HASHIGUCHI George

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橋口便り
橋口便りバックナンバー・05(2006.1〜2006.12)

●2006.12.24

とっちらかした部屋でクリスマスソングを聞いています。僕はラジカセしか持っていないので、音質はけして良くないのですが、部屋の天井がドーム状になっているのでまるで教会に居る気分です。それに窓の外に生えているケヤキの木の葉が落ちた事で、さえぎられるものがなくなった太陽の光が大きな窓からさんさんと降り注いで豊かな気持ちになります。

実はこの22日にベルリンに戻る手配をしていたのですが、作品集の仕上がりが延びてしまったことで、用意していたキップを捨てることにしました。残念な気分ですがベルリンは消えることはないので、まず作品集をしっかり送り出すことを優先させました。

おかげ様で、最後に残っていた作品集のカバーの方向性も一昨日決まり、今朝、帯のデザインも上がりました。このまま順調に行けばこの29日には見本本が手元に届くことになっています。本が仕上がった後は、次は社会に届ける作業が控えていますが穏やかな気持ちで今日を迎える事が出来て良かったです。

一年前の今日はベルリンに居ました。夜は近くのカフェで美学生と一緒に食事をしながら過ごしていました。食事といってもクスクススープとサラダと水で、二人合わせても10ユーロそこそこの金額なのですが、ベルリンの良いところはそんな小さなお金しか使わない客でも大切にしてくださることです。どのテーブルにもローソクが飾られ、カフェのドアが開くたびに空気が動きローソクの灯りが小さく揺れ、揺れるローソクの灯りを眺めているだけでも、暖かい部屋でクリスマスを迎えられている幸運を感じながらの一時でした。

11時過ぎに、一人の男の人がカフェに入って来ました。みたところ30代の前半ぐらいの感じで席を探す様子もなく、カフェの主人に話しかけていました。様子からして何かを頼んでいるようでしたが、カフェの主人はうなずきながら、カウンターの隅に山盛りになった果物の中からオレンジとリンゴとバナナを取り出し彼に手渡しました。手渡すというより彼の手のひらの上に乗せてあげるという感じでした。そして果物の上にパンを二個添えようとされたのですが、カフェの主人はちょっとまってという感じで厨房のある2階に掛け上がり、焼きたてのパンを持って降りてきて、パンをきちんと紙に包み彼に手渡しました。

男の人は食べ物を乞に来たのです。ベルリンではけして特別な光景ではないのですが、僕が心打たれたのはカフェの主人がわざわざ焼きたてのパンをとりにあがり、そのパンを紙に包んで丁寧に男の人に手渡された、一連の行為でした。食べ物を乞う人を変に見下すこともなく、乞う人を卑下させることもない接し方。かんたんに出来ることではないだけに考えさせられました。カフェの主人はチュニジア出身の移民ですが多分心の隅のどこかで食べ物を乞う男の人と自分を重ね合わせていたのだと思います。


本が一息つき、クリスマスソングを聞いていたら一年前のベルリンでのことを思いだしてしまいました。人間はいいですね。多分僕は今夜も仕事をしているでしょうが、世界中でいろんな人がさまざまな思いで過ごしていることを想像しながら過ごしたいと思います。

話はそれますが、僕はこのカフェの常連なのですが、カフェで働いている女性や、常連客の女性が僕に興味を示し時々誘ってくれるのですが、そのつど彼は僕のテーブルに来て、僕のことを自分のボーイフレンドだと説明して出会いを妨げるのです。ご主人がバイセクシュアルである事は、周知の事実だけにその発言には説得力があり出会いはことごとく潰されて来ています。楽しいです。

皆さんも良いクリスマスを。



●2006.12.08

やっと作品集の一冊目の印刷が昨日から京都の印刷所で始まりました。

テスト印刷は10月にすでに終わり方向性(印刷上がりの調子)は決まっていたのですが、10月と12月は気温が違う為にインクの硬さに違いがうまれていて、同じデータで刷り始めても上がりが違うのが新鮮な出来事でした。印刷そのものはデジタル化されていますが、インクの固さを調整するのは経験というアナログ的な作業になるそうで、最後は人間の感覚が決め手になるそうです。面白いですね。

面白いといえば印刷立会いの折、印刷会社の社長さんと会いましたが、初めて会ったにもかかわらず、挨拶する間もなく社長さんは僕の作品には一言も触れずに、今自分が手がけている仕事の話をされるのです。手がけているというより、夢中になっている仕事と言った方が正しいかな。

僕より10歳以上も離れた方なのですが、まるで子供のようでした。そんな社長さんの姿を見て工場を包んでいる空気の正体を見た思いでした。印刷工場ですから人間より大きな印刷機がデーンと並んでいますが、工場に足を踏み入れた時に、機械よりも人間の姿が良く眼に映るのが始めは不思議で仕方なかった。人の動きにハーモニーが流れているのです。ですが社長さんと向かいあって見て良く分かりました。

文字どおり仕事を楽しんでいる社長さんのイズムが、工場で働いている皆に伝染しているようです。皆が楽しんで心を込めてそこに居るから、機械よりも働いている人たちの姿が目立つのかもしれない。

有りがたいことに今度の作品集は、3冊とも同じ機械で刷ってくださることになりました。全体の作業時間を考えると印刷所にとっては非効率的なことなのです。気温によって同じインクでも発色と刷りが違う様に、たとえ同じ機種で同じデータを使ったとしても仕上がりに違いがでるそうです。機械にも性格があるということです。

今度の作品集は仕上がりを一番大切に考えてくださり、機械も担当者も同じ方が責任をもって最後まで関わってくださることになりました。この事実だけでも今度の作品集がいかに幸福な状況にあるのか理解してもらえると思います。仕上がりを優先するということは、一見当たり前の事かもしれませんが、効率が要求される印刷業界では意外に無視されることが多々あるのです。たとえ現場の職人さんに気持ちがあったとしても、効率を求める組織としての業務体系がゆるさない環境がこの10数年の間に支配的になっているのが実情なようです。そんな中でこのような印刷体制を固めてくださった方に感謝です。僕が特別な対応を受けているというより、美術印刷に対する社長さんのポリシーなのでしょう。

本が仕上がれば又、それはそれでいろいろ大変なことが待ち構えていますが、印刷現場の職人さんたちの佇まいに触れられたことで、幸福な作品集になることを改めて確信するとともに、リズミカルに刷り上っていく作品を見ながらこの一年身体に張りついていたものが、溶けていく感じで少し安堵しているところです。でも表現の現場に居る限りつかの間の安堵ですが。

作品集はもう少し待っていてください。もう直ぐです。

実は印刷が始まる前に、10日間ほどベトナムのホーチミンに出かけて来ました。10日間という限られた時間でしたが、いろんな人に会い現場も見せてもらいました。



●2006.11.18

やっとやっと本造りのゴールが見えるところまで来ました。ゴールの背中が見えたと言った方が正しいです。背中が見えたと言ってもまだこれから本印刷が控えていますが、少しというか、かなりの手応えを感じています。それぞれ240ページの本を3冊同時に仕上げるという作業は新装版とはいえ簡単ではありませんでした(まだ終わっていませんが)。

本造りを通じて新しい人間関係を築くことが出来たような気がします。僕が根気良く人と関わりあえるようになれたのは、先のベルリンでの滞在で学んだ経験が生きた気がします。

ご存知のとおり今まで僕の周りには、年令に関係無く優秀なスタッフが僕の日常と仕事を支えてくれていました。ですが今度の本造りでは、創造、創作の面だけではなく自分自身で進行にも関わっています。作業が増えた分だけ時間はかかりましたが、この先に繋がる手応えを感じているところです。ベルリンに行くまでの僕だったら、おそらく今進めている本造りも途中でひっくり返していたでしょう。この年令になり初めて大人になれたということなのでしょうか。恥かしいです。

話を戻すと、作品集を進めて行く中で僕を支えたのは「残ったものが命」という思いでした。他の写真以外の作家が表現した作品を見て触れる機会が増えたことで、できるだけ多くの人に考え方を届けようとする行為と作品を残すことは別だということに気づいたと言った方が正しいです。

