17歳のテキストに込められた思いを、個々どう解釈するかに重点を置いたワークショップにしました。彼らの考えを聞きながら、その間あいだに、それぞれ「どんな大人になりたいか」「逆にどんな大人にはなりたくないか」「貴方の考える自由とは」「好きな季節と、色と音楽」「貴方の拒否するものは」とインドや東京で試みている問いを投げかけました。

このさりげない質問を投げかけることで個々の差異が見えてくるのと、彼らが置かれている生活環境が見えてくるからです。

その答えで共通していたのが、「薬物を拒否する」と答えた人と「経済力を身につけたい、経済的に自立したい」との答えが印象的でした。薬物はドービングにつながり、経済力はそのまま今のドイツ社会、特に彼らの両親が暮らす旧東独地域の失業の多さを語っていると思いました。それに彼らは努力して成功すれば豊かな暮らしが手に入るのが見えているのだと思います。あとなんだろう、僕の想像を超える競争社会(しかも大人)を生きているという印象も受けました。

そして参加者の中に北京オリンピックにケガをしない限り確実に出場できる可能性のある生徒が二人いました。柔道選手の中には、日本の井上選手、鈴木選手(共にオリンピック金メダル)と練習した生徒がいました。その時の感想を尋ねると「光栄でした」とかみ締めるように答えていたのが、心に残りました。

柔道選手にとって「鈴木」「井上」選手はたえず羨望の眼で世界中から見られているのですね。僕はそんな彼らに、古賀選手(現在はコーチ)の世田谷高校時代の話をしてあげました。僕は柔道家の中で特に「古賀氏」が好きなのです。彼のことはTVを通してしか知りませんが、当時の古賀選手が放っていた「気」は僕の作品「視線」に出てくる彼らと同じ「気」でした。頭を剃り上げ、狼の形相で畳の上で戦う「古賀選手」を見ながら彼には柔道があって良かったと思うと同時に、社会に去勢されていない10代の(人間と置き換えててもいいと思います)生身と魂を見た思いでした。

鹿児島生まれの僕は柔道が特に好きなのです。

スチルムービーは当日20分程の、読みと流れの確認しかしませんでしたが、とても良かった。会場の教室にマイクがないことが分かり、迷うことなく僕は彼らの肺活量にかけてマイク無しで試みました。 60人あまりの来場者がありましたが、彼らの朗読の声は後ろの席まで届いていたそうです。途中何度も、笑いやため息が来場者から漏れていました。

朗読の読みの練習をしなかった代わりに、テキストに込められた「日本の17歳」の思いを想像しあったことが、彼らの朗読力に繋がったようです。

読みの練習をしなかったのは、時間がない中で本番を見据えてワークショップを進めると、作業の押し付けになるのと、大人(僕や関係者)のためのものになるからです。先生たちは本番を気にされていましたが、そのつど「流れなんて分からない、主役は生徒」とそんな声を押し返して本番に臨みました。

先に試みたグリマでは今回の逆でした。グリマの少年少女は、社会から少し外れたところに居たので、スチルムービーを成功させることで、彼らの中に残る達成感を大事にしました。

グリマでは2回、フランクフルトオダーでは3度も新聞が取り上げてくれました。有り難いです。

今回のスチルムービーでは、参加者が自分で選んだテキストを読んだ後、なぜ自分がその人を(テキスト)を選んだのか朗読の後一人一人みんなの前で話してもらいました。スチルムービーが終わったあと、来場者から出てきた要望は「ドイツ版のスチルムービー」を見たいとの要望沢山ありました。「これ以上、人に関わったら僕の神経が確実に壊れる」と思い、「難しいです」と答えました。

写真を撮り、言葉を記録することは、簡単ではないですけど、やって出来ないことではないです。製作のプロセスの大変さよりも、少年少女、そして社会に関わった責任のほうが、製作の大変さよりはるかに何十倍も重くて大変なことなのです。

フランクフルトオダーの教会でもドイツとポーランドに関する提案をいただきましたが、その提案も即答することを避けました。

話は飛びます。

ワークショップと平行してフランクフルトオーダーの教会でベルリン、ドレスデンで表現活動をしている若手の日本人作家の作品展を開いています。 (この試みの理由は改めてしたいと思います)

この19日、午後12時から会場の教会で5人の出品作家自身がレクチャーを試みます。作品は4メートルのドローイング(教会の天井から吊り下げています。) 四季を表現した4枚の絵。人間関係を具現化したインスタレーション。七色のインクを使い天上から糸をたらせて虹を作っている作品。 彼は虹が神との約束の地であることを知らなかったのですが、教会という場所にとてもよくあったインスタレーションに仕上がっています。

それに僕に新作の作品です。

新作は2メートル6センチのボードに1本のフィルム12カットをセレクトすることなく連続で並べたものと、今「世界」で連載をしている「17歳」の表紙の顔12枚を同じ2メートル6センチのボードで連続で見せています。初めは各写真を30×30で仕上げるつもりでしたが、3メートル60センチのボードをどうして運ぶのか、素朴な課題にぶちあたり18×18でプリントをしました。