写真が他の表現と異なるのは、たとえ壁に掛けられたものとはいえ、完全な完成品ではないということです。他の表現物は後で手を加えることはまずあり得ない行為だと思いますが、写真は簡単に手を加えることが出来る表現なのです。そのことの良し悪しは別にして僕の中に写真表現に対する甘えがあったのかもしれません。ですが初めから、作品主義にこだわっていたとすると、今手元にあるような作品は間違いなく残らなかったのも事実だと思います。どちらがいいのか分からないですが、幸いにも僕は気がかりな仕事を見直すチャンスに恵まれ、僕の感覚を作品集という普遍化したものにして下さる、感覚と技術を持ったADと印刷現場の方と出会えたのも幸福な出会いでした。そしてそのこと以上に、新作ではなくすでに発表した作品を、多額な制作費がかかるにも関わらず、3冊同時に引き受けてくださった版元との出会いも幸運な出会いでした。

僕はこの10年、作品を発表していません。作品は発表していませんが、日々写真をとる営みだけは続けてきています(カフェでだらだらするのも含めて)。ですが作家は作品を発表してこそ作家なわけです。そのことを認識しつつも新作を作品集という形で発表してこなかったのは、今制作している旧作3作が作品集として中途半端なものを残してしまったということに気づき、このままの状態で死んでしまったら、結果としてぶざまな作品を残してしまう。このまま死んではいけない、という強い気持ちが僕の心の中に7、8年前から沸いてきたのです。このことは先に触れたように、世の中に伝えることに重きを置くのか、作品を残すことに重きを置くのかの違いだと僕は思います。今は作品を残すことに重点を置いたと理解してくださってかまわないです。

僕は市井に生きる人々をカメラに収めてきているだけに、僕が死んだ後、僕のカメラの前に立ってくださった人々の人格をどう守るかはとても大切なテーマなのです(本人はいたって健康ですので安心してください。最近チゲ鍋に凝っていて、結果、とても健康に良い食環境にあります。チゲ鍋にハマっていることを知った大阪の知人が、チゲ鍋のレシピとお味噌を届けてくださいました。チゲ鍋のレシピは後日紹介しますが、特製のミソ以外は僕の我流とレシピに差がなく、変なところで自信を深めている橋口です)。


今まで日本人シリーズはテーマごとに一冊にまとめていますが、それらを一度解体させた後、再編集して合体させることで、初めて僕の日本人シリーズは完成する。そのことを考え始めてからというもの、僕の中で、仕事の優先順位が変わりました。新作を発表することよりも気になるものを纏め直そうと。文学の世界や絵画の世界ではありえないことですが、写真は作家が死んだ後、簡単に他人の価値観で編集されてしまう可能性の高い表現だということです。それだけにやり直す機会を伺っていたというのが正しい現状認識だと思います。作品集を発表してこなかった、この10年という時間がこの先の僕の作家人生にどのように影響してくるのか分かりませんが、僕は次に移るのに10年という時間を必要としたのは事実です(まだ移れてはいないのですが、たぶん移れるでしょう)。

ベルリンのカフェで初老の日本人が(彼は僕の作品を知っていて、声をかけてくださいました)僕の状況を知り、葛飾北斎を例にだして「作家の全盛期っていつだと思いますか、これだけは本人が死んだ後でないかぎり分からないことです。私は貴方の作品を待っています。待っているのは私だけではないですよ」と初対面の僕に声をかけてくださった人をはじめ、少なくない知人たちの気持ちを支えに、モチベーションを失うことなく、長年の思いが形となるところまでたどりつけた感じです。ただ700ページの作品集造りはこれからスタートです。

そんなこんなしていたら、雑誌『世界』の12月号の表紙写真が無いことに気づき慌てて山形に撮影に出かけて来ました。この12月号で5年間続いた「17歳」の表紙は終わり、新年号から新たなテーマの表紙が始まります。『世界』は商業誌ですが、にも関わらず表紙で作品を制作発表させてもらえている幸運を大切にしたいです。そしてそうすることが僕の後から来る作家の励みに繋がればさらに嬉しい。昨日、新年号からリニューアルする表紙のレイアウトを見せてもらったところです。

表紙をポラロイドカメラで撮り始めたきっかけは、山形の新庄という町でした。新庄に蕎麦屋を営んでいる知人がいます。その彼が趣味でポラロイドカメラを使っていて、3年前に撮影の途中、栄養補給してもらいに友達の蕎麦屋に立ち寄ったおりにカメラを見せてもらい、そのままそのポラロイドカメラは僕について来て今日を迎えています。ポラロイドカメラを使い始めたきっかけが山形だったので、シリーズの終わりも山形で締めようとふと思い、山形に出かけてきました。そのポラロイドカメラはまだ僕について来ています。

『世界』で掲載してきた「17歳」も今の作品集が手を離れたら、纏める作業に入ります。雑誌『世界』で新年号(12月8日発売)から海外招待作品を3号続けて紹介します。

日本の若い作家との意識と視線の質の違いを見ていただけるとあり難いです。彼らは何度となく「作品は無事に届いたか」と心配して連絡をしてきました。世間に評価されていようがいまいが、本人たちにとっては大切な作品なのです。

僕の基礎を造ってくれた一人、高田ゆみ子さんが翻訳した『みえない雲』の文庫本が小学館から発売されました。『みえない雲』は近未来小説で、原発事故後の日常を描いた作品です。同じタイトルの映画もシネカノン有楽町にて正月ロードショーとして公開が決まっています。そして映画の主人公の一人はベルリン在住だそうです。本、映画ともども僕らの暮らしの延長にある作品ですので、気持ちに余裕のある人は、意識してもらえると嬉しいです。

最近、東京でのワークショップに参加した、皆のその後の動向が届き始めています。少なくない人が僕の近くに居るのに驚いています。

そうだ10日程前にベルリンに初雪が舞ったそうです。



●2006.10.13

低気圧の影響で、窓の外に大きく枝を広げているケヤキの木が音を発て、激しく揺れています。木の葉のうねりを見ていると、なぜか心が落ち着きます。今の場所で暮らすことを決めたのは、窓の外のケヤキの木に惹かれたからです。ですが新装本が手を離れた時点で、暗室を充実させるために、今引っ越すことを考えています。風に揺れるケヤキの木を眺めていると、去りがたいものがあるのも事実です。引っ越すことを考え始めた理由は、暗室の問題だけではなく、少し吉祥寺が嫌いになり始めていることも大きいです。その理由はこの場ではなく、別の機会に触れたいと思います。

横なぐりの雨が降りしきる中、雑誌『世界』の11月号が届きました。今月号のグラビアはバングラデシュの公園で撮影された作品です。選考過程で一度はペンディングされた作品でした。特別優れた作品というわけではないのですが、どこか最後まで感情を引き付けるものがあり、掲載する運びとなりました。雑誌が完成する前に、印刷チェックをしますが、その時点では今月号は選考を間違ったかなと、小さな不安がよぎりました。ですが今朝届いた『世界』をみて、そんな不安は吹き飛んでしまいました。良い作品と新しい作家を紹介することが出来て幸福です。

作品は、首都ダッカのどこかに在る公園での一時を撮った作品で、映り込んでいる人たちが身にまとっている衣服は着古した粗末なものですが、皆の佇まいに品があるのです。写真の中の人々から喜びが伝わってくる写真です。

雑誌の後ろに添えられた、作者の撮影記の一文を紹介したいと思います。
「他人に対する認識は、ちょっとした想いの差異によって、それまで描いていたものとは、かなりズレていくということ。もう少しだけ、他人を自分の近くに引き寄せることはできないだろうか。想いを寄せることは可能か?いま、その隣にいる人、街中ですれ違っていく人々の体の奥底に確かな体温が秘められていることを僕は忘れたくない」田中 聡 1980年生まれ。

コメントを読む限り田中氏は間違いなく苦労するでしょうが、世に出ることだけを考えている若いカメラマンが多い中で、彼のような思想(考え方)を持った若い人が『世界』を発表場所と選んでくれたことが有り難いです。

今日の午後、新装本の校正刷りがでます。いよいよです。

APOCCの方も、滞っていた事務局の整備にやっと目処がたちそうです。そんな矢先に東京のワークショップに参加した生徒(当時高校生)と偶然、吉祥寺の街で再会をしました。彼女はこの春、大学を卒業して昼間は教職の仕事をしながら、夜は写真の学校に通っているとのことです。

写真家の田中氏もそうですが、少しずつ世の中で、何かが動きはじめている気配を感じます。

PS.星野の「転がる香港に苔は生えない」の文庫本が文芸春秋から発売されました。



●2006.09.29

一昨日、やっと新装本3冊の写真原稿を入稿することができました。想像以上に時間がかかってしまい、ADの方や印刷所に迷惑をかけています。モノクロ写真は白色と黒色の色の間に有る世界を使い表現していくわけですが、色に対する感覚が僕の中で変化していたことに加えて、二十年前と印画紙の質が変化しているためにプリントの調子をそろえるのに時間をとられてしまいました。ただ最後は後書きやテキストの校正を優先させる為に、個人のプリンターの方に助けてもらいました。

プリントは手を離れましたが、これから一ヶ月半が勝負です。もうしばらく緊張は抜けそうに有りません。そして仕上がりが楽しみなのと同じぐらい、恐いものが有るのも事実です。

恐怖と期待、生きた現場にいる限り逃れられない宿命なのでしょう。

作品を発表した後は、作品は作家のものには違いはないのですが、作家の手を離れて公のものになります。公の場に立つことで、賛否の声にさらされるわけですが、スポーツとことなり優劣の基準がないのが表現の世界です。判断基準が曖昧なだけに、たえず評価はその時々の恣意的な感情に左右されがちなのが写真の世界の現状です。恣意的なものに左右されがちというのは他の表現、文学、絵画、音楽ダンスも、似たりよったりだと思いますが、写真は歴史が浅いことに加えて、日本的な人間関係がとても強いからです。ですが社会という大きな枠でどう作品を受けとめてもらえるのか、もらえないのかやはり緊張します。

話は飛びますが、雑誌『世界』のグラビア公募も今月号で50回を迎えることができました。

公募を始めた頃は、集まる作品のレベルは玉石混交というより、正直ひどいものがほとんどでした。ただ海外に出かけてきましたとか、なんとなく楽しいものを撮ってきましたというたぐいのものや、始めに表現有りきで、表現のための表現であったり、わざとはずした写真であったりとさまざまでしたが、選考の失敗をおそれず、目先の評価を求めず、かならずこの日本のどこかで、自分自身の営みを続けている若い写真家がいるはず、との思いで今日まで来ました。写真の完成度よりも、その作品の背後にあるものを、できるだけ汲み取る努力をしてきました。写真を選考するとき写真を見たあと応募者の住所が気になり応募用紙をのぞくのですが、中央線のおそらく風呂なしアパートで生活しているのだろうと想像する応募者が多く、真面目に苦労しているのが伝わって来て、判断に苦しんだりしますが、正直嬉しい限りです。

ただ判断に苦しむことも多々あります。前回、応募作品の中にアフリカで制作したポートレートの作品がありましたが、完成度、表現力はずば抜けていました。その作品をグラビアで紹介した場合、間違いなくグラビアのグレードは上がる作品でしたが、最終的にはその作品は不採用となりました。その理由は作品が持つ「美しい」という概念が気になったからです。

ただ不採用を決めた後でも、あの作品を採用しなかった是非は今でも編集部と僕の間で、議論の対象になっています。そして僕は選考だけに立会い、その後、掲載までの作業は編集者の手に移ります。僕は作家とは面談をしないということです。ただ後日編集者に「どんな人でしたか」と尋ねるのですが、「普通の人でしたよ」という返事が必ずといって良いほど返ってきます。
そして牧場に一年住み込んで作品を作ったとか、町工場で働いては、写真を撮りに出かけていたり、代用教員をしながら3年かけて作品を制作したとか、そんな話がたくさん聞こえてくると、選考は間違っていないと、少し揺るぎながらも、静かに確信しているところです。

先に恣意的なものが支配している写真の世界と書きましたが、『世界』のグラビアに登場した作家が、その先どういう生き方を選ぶかは別にして、『世界』のグラビアの選考基準に関してはスタートラインは、皆等しく同列で有り続けたいと考えています。

そして今年というか、新年号から3号続けて海外の若手作家の作品を紹介することになりました。今回もまたドイツ、ポーランドの作家です。(本当は他の国々に作品を探しに出かけたかったのですが、作品集の制作に追われてしまい、その余裕がありませんでした。ですが再来年は異なる国の作家を探したいと思います)

 そして今年の12月号はホームレスをテーマにしたポートレートです。彼らの人格に、レンズを向けているのが新鮮な輝きを放つ作品で、海外招待作品同様に素晴らしい作品が登場します。僕の新装版同様に、どうぞ楽しみにしていてください。



●2006.08.12

先日、写真のプリントだけを30年以上携っている方と会い話をする機会を得ました。来年海外を巡回する作品のプリントのお願いに上がったのが最初の目的でしたが、朝十時半に会い、途中お昼を食べるのも忘れて五時間ぶっ続けて、モノクロプリントにまつわる話を、他の作家の作品を見せてもらいながらレクチャーをしてもらいました。

僕より2歳年上の方ですが、疲れを見せることなく、僕がもう失礼をしますといわない限り永遠続きそうな気配でした。勿論レクチャーを受けている僕自身も、肉体的な疲れ以上に、プリントの奥深さはいうまでもなく、写真表現の新たな可能性を教受してもらいました。もっと早く出会いたかったというのが、正直な感想でしたが、この先の未来が開けた思いです。僕自身の作品造りもさることながら、この方といろな国を回り彼のもっている技術、考え方を若い作家に手渡してあげられたらどんなに素晴らしいことかと思いました。と同時に、写真はアナログであれデジタルであれ何をどう使うかは、個人の生き方の問題だから、他人の表現手段をとやかく言うものではないと改めてそう思いました。大切なことはスタイルや道具ではなく「何をどう感じるかが大切なこと」だからです。「感じ方」にこそ意味や価値があると思いました。写真や表現をスタイルだけで新しい、古いと語るのはナンセンスなことです。

写真の話のついでですが、先日朝日新聞に富士フィルムはこの先も、フィルムの製造は続けると、会社としての方向性が掲載されていました。フィルムのニーズはこの先どんどん少なくなっていくであろうことを認識、予測しつつです。この結論はグローバル化が進み利益至上主義の中で簡単なことでは無いことです。富士フィルムは世界のオピニオン企業であることは周知のことですが、世界の富士になれた背景には、街角のDPE屋の存在が大きいとの思いが富士フィルムの経営陣に刻みこまれているからだと思います。分かり易く書くと、「世界の富士」は街角のDPE屋さんに恩義を感じているということです。フィルムの製造中止はそのまま街角のDPE屋さんの廃業に繋がることだからです。自分達が生き残るために、採算性のあわない部分をどんどん切り捨てていく企業が多い中で、富士フィルムの理念、思想には素直に敬意を表したいです。富士フィルムの姿勢に、損得では計れない人間として大切なものを感じるからです。こういう話に触れるとまだまだ日本にも未来を感じるとともに、単純に生きる元気がでます。

先週、鹿児島の屋久島に行ってきました。僕が二十代のころ旅先で一緒だった知人が和紙と植物を使った表現を試みていて、その作品を暑中見舞いの葉書にして送ってくれたからです。互いの生活環境は変わっていますが、、河に海から上がってきた魚を見つけて、夢中になっていました。互いに歳を重ねてはいますが、狩猟の血は変らずでした。屋久島に渡る前に、先の大雨で災害を受けた河の流域にも足を運びましたが、水は引いてはいましたが、泥とともに辺りにただよう悪臭に頭がクラクラしてしまいました。TVのニュースには匂いは映らない。

二十代というと、僕が二十代のころお世話になっていた、知床の昆布番屋の方かたからメールをもらいました。このころは昆布漁を手伝いながら自然のことを学んで時期でした。昆布漁を手伝っていたころ、番やのお婆さんが「真面目な青年がいるから会わせる」と紹介してくれたのが、大学を卒業したばかりの「星野 道夫」という青年でした。今思うとこのころの出会いはとても自然で純粋だったような気がします。