個々の作品はそれぞれ作家が自分の手で電車で運び教会関係者の助けを借りて展示をしました。作家が自分の作品を手で運び展示をする。この方法論はこの先もいけると思いました。今現在、他の2箇所の教会から展示をしないかと声をかけられています。ドイツには使われていない教会が沢山あるそうです。特に旧東独地域です。統一後人びとが移動した証です。 今展示に使っている教会は800年前のもので、日本の鎌倉時代に建てられた教会です。

展示する作家の後ろ姿をみながら、せめて作家の移動費と展覧会のリーフレットぐらいは用意してあげたいと思いました。なんとかしたいと思います。

展覧会、レクチャーのことを詳しく知りたい方はベルリンネットにアクセスしてみてください。

教会の名前:Friedenskirche(平和教会)

近くのバス停:Alte Universitaete

ポーランドに超える橋:Stadtbruecke

教会の隣のコンサート会場:Konzerthalle

ベルリンから フラウンクフルトオダーへは往復16ユーロですが、5人そろえば一人5ユーロで往復できます。展覧会を見て、帰りには橋を渡りポーランドで食事をして帰る。悪くないですよ。

それからレクチャーの有る最終日は搬出もあるので、手伝いも募集しています。

そうだ、吉祥寺のドナテローズでも新しい作品展が始まりました。タイトルは同じ「呼吸」で作品は今ドイツで展示しているものと同じ内容です。 これは知人がプリントをしてくれ、展示を入れ替えてくれました。

そして今日コニカミノルタプラザの会場に展示する原稿を書きあげ送ることができました。本当にこれで万歳です。本当に長くかかりました。時間も体力も神経も擦り切れかけていますが、責任を果たせて良かった。ちゃんとした仕事が出来て良かった。フリーランスで作家活動している人間は肩書きが何もないだけにこうして1個1個レンガを積むようにして関係を築きあげるのです。

いろいろありましたが、コニカミノルタの仕事(対価はともなっていません)は自分でやって良かったと思っています。

昨日深夜、フランクフルトオダーの教会から戻ると、ドアの前に紙袋が置いてあり紙袋を空けると、リンゴ5個、パン5個、マーマレードのジャム、リンゴジュース、チョコレートが入っていました。届け主は、僕のフラットの地上階にある自然食品店「BIO」の人たちでした。BIOは西荻窪にあるナモ商会みたいなものです。BIOの人たちは 「良く分からないけど、あの日本人は今大変そう」と思ったのでしょうか?

ベルリンです。



●2005117

昨日からフランクフルト・オーダーでのワークショップが始まりました。フランクフルト・オーダーはポーランドとの国境にある町なので、ワークショップの後食事は、歩いて国境の橋を渡りポーランド側で食べたりしています。

正直なところ、ワークショップ以外のところで、エネルギーを消耗しています。本当に大変。ですがそれは相手方も思いは同じだろうと想像します。ついつい自分の価値観が正しいと錯覚しがちな自分が出てきたりして、正直どう対応していいものなか戸惑っているところです。ですが戸惑いは相手も同じこと。ここは長い時間をかけて齟齬をうめていくしかないようです。

当初は実態の伴わないスケジュル表を渡され、気づいた時には引き返せないところに自分がいて、それを周りにの人の助けを借りながら、なんとか実態の伴うワークショプに固め、なんとかスタートさせることができました。ですがワークショップ参加者の生徒がスポーツ優待生なので、生徒と過ごしている時間はとても緊張感もあり充実しています。そしてザクセン州で選ばれた生徒だけに、集中力が並大抵ではないです。

ワークショップにあわせて、フランクフルト・オーダーにある教会で日本の若いアーテスト達の作品も展示をします。オープニングの日程が二転三転していますが、とりあえず作品は展示することが出来たので良かったです。この展示には若い作家の人格を展覧会が変な方向にいかないために、急遽僕の作品も展示することになりました。(変な責任感をもたずに、流すこともできたのですが、僕の名前がありスタートしたことなので避けようがないようです。)

作品は若い作家の作品だけに、評価に関係なく眩しく力強いです。

フランクフルト・オーダーは歴史的にとても不幸な歴史を背負ってきた街です。展覧会そのものはとても小さな試みですが、芸術が人と人をつなぐ役割の切っ掛けになることを祈りながらの開催です。 展示会場の教会は800年の歴史を持つ教会です。沢山の歴史を見てきたはずです。人間関係の複雑さは別ににしても、このように歴史ある場所で展示できる作家、作品は幸福です。有り難いです。

この展示がそれぞれ次に繋がればいいのですが、楽しみです。これが終われば一息つけます。

「若い写真家によるドイツ、写真の現在2005」のDVD製作も昨日仕上がったとの報告を受けました。あとは確認をして送るだけです。この作業も忍耐のいる仕事でした。

それだけにコニカの展示も、フランクフルト・オーダーの展示も少しでも多くの人に見てもらいたいです。



●20051030

昨夜グリマ(旧東ドイツでライプツィヒから電車で30分の小さな街です)から戻りました。25日から29日の午後までびっちりでしたが、余裕のあるワークショップを持つことができました。ワークショップがうまくいったいかないではなく、久しぶりに心のこもった言葉のやりとりが出来たと思います。この数ヶ月,思や、感情、気持を伝えるための言葉ではなく、確認のためだけに言葉を使う人とのやりとりが増えていたので、言葉の持つ本来の力、意味を取り戻すことが出来てとても良かった。