この夏は作品集をつくりながら、この数年不義理していたモロモロをかたづける時間にあてたいと思います。
APOCCのことも僕の中で結論、方向性が決まりました。関係者のコンセンサスを経たあと報告したいと思います。



●2006.07.21

大雨の災害が続いている中でいくつかお知らせがあります。

まずこのホームページで何度か写真集のことを触れてきましたが、当初の発売予定よりも大きく完成時期がずれて来ています。ちょうど1年前にスタートした本作りでしたが、発売が11月に伸びました。

遅れている理由は単純に作業を慎重に進めていることから来ています。『17歳』『Father』『Couple』の3冊を同時に完成させる為に、版元は勿論のことですが、AD,印刷所、紙やとそれぞれ特別チームを組んで製作に臨んでくださっています。そして僕自身もそう何度も作り直しのきかないことを重々承知しているので全ての工程に時間がかかっています。完成したあかつきには、僕の作品集ということだけではなく、今の日本に於ける造本、印刷技術をキチント残すことにも繋がる本になると思います。3冊の作業を進めながら最終目標である『individual』の作業も進めてもらっています。全てのテキストの翻訳も半分以上進んでいるそうです。

完成日が延びるたびに、ため息をついていましたが、この10年作品集を発表していないことを思えば数ヶ月の遅れはたいしたことは無いと自分に言い聞かせているところです。

作品『17歳』と『17歳の軌跡』に登場するチェリストの長谷川陽子さんの進アルバムが届きました。タイトルは「My First Love」です。アルバムの内容は日本の現代曲、山田耕作、滝 廉太郎、武満 徹と子供の頃皆が慣れ親しんだ曲が中心に納められています。海外の行く先々で、日本の現代曲のアルバムがあればいいのにと思っていた矢先だっただけに嬉しいアルバムでした。興味のある方は探してみてください。

尚長谷川さんは朝のNHK連続テレビ小説「純情きらり」のテーマ曲演奏を担当されています。実は僕はこの番組を見ているのですが、長谷川さんがテーマ曲を演奏されていることを知ったのはつい最近のことでした。



●2006.07.12

ベルリンから戻りました。別にワールドカップを見に出かけたわけでは有りませんが、会期中ベルリンに居れたことで、これまで見えなかったベルリンの側面に触れることが出来ていろいろ考えさせられました。

今回の滞在は短かったものの、昨年と違い、公の仕事も限られていたために、ベルリンの街を歩きまわることができました。おかげで、身体と感覚が重なり物を感じるリズムをが再び蘇った気がします。

東京―ベルリン展も無事にスタートしました。滞在中2度3度と会場に足を運びましたが、ここでも又いろいろ考えさせられました。ただ美術作品が展示されているということではなく、歴史の中でベルリンと東京という街が共鳴しあい、作家同士が刺激しあい今日を迎えていることを伺いしることが出来るいい展示でした。

そして東京の森美術館では会場の広さの問題もあり、展示されなかった現代作家の作品が多く展示されているのもいい試みだったと思います。(平井正先生の『ダダ・ナチ』3部作、ベルリン3部作の著書を副読本としてぜひ薦めます)

すでに評価が定まった作家,作品ではないものをナショナルギャラリーで果敢に展開するところに美術館,そして美術の現場に居る人達の意識の持ち方に共感すると同時に「文化」を育む土壌と歴史の長さと深さと社会(市民)との結びつきを強く感じることができました。悲しいですけど、日本は文化に関しては後進国だと思います。文化芸術を市民社会から追いやってしまった現実を検証しない限り、日本には美術館という名のついた建物だけが残ることになるでしょう。

感心すると同時に現代作家の作品を見ながら、芸術とはいったいなんなんだろうと考えたのも事実です。
現代美術の定義、評価は難しいですが、反感、不快,共感、そこに生まれた感情そのものが大切なことと頭の中で理解は出来ているつもりですが、現代作家が拒否、あがらうものの正体が気になりました。もしかしたら「あがらう」ものなんてないのかもしれない。

ですが心を打たれた作品もいくつかありました。解体現場から集めた木枠の窓を幾重にも重ねた塩田ちひろさんのオブジェ。ベルリンという街に流れた時間を少しでも知っているだけに作品と対峙しながらベルリンで出会った旧東の友達のことを思いだし、涙が出てきそうでした。そして同じ写真家で宮本隆司さんの旧東の建造物、ガラス窓越しにテレビ棟を撮った作品にも心を引かれました。引かれたというより表現力の差を見せ付けられた思いでした。

あと、発泡スチロールを素材にした開発さんの作品も,思わぬ世界に僕を導いてくれました。オープニングの時にはさほど何も感じませんでしたが、晴れた日の午後,美術館の外から彼の作品を眺めていた時、建物のスリガラスを通して太陽の光を吸収したオブジェがまるで湖のドアに見えたのです。湖というより宇宙の入り口だったかもしれない。

巨匠の作品では岡本太郎さんの作品を、他の作品の中で見れたのも良かった。あと戦争を表現した絵画も戦争、死に対する日本とドイツ人の意識の違いが感じられて印象的でした。

2日にわたるオープニングの後、公の2箇所の美術館の方から新たな提案をいただき有りがたいと思いつつ、日本とブラジル戦を見、ノイエナショナルギャラリーの展示を見て恐くなったのも事実です。気をいれてしっかり戦わないと「世界」からは簡単に弾かれてしまうと思い感じました。新たにいただいた提案をうけとめつつ、浮わついてはいけないと気を入れなおさなければと思いました。

ベルリンでいくつか他の作家の展示の件で話し合わなければならないことが残っていたのですが、今、目の前にある、作品集を仕上げることにエネルギーを注がねばと思い予定を早めて帰国しました。出来上がった3冊の柄見本を手にして集中力を高めているところです。

インドのバンガロールからと、ラダックから僕の近況と健康を心配する手紙が届いていました。

星野の新刊の評判がとてもいいです。月間誌「論座」に星野のインタビューと彼女のポートレートが出ています。そして小さくですが女性誌のフィガロにも書評が出ています。

サッカーの中田選手の引退も気がかりです。彼を弾いた「日本」が見えるからです。

やらなければならないことが沢山ありますが、ここは一歩一歩目の前の仕事と対峙しなけらばと蒸し暑い東京で考えています。



●2006.06.01
このところ失敗が増えています。

撮影や打ち合わせの日時を間違い一日早く先方を訪ねるという失敗というよりボケが始まった感もしますが、いろんなことが重なり気持ちに余裕がなくなっているのでしょう。

星野の新刊「のりたまと煙突」の書評一号が週刊朝日に載りました。来週は週刊文春にも書評が載る予定だそうです。 気持ちに余裕がある方は読んでみてください。



●2006.05.30
デジタルカメラのテーマに戻ります。

結論を先に述べると、自分自身の人間性を深めたい人、そして作品を作ると同時に何らか内なる部分と対峙したい人にはフィルムカメラを勧めます。

アナログカメラは人間を育てる道具だと僕は思います。少なくとも今の日本の社会環境ではデジタルでは人間は育たない。

フィルムには枚数に限りがあるのと同時に、フィルム1本、現像費、プリントとさまざまな過程でお金がかかります。お金がかかるということはそのつど使う側に判断、選択が求められます。限られたフィルム枚数の中でどこでどうシャッターを押して行くのか。フィルムを交換しているわずかな時間の間に、シャッターチャンスが来るかも知れないという不安とどこでフィルムを撮りきるかという決断。フィルム1本多く買うかわりに、服や食事を我慢しなくてはならない。

よくコマーシャルの仕事をしている人たちが、「僕も作品を撮りたい」と言葉にしますが、作品を残したいという気持ちは分かりますが、少なくとも僕は自分の作品を撮る作るために、多くの人々が享受している楽しい暮らしを捨ててきている。
楽しいことの意味の違い。
何かを手にする為には何かを捨てる。この単純な行為の繰り返しと積み重ねの延長に、作家性という固有の普遍性が生まれると僕は思っている。

作品に深みをもたらすのに必用な要因に個々の思想や個性が大きな役割を果たしますが、個性や思想は日常の小さな営みの中で培われるものです。
同時に営みの中での思考も大切です。