ワークショップ2日めの午後、ワークショップを手伝ってくださっている施設の関係者に、皆さんへのお礼はどうすればいいですか、との僕の問いに対して、「普段、芸術や美術に殆ど接していない子たちが、(参加者のことです)ここまで絵や写真について言葉にするなんて、、、、、お礼なんていりません、ここまで来てくださったことだけで充分です」と、アゴ髭をつかみ、視線は空をめぐらせながら、その日の出来事を回想されたのかボソボソと言葉と自分の気持ちをかみ締めるように、つぶやきました。いつか又詳しく触れますが、今回は絵の作品を12点用意していきました。(作者も同行しました)絵のテーマは人間関係で、街角の人と人の距離感が表現された作品です。

僕のテキスト以外に、視覚で感じていく作業は想像以上に効果的でした。

ワークショップ参加者は勿論のことですが、教会関係者、街の人(新聞に2度も取り上げてもらえました。しかも地方紙とはいえ、2度目はカラー写真つきで1面トップの扱いでした。TVニュースの取材も来ました。)も豊かな気持ちになれた5日間だったことをとりあえず報告をします。

今日から冬時間です。(時計の針を1時間戻すのです)



●20051025

先週の土曜日、小さなスチルムービーを開きました。開いたというより開いてもらったと形容したほうがいいと思います。教会の集会場を使っての試みでしたが、教会の中庭や、雨に濡れた落ち葉や木々が窓の外に広がり、遮光用のカーテンを引くのがもったいない程の雰囲気でした。集まった人は、30人強かな。スチルムービーの後、休憩をはさみ質疑応答に移りましたが、被写体にお金を払っているのかという質問が出て来ました。面白いです。お金は大切な存在だけど、人との関係性をお金に置き換えたくないと、答えましたがどこまで伝わったか分かりません。

休憩の時には、飲み物を出しましたが、水はタダで、ジュースが50セント、ワインを1ユーロで販売をして売り上げは教会に寄付をしました。この夜はベルリンでなんらかの勉強をしている日本人がスタッフとして働いてくれたのですが、いい意味で彼らの緊張した佇まいと、終わった後のある種の達成感からか、皆表情が柔らかげでした。そして誰かれとなく、記録写真を撮らなくてはと、気遣う姿にツンと来るものがありました。有り難いです。スチルムービーに合わせて教会の壁を白いペンキで塗りなおしてくれたた若いドイツ人が、両足をそろえ背筋をのばし、「今夜の仕事を手伝えたことを僕は誇りに思います」と言葉にされた時には涙が出てしまいそうでした。そして僕の写真のレクチャーを受けた学生が帰りぎわに「今度は私のポツダムの大学で」といってさよならをして行きました。有り難いです。

スチルムービーの前日、コトブスのギムナジウムに打ち合わせに出かけて来ましたが、その帰りには校長先生が駅まで送ってくださり、汽車の中で食べるようにと売店でサンドイッチとコーヒーを買って手渡してくださいました。今日も雨宿りをカフェの軒先でしていたら、カフェで働いている女性が水の入ったコップを差し出しながら、中に入ればと声をかけてくれました。べルリンです。

ドイツでの仕事は、けっして順調だとは言えないのですが、こうした周りの小さな親切に支えられながら何とかやっているので心配をしないでください。明日から5日間、Grimmaという街の教会の施設でワークショップを試みるために出かけてきます。そして月末にはミュヘンからカールが訪ねてくるので、楽しみです。アウグスブルグの生徒たちからも遊びに行くとメールが来ました。皆いい連中です。

そうだ、先日東京に送った作品が無事に届いたそうです。バンザイです。少しこれで肩の荷が下りました。



●20051020

気づいたら道行く人の大半が、コートを着ていました。そうもう冬が始まってしまったのです。

昨日午後、旧東ににある小さな写真学校で、30分バージョンのスチルムービーのあと、レクチャーの時間を持ちました。参加者は先生3人を含めて生徒が30人あまりでした。マイクも使わずの朗読でしたが、皆真剣に朗読に耳をかたむけ聞いていました。参加者の中には煙突掃除やさんの制服(仕事着)を着たままの人がいました。スチルムービー終了後、そのまま質問に移りましたが、質問の殆どが、写真と社会と表現についての質問でした。手伝いに来てくれていた、ドイツ人のフンボルト大学の学生(学生といっても20代後半です)が質問の多さに驚いていたのが印象的でした。質問が多いということよりも、ドイツ人は周りに自分がどう見られるかということを非常に気にする人が多く、他人の前では武装しがちなのです。 分かりやすく書くと、質問にしても、どんな質問をするかで、その人の価値観が見えてしまうので、人前ではなかなか本心を語らない、ということです。それだけに、素朴な質問がたくさん出てきたので、その状況が驚きだったのでしょう。