デジタルカメラの利便性は撮ったその場で確かめることが出来ますが、フィルムは現像が終わるまで何が写っているのか分からない。現像が終わるまで結果が分からないこの不安な時間も又人を育てる。有る意味、「時間」が全てかもしれない。

「時間」という言葉が持つ意味を皆さんも考えてみてください。

ですがデジタルカメラはとても便利な道具なことは確かです。実際このホームページで使用している写真はデジタルカメラで撮ったものです。

デジタルカメラ、アナログカメラがいいとか悪いとか論議する前に自分がどう生きていくのか、生きたいのか考えることが大切な気がします。

そしてその生き方(哲学)は個々個人が決めることであって、カメラメーカーや市場が決めることではないということです。たとえ今の日常社会から、市場原理でフィルムやフィルムカメラが消えたとしても、思想や個性を手にしている人間であれば、必ず別な表現方法が見つけられるはず。

ですから市場の論理にヤキモキする必用はないと僕は思います。

そしてこれから僕は作品製作に集中する為に、このホームページでの報告は最小限度に留めたいと思います。フィルムに限りがあるのと同じで、僕の持ち時間にも限りがあります。

ですがAPOCCの件やドイツでの活動報告は必ずします。



●2006.05.12

今日はデジタルカメラは少し隣において皆さんにお知らせです。
まず星野の新作が今日(12日)文藝春秋から発売されます。

タイトル「のりたまと煙突」
星野博美著 1850円です。

内容ですが身近なことを語りながら、一度身体をくぐらせてその先ににある、社会の今を考えさせられることがらが、さまざまな角度を持って提出されています。

版元の広告文をそのまま引用すると、「大宅賞受賞作『転がる香港に苔は生えない』の衝撃から5年、稀有なる作家を育んだ原体験が明かされる、長編小説的エッセイ。不器用に生きる大宅賞作家が懐かしく、愛しく切ない「記憶」の扉を開く」

宣伝コピーを読むと、版元が星野をとても大切にされていることが伝わって来ます。有り難いことです。

個人的にはベルリンからベルリンに有る国立系の美術館、博物館の催事情報をまとめたA3サイズの冊子が送られてきました。冊子の裏表紙には僕の作品「カップル」が掲載されていてなかなかカッコ良いです。

展覧会は6月7日〜10月3日までです。詳しい情報は追ってお知らせします。

そして昨夜インドの直子さんと久しぶりに新宿にある友達のお店で会いまいした。直子さんはインドのヴィシャカパトナムで18年前から学校を開いている方で、僕らも一度ワークショップを開いたことがあります。(ヴィシャカパトナム)

ワークショップに参加した生徒のその後の話や、知らなかったことですが、実は学校の裏にはコブラが沢山すんでいて、朝校庭に夜コブラが散歩した跡が残っていることは珍しくないそうです。そしてコブラを追いかけるようにマングースの足跡も校庭に残っているそうです。ワクワクする話ですが、僕は蛇がだいの苦手というより、蛇と遭遇するとどんな蛇でも身が竦むのです。

先日はヴィシャカパトナムの飛行場が大雨の日、飛行場脇の貯水池の土手が決壊して貯水池の水が、すり鉢上の地形にある飛行場に流れこみ、池ができ、そして水と一緒に魚も大量に流れて来て飛行場は水が引くまで釣堀と化したそうです。楽しいです。楽しい話ですけど、釣りをしていた子供が飛行場で溺れ死んだそうです。

インドの話になると、悲惨で大変なことでも笑って話せるところがとても楽しいです。ですが昨夜、一番心に残ったのは直子さんの一言でした。

昨年APOCCは僕がベルリンにいたこともあり、活動をお休みしたので、昨年の会費がそのまま手元に残っています。そのことを直子さんに話し、有効活用できないか相談しましたが、
「お金は喉から手が出るほど欲しいですけど、お金ではなくまた皆さんで、生徒と一緒に何かをやってください。あの時の子供たちの輝きが忘れられない、だから橋口さんが学校に来てくださることが一番私は嬉しい」と。

お金は大切で無くてはならないものだけど、そのことが全てではないということは分かっていたはずですが、直子さんにガッンとやられた思いです。

帰国してこの2ヶ月というもの、明け方までの暗室作業が続いていますが、本当はとても肉体的には大変なことなのですが、不思議と大変だと思わない自分に気づいています。ベルリンでは大変だったとこの場でも何度も書いていますが、暗室作業をしながら、「大変」の正体に気づきました。

正体とは、人間関係以上に「他人のお金を使ってアートワークをすること」、そして『結果」を出さなくてはいけないということでした。フリーで作家活動している僕には「他人のお金を使って何かをする」ことは難しいことなようです。

難しいといえば今プリント作業をしていて、写真集用の印画紙は国産で今でも手にはいるのですが、展示用のプリントは僕はドイツのAGFA制の印画紙を使用しています。そのAGFAが日本で全然手に入らない現状です。こんなに簡単に消えるとは思いもよらなかった。ベルリンで買ってくれば良かったのですが、ベルリンでは気持ちに余裕が持てずにAGFAの印画紙のことはスッポリ忘れていて、今非常に焦っているところです。チエコやハンガリーではAGFAが残っているようなので、今探してもらっているところです。

それより星野の本を是非探してみてください。



●2006年5月8日

デジタルカメラ」についてもう少し自分の考えを述べます。
この数年デジタルカメラを使いますかとか、デジタルはいいとか悪いとかよく聞かれますが、僕は質問そのものが変な気がします。なぜならカメラは道具で、道具は使う人の考え方の問題だからです。

僕の手元にカメラメーカーに提供していただいた一眼レフデジタルとコンパクトタイプの2台のデジタルカメラを持っていますが、普段はコンパクトカメラでは展示風景を撮ることぐらいでしょうか。そして一眼レフカメラでは、インドでワークショップを開いた後、ワークショプでお世話になった街の人たちにお礼返しをかねてポートレートを撮るために使いました。撮影後すぐにその場でプリントアウトをして画用紙に張り、街角に長いロープを張り洗濯物を干す要領で洗濯バサミを使い吊るし、そこで暮らす人々と喜びを分かちあいました。ガンジス河べりではこれまで2度写真展を開きましたが、一度目はイーゼル置き額装した作品を日本から運び展示をしましたが、2度目は迷わずデジタルカメラとプリンターを用意しました。費用や労力もさることながら日本で完成させた作品ではなく、もっとインドのそこで暮らす人の身近なことをテーマに街でワークショップを試みた気分を大切にしたくてデジタルカメラを選択しました。

ワークショップでもデジタルカメラを使っています。ただしフィルム同様に一日に撮る枚数を限定しました。デジタルでは無限に撮影は可能ですが、物事には限りがあることを参加者に感じてほしかったことと、限定された中で模索をして欲しかったからです。そして一度シャッターを押したものは気にいらなくても消さないこと、途中でモニターを見ないことを約束をしてもらいました。僕が出した約束ごとを彼らが守ったかどうかは別にして、簡単に映ってしまうカメラ、写真だからこそ制約が必要だとの考えからです。ワークショップで使用したカメラはデジタルカメラですが、発想はアナログ的なところから来ています。ですがデジタルカメラを使用したことで、ワークショップの最後は写真展で締めくくることが可能になりました。ただしプリント作業に多大な時間と労力を必用としたのも事実です。ちなみにプリンターは3台持ち込み、スタフは橋口をのぞいて6人です。全てのデターを保存し毎晩遅くまでプリント作業をして始めて成り立ったワークショップでした。余談ですがだれかが必ず毎日たおれてつぶれていました。献身的なスタッフの日々の姿がワークショップ参加者は勿論のこと街の人々の心を揺さぶったと思います。

スタッフの作業もインドの人々の気持ちの萌芽もデジタルとは無縁のものです。
ワークショップが受け入れられたのはデジタルカメラではなく、スタッフ一人一人の気持ちのありようです。もっと分かり易く書くとデジタル化できないものが人の心をたたいたのです。
(つづく)


●2006年4月24日

時間が凄い勢いで過ぎさっていっています。窓の外の桜は葉桜になり、いつのまにか桜の木の横のハナミズキの花が咲き始めています。僕は季節が移るときの感覚が好きなのですがこの春は感情を泳がせる間もなく、フーという感じです。

文化庁の報告会も終わり、6月にスタートするベルリンでの展覧会に展示する作品のプリント作業。そして今一番時間をとられているのが「17歳」「Father」「Couple」3作品のプリント作業です。アシスタントが全員独立して作業が僕一人だけということに加え、今の暗室は完全に光を遮光していないために作業が夜だけに限定されているのと、プリントの量が量だけに、体力と感覚を一日一日使いきっている感じです。「17歳」は20年前の作品ですが、プリントの質感に求めるものが当時と比較して変化をしている自分が面白いです。カメラは機械でフィルムは科学ですが、プリントの最後の決め手はプリントをする人間の感覚と感性に行き着きます。世間はこぞってデジタル化の方向で推移していますが、僕は今のアナログ的な営みをこの先も大切にして行きたいです。もしこれから先写真の世界が全てデジタル化した場合、僕は写真以外の表現を考えたいと思います。写真以外というより、人間の皮膚感覚を生かせる現場に身を起きたいと考えています。

今プリントしている作品は、遅くてもこの7月には新装本として皆さんに見てもらえると思います。先日新装本のインクと紙が決まりました。選んだ紙にテスト印刷された作品を見て思わず「これで安心して死ねる」と叫んでしまいました。いい上がりでした。出版社、編集者、ディレクター、紙屋、印刷所、今度の作品集作りのために初めて向かいあった人たちとの作業です。お互いが使っている言葉の意味や、頭にある事を確認、確かめながら一歩一歩進めています。世間の流れに逆行している感のある今の作業ですが、自分が原点に戻るためと人間の感情を織り込んだ作品集を社会に残せればとの思いからです。初めて出会った人たちと良い仕事が出来れば、僕はこの先も表現の世界で生きていける気がします。それだけに今は踏ん張りどころなのです。そのせいだとはいいませんが、食は乱れまくり、日々の事務作業をはじめ公共料金の支払いを多々忘れてしまい、先日電話が止まってしまいました。

話は飛びますが、先日文化庁の報告会で、他の交流使の方と言葉を交わしましたが、皆さんも同じように苦労なさったようです。セクトを超えて力をあわせることが出来ればいいのにと思うのですが、官僚の世界は単純ではなさそうです。ですが僕には関わった責任があるので、自分でできることをこれからも試みていきたいと意を強く持ちました。

遅くなりましたが、DVD製作にかかった費用の明細を報告します。ですが日本から作品を送ってくださった人たちに作品を返却するのを忘れていました。スミマセン。今週中に届くように手配をします。

APOCCの今後の方向性を次回報告したいと思います。そして先の一年間のドイツでの活動報告を少しずつ皆さんに報告していきたいと思います。



●2006年3月2日

2週間前に東京に戻りました。ベルリンに残して来た部屋の管理をお願いして来た人から、DVD製作の為に集めた作品が宛先不明で4通戻って来たとの連絡がありました。90通近く郵送したなかで4通の未着。先の返却先が分からなかった5作品と合わせて9人の作品が未返却のままです。困ったなと思う反面、とりあえず他の人たちの作品は無事に返却できたようなので一安心です。近い内にDVD製作にかかった費用の明細をこの場で報告したいと思います。実は預かった作品を郵便局に持ち込めたのは帰国予定日の2日前の土曜日の午後14時でした。量が量だっただけに3回に分けて郵便局まで運びましたが、帰国前に無事に自分の手で終えられ得たことにバンザイしたい気分でした。DVD製作には長い時間と多大な労力がかかりましたが、労力をかけた割にはキチンと、プレゼンテーションできていなかったようなので、改めて自分の手で考えたいと思います。おそらくベルリンでの上映になるかと思いますが、ただその時には少し内容を変えると思います。

話が飛びますが、ドイツは日曜日はレストラン、カフェを除いてお店は全部休みです。帰国前に何か買い物をと考えていたのですが、土曜日午後まで返送作業にかかった為に、結局何も買わずじまいでした。個人的には靴を買いたいと考えていたのですが、靴は次回の楽しみに残して来ました。今履いている靴は東西ドイツが統一した年にベルリンで買った靴です。何度か修理にだしていますが、ドイツの良い靴は本当に長持ちします。この靴は、日本国内はもちろんですがインド、アメリカ、カナダ、フランス、ポルトガル、ハンガリー、イギリス、ロシヤ、タイ、ビルマと旅してきています。まだまだ長い付き合いになりそうです。

買い物を諦めながらこの1年間の滞在で買い物したものを思いだしてみましたが、消耗品の靴下、下着以外ではケルンでの展覧会のオープニングに着る為に買った、ジャケットとシャツとスラックスだけでした。活動そのものにお金がかかることも有りますが、この数年殆んど買い物をすることが無くなりました。年齢的なことから来ているのかなと考えたこともありますが、良く良く考えると2000年にインドでアートワークを試みたころからなような気がします。勉強したくても出来ない子供たちと時間を共有しあったことで自分の中の欲望の質が変わってきたようです。

お土産は何も買えませんでしたが、ベルリンの部屋で育てていた、アボガドの木を持ちかえりました。ベルリンでは毎朝、アボガドをバター代わりにパンにつけて食べていたので2日に1個アボガドの種が手元に残りました。残った種の中から元気そうなものを選び窓べで育てていましたが、生木を持ちこんではいけないことを承知しつつ1本だけ持ちかえりました。今そのアボガドの木は元気に善福寺の家で根を伸ばし始めています。動物もそうですが、命を与えた責任があるのでキチンと育てねばと思っています。ベルリンに残して来たアボガトも元気なようです。ですが心の安らぎの為に一時の感情で命をうむことの傲慢さも心の隅で感じています。難しいです。木と話が出来ればいいのですが。

ベルリンで時々、観葉植物がそのままゴミ箱に捨てられているのを時々見かけていました。ゴミ箱にすてられた観葉植物を見ると、ドイツ人のライフスタイルというか、思考、価値観が透けて見えることが有ります。いつかこのことも触れたいと思います。

帰国して休むまもなく、6月にベルリンのノイエナショナルギャラリーに展示する作品の準備と、この五月に出版する保存版の準備に追われています。作品集の方は先日アートディレクターの方と会い、版形や方向性がやっと定まりこれから始まります。

APOCCのことも、しばらく離れていたことで現実的な新たな方向が僕の中で生まれて来ました。関係者に相談した後に、新たな方向性を打ち出したいと思います。

そしてドイツからは、ベルリンでの展示の会期中に、生徒達とバスを借り切り見に行くので、会場でレクチャーして欲しいとの要請も届いています。それにギムナジュウムの一つからは夏休み前に、学校全体でスチルムービーを試みて欲しいとの要望が来ています。

僕は2000年からできるだけ時間をつくり資金をやりくりして、インドにワークショップを試みるために出かけていますが、インドが好きだとか嫌いではなく、関わった責任からくるものが大きいのです。ドイツのこの一年も同じことが言えます。

橋口個人が関わって行くこととは別に、文化交流使という制度をつくり人を派遣した後に生まれるものを、文化庁の人たちはどう受け止めといくのか、キチント静かに見ていたいと思います。

話はベルリンに戻りますが、僕が帰国することを、土曜日の夜近所のカフェにつげに行くと、お店の主人が泣きそうな顔をして、カウンターの隅にあるCDの山からお土産にCDを3枚くださいました。3枚とも依然僕が曲の名前を尋ねたCDでした。



●2006年2月5日

名簿整理は一日半で終わりました。ベルリンの写真家、並びに写真学生に作成したリストとDVDを見てもらい、あて先不明も五人まできました。日本人には判読不明の文字も彼らには簡単に読めてしまうのです。それにベルリンの街の大きさが助けてくれています。返却も学校単位で引き取ってもらいました。DVDも学校にマスターDVDを1枚渡してあとは、必要な数だけ各自学生にプリントしてもらうことにしました。しましたというより学生の方が僕の現状を知り申し出てくれたのです。実はDVDのコピーも自分で焼いています。始めは100枚近いプリントをどうしようという感じでしたが、お風呂のお湯をためる間に1枚。お風呂に入っている間に1枚、朝ごはんを食べている間に3枚と。作品作りと同じで少しずつ積み重ねていたら必用な枚数の80枚が終わっていました。