久しぶりなので何から報告したらいいのだろう。

まず昨日、来月19日から新宿にあるコニカミノルタプラザで開かれる、「日本におけるドイツ年」の催事にあわせて展示する若手の作家3人の作品を無事に昨日のお昼、日本に発送することが出来ました。万歳です。無事に届くかどうかが問題ですが。

本当に時間がかかりました。この春に相談を受けて作家と作品を探しに入ったわけですが、仕上がった作品を選ぶというより、オリジナルな視線をもった作家を探し、そして彼らが無意識に感じ持ってい「視線」の質を掘り起こしてあげながらの作品作りでしたので、疲れたし、時間もかかりました。ですが、とても確かな作品を日本に送ることができました。新しい作品が僕の元に届けられるたびに、彼ら(女性3人です)の持つ感性に少なくない嫉妬を感じながらのサポートでした。これもワークショップとして僕は位置づけています。

3人の作品は、展覧会だけではなく、雑誌「世界」の新年号(12月9日発売)から3号続けて海外特別招待作品として、紹介をすることに決まっています。なぜ結果として女性の作家3人になったのかその理由は、いつか自分の仕事の報告書としてきちんと書きたいと考えています。まず報告書を届けたあとに皆さんには報告したいと思います。

3人の作品製作を手伝うのと並行して、今ドイツで写真を勉強をしている、あるいは表現の手段にしている人たち100人(国籍、年齢問わず)の作品を集めたDVD造りも進めて来ました。これは僕自身が今のドイツ社会の写真の現在を知りたかったことと、写真の現在を知ることで、今のドイツの気分を知ることかできるのではとの思いからです。そして加えて、市場(美術舘、ギャラリー、流行)の価値観以外の多様な世界を見たかったからです。

おそらく他のドイツ年の催事は、すでに社会に認められた作家、作品、すでに多くの人が知っている表現、催しが主だと認識します。そのことは催事の性格上仕方がないことですが、僕はこの機会にせっかくの時間、機会の中に少しでも未来を見据えた試みが出来ないか考えました。そして未来を探す仕事の一つが埋もれている作品、作家を探すことだと僕は思い行動に移しました。

写真を集め始めたのが、ドイツのバカンスと重なったために、正直苦労もしましたが、最終的に132人、160作品が集まりました。先週その作品選びも終わり、今100人の作品1000点(一人10点づつ、これは、あるレベルを見るには最低限の量です)を収めるDVDを今プログラマーが製作をしています。そして仕上がったDVDの作品は展示会場の隅でモニターで流すことになっています。展示終了後は、僕自身が日本各地の大学でレクチャーかたがた、見せる機会を作りたいと考えています。予算の余裕があれば応募者全員に完成したDVDを配りたいと考えています。DVDを配ることは、このプロジェクトに参加してくれたその気持ちに答えるためにも、予算に関係なくしなくてはならないことですね。

作品選びは、体力勝負でした。それに僕のプロジェクトの情報を知り、直接レクチャーを希望する学生が日増しに増えてきて、7月、8月は2日に1度の割合で複数の人の作品を見てあげていました。ドイツらしいのは、明日からバカンスに出かけるので、今日中に見て欲しいという人が少なくなかったことです。俺もバカンスに出かけたいと心の底で思いつつ、声をあげた責任が僕にはあるので、ほとんどの要望に応えてきました。昨日の作品の梱包にしてもそうですが、2人は自分たちで梱包をきちんとしたのですが、一人は他の人とのとの約束があるのでと、途中でそのままにして帰ってしまいました。あくる日早く来るかと思いきや、梱包が完全に仕上がってから、ハローとニコニコ顔で現れましたが。これがもう一つのドイツなのです。仕事の途中でも、時間が来ればさっさと帰り、バカンスに出かけて行く。これで社会全体が動いているのでこれでいいのでしょうが、日本人の僕にはなかなか理解できないことです。

10月に入り、旧東ドイツの街に、スチルムービーの打ち合わせに出かけていますが、ワークショップの日程が決まっていく一方で、昔の政治体制の名残をしばしば肌で感じています。名残とは、情報管理とセレモニーの多さです。そして旧東側では「コネ社会」が変わらず影響を持ち続けています。しかもそんな人たちの多くが、旧体制改革のデモの主導者だったという事実が、さらに複雑な現実として目の前に立ち上がって来ています。難しいですが、彼らとのリレーションシップをとりながらのワークショップが今月25日を皮切りに数箇所でスタートします。

9月に始まったケルンの日本文化会館でのオープニングはとても心に残るオープニングになりました。僕の予想とはうらはらにオープニングの来場者の8割が、普通の市民というところが素敵でした。作品の前で、朗読を試みましたが、朗読の内容に反応して時折笑み聞こえてきたりして、とても良かった読はラファエル・トーマス氏。そして作品の展示は、ドイツ在住で、同じ写真家の上野氏が全ての設営をしてくださいました(数日かかったと聞きました)。

展覧会に合わせて、文化会館の方が、作品のテキストをドイツ語に全部翻訳して小雑誌を作ってくださいましたが、当初はテキストは僕の「生活権」でもあるので、無料配布に僕自身が難色を示し、会館の人たちを困惑させてしまいましたが、来場者の佇まいに触れ、その場で僕自身の言葉で無料配布を皆さんに伝えました。

この決断は僕は間違っていないと今でも思っていますが、文化を営みにしている人間の責任として、これで良かったのかとの問いは今でも心の隅にあります。なぜならこの一つ一つの積み重ねの先に、日本人の文化に対する価値観が出来上がって行くのと、文化を文化としてリスペクトしていく価値観が形成されるからです。僕は困惑していることを、素直に会館の方々に話し、皆さんも困惑しつつも誠実に橋口の困惑に耳を傾けてくださいました。

その姿勢とわざわざオープニングに足を運んでくださった人たちのたたずまいが、いい答えを導きだしてくれました。会館の方々の、その時の感情は僕は想像できます。ですがこういうプロセスの積み重ねがとても大切な気がします。結果の良し悪しではなく、会館の人たちが、「大人」で「心ある方」たちで助けられました。だからこそ、今でも僕の中に申し訳ないことをしたという気持ちが有るのだと思います。

僕は写真集を製作してその印税で次の制作費に当てていますが、印税をもらっていない作家が実はほとんどなのです。名前を出すことは控えさせてもらいますが、皆さんが良く耳にしている大家といわれる写真家ですら、作品集が残ればいいとの理由で印税をもらっていない人が大半です。彼らはコマーシャルで稼でいるので印税なんて鼻くそみたいなものでしょうが、後から来る作家は大変です。文化に全ての対価を求めてはいけないことは、僕は理解をしています。ですがこの問題は本当に難しいです。昔の芸術家はどうしていたのでしょうか?

写真集といえば、僕のこれまでの仕事の合本が決まりました。この本は社会に届けるというより、僕の仕事を歴史に残していくという意味あいの本になります。おそらく500ページ以上の本になることは確かです。保存版を作りつつ普及版をどうするのか、今編集者と相談をしているところです。保存版は来年夏前には完成させるつもりで動いていただいています。

実は合本のタイトルは、すでに決定しているのですが、そのタイトルの単語が先のオストクロイツの写真学校での質問の中に出てきたのには驚かされました。質問した彼は、本のことなど知らないので僕の合本の方向は間違っていないことを確信をしました。

作品を無事に発送できたという安堵感からか、昨夜は熱が出てしまいダウンしてしまいましたが、 今日はもう大丈夫です。

25日からのワークショップの前に、21日はコトブスというポーランド(チェコに近いですが)との国境の町に打ち合わせに出かけてきます。そして22日はベルリンの中心にあるティアガルテンの、教会でスチルムービーを開きますが、これはベルリンで勉強をしている、日本人留学生が中心になっての開催です。会場との打ち合わせ、広報、接客、技術関係の確認。少なくない人が動いてくださっているようです。面識のない留学生が大半ですが、皆の気持ちを大切にしていきたいです。



●20059月3

また数日前から太陽が戻ってきました。ですが日差しはもう秋を感じさせています。

今日はどうでもよく楽しい話です。

この一週間というもの、朝起きると電話が通じなくなっていて、昼戻ると又繋がっているというとても不思議で楽しい日が続いていました。テレコムも事情が良くつかめず、故障を連絡して技術の人が来るとチャンと電話は普通に通じているという、電話に遊ばれている感がありましたが、昨日僕の部屋から400メートル離れているところに問題があったとテレコムから連絡がありました。400メートルというところがドイツらしいです。

これまで洗濯は風呂桶のなかで足で踏み洗いをしていたのですが、シャツが擦り切れて来たので、1ヶ月前からコインランドリーに通い始めています。そこはさながら飛行場の待合室のようにさまざまな言語が飛びかっているのですが、先日洗濯機の上でインドのクリシュナ教の格好をして瞑想スタイルであぐらをかき、マントラ(お経)を唱えていたドイツ人がいました。奇妙ではありましたが、正直新鮮な光景でした。しばらく耳に懐かしいマントラを唱えていたかと思うと、おもむろに腰をあげ、乾燥機から洗濯物をとりだし、ぐしゃぐしゃのまま袋につめて出ていきました。ぐしゃぐしゃと書きましたが、僕の通うランドリーでは乾燥が終わった後、男女に関係なくほとんどの人が丁寧に靴下、下着シャツとたたんで袋やバックにつめて帰るのですが、洗濯機のうえに丁寧にたたんで分類している風景にいつも僕は静かに感動しています。おそらく彼らの部屋もとても綺麗に整理整頓されているのだろうと想像します。

今日はこれから夕方の便でケルンに向かいます。明日展示の確認をして、9月2日にはオープニングです。

展覧会のために、新たに原稿を書いたのですが。撮影から10年の歳月しか過ぎていないのに、あまりの生活環境の変化に驚いています。つい数年前に、この10年のことを失われた10年とメディアは形容していましたが、考えようによっては10年戻れば済むことのような気がするのですが?