1月も半ばにはいり、DVD製作を依頼していた彼がいつものように赤いセーターを着てフローマルクトで買った日本製のカメラをたすきがけにして、現れました。そして少し顔を赤めて「コンピューターが壊れたのでコピーはできない。」お金はと聞くと「もうない」と答えるのです。彼はリトアニア出身で、3年前にバスで5時間かけてベルリンに友達五人と来たそうです。いつかベルリンに着くまでの5時間どんなことを考えていたのか聞いてみたいです。

緊張するときついん症が出てロシア語とリトアニア語、英語しか話せない彼に仕事がある訳がなく、ベルリンに来てからというもの、ロシヤ系住民の多く住むエリヤにある、空き家占拠の家に住み教会の炊き出しと、カスタニヤ通りにスーパーの売れ残りの野菜や果物を無料でもらえる場所があるので、彼はいつもそこで食料を調達していました。衣類も一人3点までは無料の場所があるので問題はないのですが、ドイツ人でも仕事がない状況で彼に生活環境が改善される気配は皆無に近い気がします。ですがリトアニアに帰ろうとは思わないそうです。カメラを提げているといいましたが、彼のカメラにはフィルムは入っていないのです。彼はフィルムの入っていないカメラで楽しそうに街角で空シャッターを切っています。そしてシャッターを押すたびに僕に笑いかけて来るのです。

後カメラをいつも提げているのは、パスコントロールを避けるためだと思います。彼は不法滞在者なのです。一度彼と郵便局に出かけたことがありましたが、郵便局の人が怪しいものを見るかのように彼に「なんの用だ」と尋ねてきました。「僕の友達だ」と僕は郵便局の人を諌めましたが、僕らには分からない印が彼ら東欧系の人には有るのかもしれない。

リトアニアでプログラマーだったと言う彼に少しでも仕事をと思い彼にDVD製作の依頼をしました。お金もさることながらキチントした仕事をする、依頼されるということは人間の誇りに繋がるからです。彼にはコピーが全員分やけたらお金を払う約束でしたが、ベルリンの気温がさがるたびに、50ユーロ、100ユーロ、クリスマスだから100ユーロ、新年が来るから100ユーロと渡してきました。僕自身も鹿児島から東京に上京してきているので、世間が華やいでいる時に少し手元にお金があることで心のありようが違うことを経験として理解していたので、お金を先渡しすることによる不安よりも、彼の心のやすがりを考えお金を先渡ししました。

お金が入り食生活が豊かになったからだろうと思いますが、骨と皮だけの顔にも肉がつき、頬も赤みがさし、服も防寒着を手にいれていて、会うたびに元気そうで良かった良かったと挨拶がわりにお互い言葉にしていたのですが、作品を返却するのに合わせて完成したDVDも添えてあげようと思い、彼に完成日をたずねるとなんだかんだと返事を先延ばししたあと、「コピーはできない。お金はない。」そう言われたときに正直大変だどうしようとは思いましたが、不思議と腹は立たなかったです。たぶん心のどこかでは今の状況を予測していた自分がいたのだろうと思います。

僕の部屋にある冷蔵庫を運んでくれたのも彼だし、配線をまちがえたけど風呂場に電球がつくようにしてくれたのも彼でした。リトアニアから一緒に上京して来た彼の恋人とも何度か会いましたが、彼女は生活力の有る人のところに行ったようです。ですけど今でも二人が1緒のところに良く見かけます。彼女はそのつど小さなお鍋やタッパを手にしています。想像するにどちらかが生存可能な場所にいて支えあっているように僕には映ります。いろんな形の愛を見せてもらっています。

先日マイナス15度の日、オーバーバーム橋とトレプト運河がの間か完全に凍り、沢山の人が河に張った氷の上の散歩を楽しんだそうです。


●2006年1月27日

昨日のベルリンは気温マイナス15度、風が吹いていたので体感温度はマイナス25度。シュプレー河に氷が張りました。東西ベルリンが分断されていた頃河は国境だったので、行きかう船も少なく、直ぐ氷が張っていましたが、東西ドイツが統一してからは河が昔の機能を取り戻し頻繁に船が行き交っているだけに河もが完全に氷にふさがれることはないようですが、久しぶりに冷気がベルリンに張り付いた感があります。屋根のいたるところから昇るコークスの煙がまるで狼煙のようで、旅をしていた頃の感情が蘇り、コークスの煙を見るたびに身体が騒ぎます。
22日に無事にというか、あっけなく作品の撤収も終わりました。展示の規模に関係なく作品の撤収は寂しいというより、なんだろう展覧会が終わったという安堵感とこれからどうなっていくのだろうという不安が入り混じりなんともいえない気分に覆われますが、この寒さが感傷を許さないので助かりました。絵描きの一人が「これで落ち着いて絵が又書けます」と別れ際につぶやいた言葉が印象的でした。実は彼のつぶやきはとても奥深い心の言葉なのです。僕ら表現の世界に生きる人間は自分のリズムで生きているつもりが、ついつい世間や社会に映る自分の存在が気になりペースを壊すことが多いからです。どんな表現者でも沈黙は恐いのです。作家にとってどこまで作品と力をためきれるかが、全てといってもいいかも知れません。

ベルリンで政府の奨学金を受けている表現者と時々すれ違いますが、彼らはどこか苦しそうです。何故かと言うと満ちてきたから作品を発表するのではなく、発表しないと次の奨学金がもらえからないからです。お金がなければ作品も作れないわけですが、そのお金が作家のリズムを壊してしまう。難しい問題です。その逆も有ります。奨学金を得る為に無理に実績を作る。むごい制度です。奨学金があることで助かっている作家も沢山いるのは事実だけに、制度のあり方を変えない限り時代を超えて残る作家、作品は中々出てこない気がします。今僕は皆さんの税金を使いベルリンに居ますが、僕が個人的に奨学制度を知ったのは49歳の時でした。奨学金が欲しくなかったのではなく、作品作りに集中していたがうえに、そんな制度があるなんて知らなかったと言うのが事実です。作品や履歴だけにとらわれて人間力を見ない。かといって人間力なんて簡単に見れるものではないだけに、難しい問題です。

話を自分のこの一年に戻すと、目にみえない恐怖が存在していたのも事実ですが、仕事をしなければならないという脅迫観念のほうがしんどかったです。無理に仕事を進めようとするがうえに、普段なら関わらない人とも身体のセンサーが鈍ってしまった結果、関わってしまい、さらに心労が深くなったのがこの一年だったと思います。まだまだ未熟なのと焦りは思わぬ落とし穴に落ちてしまいます。恐いと思いました。ホームページの写真もカールが撮って東京に送ってくれたから残っていますが、他の活動は殆んど記録として残っていません。真面目に仕事をしていると、写真なんて簡単にとれないのです。ここでいう写真とは作品ではなく記録写真です。

ですが地方紙とはいえこの一年で、8回も新聞が取り上げてくれたぐらいですから、それぞれの都市では印象的な活動、試みだったのだろうと想像します。落ち着いたら少ない写真と新聞を紹介したいと思います。なんだかんだと有りましたがグリマの展示でいい終わり方ができました。いろいろ僕を支えてくれた人たちに感謝しています。そしてとりあえず区切りをつけることが出来たことを報告します。

ただDVD製作のために集めた作家の名簿が整理されていなかった為に、名簿の整理に思わぬ時間をとられていて、返却がとどこをおっています。ただ連絡先が残されていない為に最悪の場合返却できない作品が20人程でてきそうなのです。困りました。無名、有名に関係なく作品は大切に扱わなければならないのに、、、、、。事務局を作りきれなかった僕の責任です。なんか反省だらけです。