●2005815

スペシャルナイトの話のまえに、8月というのに2日前に暖房をいれました。このまま秋に突入するのでしょうか?思い出してみれば僕は20代のころ北海道の知床半島にある昆布番屋で住まわせてもらっていたことがありましたが、8月には蒔きストーブをたいていました。それに先の戦争後も日本に帰国することなく、シベリヤアとカムチャッカ半島で暮らす日本人を訪ねた時も、この時期すでにペチカを炊いていた記憶です。ベルリンは北国なのですね。

雨がこの夏多かっただけに、ふと思うことがありSバーン、ハッケシャーマルクト駅のホームに続く階段の下を見に出かけてみました。そこでは自分の店を持てないアジア系(おそらくベトナム難民)の人が、いつも小さな露店を出しているからです。鈴蘭の季節は鈴蘭、最近はプラムを並べていましたが、プラムの横に不ぞろいのキノコが並んでいました。プラムにしろキノコにしろ森で採ってきたのでしょう。

ハッケシャーマルクトの駅だけではなく、野の花を摘んで花束にして、アルミのバケツを片手に一ユーロで売っている人は良くみかけます。生活が大変なのだろうと思うこと以上にこうして少しづつ自分の生きる場を作っていけるベルリンは本当にいい街です。

そう、キノコの季節がやって来たのです。北海道や長野の八ヶ岳山ろくのマツタケも確か今頃から出始めるはずです。普段生活をしていると、緯度なんて殆ど考えませんが、野の花や自然の移り変わりをみていると、ついついこれまで旅してきた先の風景を思い出しては、頭の中で緯度を確かめています。森のキノコのことは気がかりですが、まじかに迫った展覧会のリーフレットや招待状。そして新たなプリント。会場でのレクチャーの準備と今しばらくは森には入れそうにはありません。

それにドイツの学生の写真を今集めていますが、その作業がこれから佳境に入ります。写真を集め始めたことで、自然な形で各地の学校と関係が生まれ始めています。本当にゆっくりですが橋口の考え方に耳を傾けてくれる人が少しずつ手をあげてくださって来ています。一見遠回りに見えますが、確かな関係がドイツの人たちとでき初めてきました。それにしても彼らがフィルム1本2本と限られた本数で写真を撮っているのを知ると、日本の恵まれた環境は改めて特別だと思います。

と同時に、デジタルは人や心を育てないと確信するよになりました。なぜならフィルム一本買う時、シャッター1枚押す時、人々はさまざまなことを学び選択をするからです。デジタルは便利ですが、便利なこと以上に負荷のほうが多いような気がします。

先のアウグスブルグでの質問の中で「貴方の未来は」という質問が出てきましたが、僕は「分からない、だから生きているし、たぶん分からないということは未来があるということだと」答えました。デジタルに話を戻すと、その場で見れることは便利には違いありませんが、現像するまで何が映っているか分からないこの時間がとても貴重だし、この時間が人を育てるのだと僕は思います。

キノコから未来にと話がとびましたが、20代始め「指輪物語」を読み、この頃から未来や社会のことを考えるようになった気がします。

本といえば、日本からまた新しい本が届きました。

「ムスリムの女たちのインド」  柴原 三貴子著  木犀社 2415円 です。

柴原さんはAPOCCの会員でもありますが、彼女が原稿を抱えて出版社まわりをしていたのを見ていただけに良かったです。自分で作ったものを抱えて、出版社のドアを一つ一つたたいて行く。僕らはもうそろそろ、この世界に戻っていいころだとおもいませんか?

インターネットに頼っていいこととそうでないこと、インターネットを手に入れてまだたかだか10年です。引き返すのにそんな時間は必要ない気がしませんか。乱暴な言い方をすると30過ぎるまではパソコンを禁止するとか?勿論禁止は自分の判断ですが。便利や有り難さが分からない内にパソコンに触れると、人間は間違いなく便利さ以上に失うものの方が大きい気が僕はします。

といいつつも、写真展のDMの構成はメールで確認をしている橋口です。そして会場に新たに展示する作品を送ったとのメールを東京から受け取りました。安心しました。ですが安心が増えるのと引き換えに僕らは「未来」をすてているの確かです。予定どうり届くかどうか不安の日々、無事届いた時の喜びと、仕事を託した人に対する、更なる感謝と信頼。難しいです。

「指輪物語」と「モモの時間泥棒」を、はやりものとしてではなく改めて読んでみてはどうですか?ついでに池澤夏樹さんの「南の島のキリ」学ぶことが沢山有る本です。でもこの本に出会うまでの道筋も未来なので、余計なことですね。



2005年89

ベルリンはとても寒い日が続いています。散歩を楽しんだり、本を読んだりするにはとてもいい気候だと思うのですが、ベルリナーには少し気の毒な気がします。ひまわりの咲いている街角をトレンチコートに身を包んだ人やジージャンやセーターを着こんだ人が行き交うさまは、とても不思議にうつります。時折ツイードのコートもみかけます。セーターにひまわりという組み合わせの不思議な街角で、ジージャンやハーフコートはこの季節の為にあるのかと、変な合点をしている日々です。

慣れ親しんだベルリンの街ですが、これまで関わって来たことのない人達との時間が増えているだけに、見えないストレスが少しづつ溜まっているようです。ですがそんな僕を気遣ってかベルリンの友達がよく外に誘い出してくれています。しかも普通では出会う事のない人達の前に僕を連れていってくれます。六月末から先月末にかけてとてもスペシャルな夜が三回もありました。

まず先月末に(一週間程前)MAX RAABEという歌手のコンサートにでかけました。僕は歌の世界にはうといのですが、彼は国民的な指示を受けている歌手だそうで、今度のコンサートも三週間満席だったそうです。彼は四十代でもともとはテノール歌手だったそうですが、10年ほど前からベルリンの1920年代から30年代の歌を意識的に歌ってきているそうです。

20〜30年代のベルリンはベルリンがもっとも華やいだ時代で、この後にナチスの時代が始まります。彼はナチスに迫害を受けた音楽家の作品を意識的に歌っています。この夜も一曲ごとにその曲にゆかりのある音楽家の名前を口にしていました。思うにナチスを育んだのはドイツ人だという意識が彼の中にはあるのだと想像します。思想を表に出してのコンサートですが、お客さんたちは一曲ごとに笑い転げていました。ですが曲の始まりと終わりには必ず緊張した静寂が会場を包んでいました。

実はこの日もヒヤヒヤものでした。今ベルリンの街角はいたるところが工事中で走っているはずの電車やバスが止まっていて、地下鉄を乗り継いだために約束の時間を二十分もオーバーしてしまいました。考えてみたら街の中心に有る会場なので、タクシーにすれば慌てる事もなかったのですが。写真家は自分の表現にお金を使う意外は貧乏性なのです。

友達はVIPな人で(見かけは普通の好青年です)僕が遅れていることをRAABEさんに電話で伝えてくれていて開演を伸ばしてもらっていました。会場につくなり「彼は今日貴方の為に歌うといっていました」と少しオーバーナ表現で彼の伝言を伝えてくれました。この夜はピアノだけの伴奏でしたが、普段はオーケストラをバックに歌っているそうです。

コンサートが終わると、マネジャーの女性が待っていてくれて、「彼はもうビヤホールに向かってるので、ビヤホールに行きましょう」僕が驚いていると「彼は自転車だから早い」とまた驚かされました。燕尾服のまま自転車にまたがったのだろうかと想像しながら動物園横のビヤホールにタクシーでつくと、彼とピアニストはジャケットにチノパンというリラックスした格好でビールを飲んでいました。

(実は僕らのタクシーの横を、僕の友達の彼女はドレス姿のまま自転車をこいでいました、ベルリンです。彼女は今研習医だそうです。必死の形相でペダルをこいでいる彼女をみて、インテリーはいいなと分けのわからぬことを僕が口にすると、友達は彼女にあうまで10年かかったと、彼女の必死の形相とは相反してとても嬉そうな顔をしていました。いいカップルです)

初対面にも関わらず、僕がおなかがすいてることを伝えると、彼はみずからオーダーをしに行ってくれました。そして僕がお酒が飲めないことを知ると、「倒れるところが見たいから飲んでみないか」と実に気さくなのには驚かされました。日常と表現が一緒なんだ、彼は本物だと実感しました。実は多くの表現者は、表現していることと日常が解離している表現者が大半だからです。彼は僕が写真家だということを知っていたので自分の父が戦争が終わった後、自分が住んでいる街の記録フィルムを撮っていたことや、自分自身も壁崩壊後の数年父親にもらったローライフレクスというカメラでポツダム広場の写真を撮っていたことを話してくれました。(僕の作品ベルリンもローライフレクスです)そして九月にはドレスデンで別なコンサートを開くので是非招待したいと言ってくれました。有りがたいです。

僕は途中でピアニストの人と帰りましたが、彼はコンサートの間はいつも、明け方まで同じビヤホールで飲んでいるそうです。それだけテンションが高まっているのでしょう。ピアニストにアパートの前まで送ってもらいながら、彼の存在を日本に伝える手伝いをしないとと思いました。

続きと書きながら本当に続くのかなと思いつつ、一部を終えます。



2005年7月31日

ケルンから昨日戻りましたが、オオポカをしていまいました。

この数日、いつも駆け込み乗車(飛行機に)が続いていたので、早めに飛行場についたのですが、搭乗手続きを済ませてセキュリティーチェックも終わり、さあ本でも読んで時間をつぶそうと、先日ロンドンに出かけたおりに買ったペーパーバックをとりだしたまでは良かったのですが、疲れと脳が外国語を拒否したのか、猛烈な睡魔が襲ってきてそのまま眠り込んでしまいました。

そうです。飛行機を止めてしまったのです。夢うつつの中で、だれか僕の名前を読んでいる、探している人がいるぐらいの感覚で聞いていたのですが、時間だと気がついた時は、出発時間を3分過ぎていて、搭乗口には誰もいなく、係員が一人右往左往していました。謝る間もなく用意された車で(しかもものすごいスピードで)滑走路を横切り、飛行機に飛び乗った(文字通り飛び乗りです)のですが、シートベルトを締め終わると同時に飛行機は滑走を始めました。本当にフーです。

飛行機を止めたのはこれで2度目です。数年前リスボンからパリにに移動する時に、同じように眠り込んでしまったことがあります。カールが心配するのは根拠があるのです。

ケルンでの打ち合わせは、とても有意義なひと時が持てました。皆さんが僕の作品を展示するのに心をくだいてくださっていて、ありがったかたです。国際交流基金が僕の作品を6年前からいくつかの国で同時に巡回させてくださっていますが、その作品の一つが今回ドイツにやってきたのです。

たまたま今僕はベルリンに滞在をしていますから、せっかくの機会なので、用意されている作品だけではなく、会場にあわせた新たなプリント(大延ばし)も用意したいと思います。そしてオープニングの会場レクチャーの時に、作品の前で朗読をすることになりました。

不思議でも何でもないのですが、実際展示する会場に身をおくと、自然にプランが湧いてくるものです。

僕の展示もさることながら、文化センターがこれまで試みてきたカタログがとても充実しているのには驚かされると同時に、キチンと活用されていることをうかがい知ることができました。

寺山修司をはじめ、日本ではなかなか触れる機会の少ない映画監督の特集には少し嫉妬してしまいました。そうです、フィルムがコレクションされているのです。写真のカタログもありましたが、細江英公さんの60年代後半の作品が印象的きでした。寺山修司さんもそうですが、この時代の作家は果敢に既成の価値観に挑戦していたのに新鮮な印象を受けました。このころの作家は、覚悟して表現の現場にいたのがよく分かります。最近のものでは石内都さんの作品もありましたが、石内さんのデビュー作にくらべて最近の作品はスタイルがとても洗練された印象を受けますが、作品の中に流れている空気はデビュー作から変わらず、一貫したものを感じました。流行に関係なく残る作品には共通した哲学を感じます。

カタログは余分にあるということなので、来月からレクチャーをすることになっているいくつかの学校で使わせてもらことにしました。

ドイツでは現役の作家は勿論ですが、大学の先生をリタイヤした人たちが、私塾を開いていて、芸術大学よりも自由で生きた授業をしている場所がいくつもあります。(広いスパースが安く借りれることが大きい気がするのと、あとは思想の問題が大きいとおもいます。日本の場合は身内で固まりますが、ベルリンでは先に生きた人たちがキチンと自分の役割を果たしている印象を受けました)

ベルリンは勿論ですが、これから他の都市にあるいくつかの私塾で定期的にレクチャーをすることになりました。僕自身にとっても刺激的な時間が持てそうです。



●2005727

ベルリンはこのところ天気の悪い日が続いています。この時期でもセーターが放せません。(僕は天気は悪いなしに、それはそれで好きなのですが)

アウグスブルグから戻り、ばたばたでしたがイギリスに出かけてきました。ちょうどテロが重なりメディアは緊張していましたが、季節が季節だけにロンドンの街は観光客で賑わっていました。まるで何事もなかったように、人々は笑い、写真を撮りあい、買い物をしています。このコントラストが不思議だし気になります。戦争報道もそうですが、いつも現場だけが映しだされて、その隣にある暮らしはまるでないかのようです。

ロンドン郊外の街に出かけてきましたが、街行く人の多くが「肥満」なのには目が釘付けになりました。「肥満」の正体がなんであるか、よく新聞やニュースで見聞きしていたからです。イギリスに限らず、低所得者層に広がる「肥満」の裏ににある現実。いつか触れたいと思います。

これから展覧会の打ち合わせでケルンにでかけますが、昨日ベルリン州の責任者と日本での展覧会の方向性について話しあいをしましたが、内容はともかくとして、僕の役割はドンキホーテなようです。政治の世界には僕には間違いなく向いていないようです。ですが、関わった責任があるのでオープニングまではキチンとしなければと自分に言い聞かせています。

正直、疲れています。

先の日曜日、久しぶりにベルリンに太陽が戻った日、友達が散歩に誘いだしてくれました。アレキサンダープラッツから地下鉄で2駅ほど乗り、進行方向に5分ほど歩いたところに、空き地があり、色とりどりの草花が咲き乱れていました。草花の間を蝶やミツバチが舞い、まるで天国のような世界でした。

空き地はかって東西を仕切る壁があったところです。壁があった頃は強い除草剤がまかれていたのか、ほとんど植物らしい植物は生えていませんでしたが、過ぎ行く時間が土に本来の力をよみがえらさせ始めています。草花の間を走る黒いアスファルトの上をパトロールの軍用車が行き交っていたなんて、目の前の長閑な光景から想像するのは難しい気がします。ベルリンを訪れる人にはぜひ訪れて欲しい場所のひとつです。アスファルトに耳をあて、アスファルトの下に眠る、声に耳を澄まして欲しいのです。

8月号の『世界』に登場する『17歳』の女子学生が口にしていたことを思いだします。

『「17歳」は大人だから目の前のことに客観的になってはいけないと思う。何かできることがあるはず。』

彼女の中には「他者」がきちんと存在しています。

僕らは彼女の問いにどう答えるのでしょうか。彼らは先に生きている僕らを見ているのです。

これから飛行場に向かいます。先日ロンドンに出かけたときは、時間の読み違いで、飛行場についたのは25分前でしたが、僕より遅い人が8人もいました。バスや電車の感覚なようです。

体は疲れていますが、ケルンでのミーティングは久しぶりに自分の話なので楽しみです。



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