区切りが付いたということは次が始まります。グリマでの展示が終わったあくる日、ポツダム広場の近くにあるノイエナショナルギャラリーでこの6月8日から始まる、(10月8日までです)展覧会の打ち合わせを済ませました。この展示の話は一年前にいただいていたのですが、僕自身が交流使の仕事に追われていたために、キチント話をつめないままになっていましたが、正式に展示が決まりました。僕はこれまで少なくない国々の公の美術舘で展示を試みていますが、ベルリンは僕にとって魂の故郷で有るとともに、ベルリンの作品に限らずこの街で考えたことを日本に持ち帰り具現化してきました。そして今もこの5月に出版をする作品の構成をベルリンで練り上げているところです。

それだけにノイエナショナルギャラリーで展示の話をいただいたことは、言葉に形容しがたい感慨深いものが有ります。ギャラリー側は他の作家に先駆けて僕に声をかけてくださったそうです。展示スペースも一番目立つところを提示してくださいました。そして「橋口が静かに作品をみせたければ、奥の静かな壁を用意するけど」とまで言ってくださいました。このことは僕の作品が特に素晴らしいとかそうではなく、生き方を含めて美術舘がわが敬意をしめして下さったのだと思います。画家のピカソみたいに個展では有りませんが、いただいた機会を大切にしたいと思います。そして橋口の作品を展示するに当たって日本側から異論があったことも伝え聞いています。そのような状況でも僕の展示を進めて下さったベルリンの人たちに、今後の仕事で答えたいと思います。

今日はマイナス2度ですが、少し暖かい気がします。本からDVD製作のために作品を送ってくださった方で、住所がない方がいます。APOCCの方に住所を教えていただけると有り難いです。



●2006年1月20日

僕の部屋はセントラルヒーテイングなのですが、向かいの部屋はまだコークス暖房らしく、この数日本格的な冬日が続いているせいか、煙突からもうもうと煙がでています。一冬でトラック2台分ほどのコークスが必要だそうで、ストーブでコークスを燃やすのはロマンチックな印象を受けますが、地下のコークス置き場から部屋にバケツで運ぶ仕事はお年寄りにとっては重労働だと思います。普段外出する時にはいつも窓を開けて気温を確かめて外に出るようにしていますが、最近は窓を開けなくても周囲の煙突からでる煙の勢いをみてその日の気温を判断できるようになりました。

今時々ですが、近所に住む写真を勉強している学生に散歩がてらに、写真を教えていますが、雪灯りに照らされた、歩道に転がるように微かに響くカシャ、カシャというシャッター音に癒されている自分がいます。少しずつですけど、凝り固まった身体の神経が負ぐれていっているのが分かります。ですが今でも溺れたり、沼に落ちたりする夢を良くみます。言語化しがたい恐怖が身体に宿っているようです。

教えているといいましたが、写真に限らず表現なんて教えられるものではないのですが、僕の興味の持ち方や散歩の脱線の仕方を見せていると言った方が良いかも知れません。

昨日、僕自身も店の外に山済みにして置いてある、リンゴの上に積もった雪の写真を撮っていた時、チェロを背中に背負い自転車に乗った女性が「写真を撮っている人なんだ」と話しかけてきました。彼女は僕と同じ番地の建物に住んでいるらしく、僕が中庭を横切る姿を窓から良く見かけていたそうです。僕自身も時々窓の外から聞こえて来るチェロの音楽を耳にしていたので、短い会話のやり取りでしたが、とても近しいものを感じてしまいました。
僕が東洋人でかつ白髪頭ということも有ると思いますが、僕が住む建物の人たちは勿論ですが、道行く人も、カフェの人も良く声をかけてくれます。この間も半年ぶりに立ち寄った駅前のカフェで、僕が注文を口にする前に「カフェラテでしょうと」とレジの人にいわれてしまいました。言葉はかわしていないけど、誰かがどこかで気にかけてくれている。ベルリンの街のいいところです。

気にかけているといえばミュンヘンのカールから「何かやるときには生徒も一緒に皆で手伝うから躊躇しないで動くように」とメールが来ました。カールとはいつも何かやるたびに小さなギクシャクを抱えてしまいますが、あたりさわりない関係じゃないところで互いに関わり認めあっていることと、何かをやるということは面倒が生まれて当然と言う認識が彼の中にも有るのだと思います。だからなんだかんだとありながらも克服して今日の関係が築けています。そういえばカールの新しいアルバムが来月完成するそうです。カールは教師であると同時にミュージシャンなのです。最近おなかが出てきていますが、中々のものです。この夏はブレヒト祭で歌うことが決まっているそうです。

面倒といえば最近、旧東独時代の弊害と良く出くわしています。弊害というと大げさで誤解を生みがちですが、旧東独時代にエリートとだった人たちの、自由社会の捉え方に、歪なものを感じます。お金に対する執着であったり、情報の管理であったり、計画というより策略を巡らしたりといろいろです。演劇、表現の世界も意外にハッキリと分かれているようです。異なるものを繋ぎあうのが芸術の役割だと思うのですが、ことはそう簡単ではなさそうです。
旧西と旧東の人々が混ざりあうにはまだまだ長い時間がかかりそうです。あとなんだろう同じドイツ語を喋るというのも理解の妨げになっているような気がします。なまじ通じてしまう分、齟齬が大きいのだろうと思います。いつかゆっくりこの問題も考えてみたいと思います。ですが人にもよりますが旧東の普通の人たちはとても親切です。助け合い分かち合うという思想と西側社会の自由な思想が混ざりあう日がくることを願っています。

22日に昨年11月から展示をしていたグリマの教会に作品を撤収しにでかけます。又各駅停車を乗り継いでの移動になるので時間はかかりますが、貧しくても誇りある絵描きたちとの旅になるので楽しみです。

今日散歩の途中で立ち寄ったカフェで雑誌をパラパラめくっていたら鳥インフルエンザの特集があり、トルコの農家の写真が掲載されていました。防疫服に身を包んだ人が両手に鴈を下げているところに、泣き顔の少年がくいさがっている写真です。おそらく少年が朝晩世話をしていたのでしょう。鳥は卵や肉を提供してくれる家畜にはちがい有りませんが、家畜であると同時に少年には家族なのでしょう。餌さをやり終わった少年の後を鳥たちがトコトコついて歩く光景が目に浮かんできて、胸がいたくなるような写真でした。



●2006年1月7日

ベルリンはクリスマスの後少し緩んでいた寒さが、戻ってきて、息を吸い込むたびに器官が縮む感じを楽しんでいます。寒さの戻ったベルリンの街とはうらはらに、一度懲り固まった感覚はなかなか元に戻りません。カメラを提げて街をウロウロはするものの、身体が素直に反応しなくなっているようです。身体は正直だし、素直なリズムが戻るまでには、今しばらく時間がかかりそうです。

リズムといえば今日、日本から「世界」の2月号が届きました。今月号はエバさんですが、先月号のミレアムさんの場合もそうでしたが自分で選んだ写真ですが、写真の選択に少し違うなという印象を受けています。通常写真をセレクションする場合、紙焼きのプリントを並べますが、今度の編集部での作業はCDロムに収められたデーターをモニターで見ながらの作業だっただけに微妙に写真選びにズレが生じたようです。ただ先の1月号もそうでしたが、今月号のエバさんの作品が届き、少し彼女たちに借りが返せたかなと心の負担が少しだけ軽くなってきているのは事実です。

実は今度の展覧会は作家と作品がもてあそばれたという思いが僕の中にあるからです。在外公館の後援がとれた時点で新たな作家の扱いが変わったようです。よく分からない世界があるようです。

ただ新年号から3号続けて若いヨーロッパの作家を紹介することが出来たように、広い意味で日本の隣国の新しい価値観を探す場として『世界」のグラビヤを機能させられる可能性を今勝手に見出しています。この先も諦めることなくエバさんみたいな「新しい人」をドアを開けて待ちたいと思います。

クリスマス以後、DVD製作の為に集めた写真を返却するために、皆の作品を見直していますが、見落としていた作品が沢山あることに気づかせれています。たぶん1度見たものだとは思うのですが、僕の状態の変化にるものが大きいと思います。作品はそれぞれ手紙を添え、今月中ごろまでは返却を終えたいと考えています、面倒な作業ですがこれまでも僕はこうして関係を築いてきました。返却の費用は展覧会を主催されたところからいただいています。

新年は昨年同様、バンゼーの湖畔を散歩して過ごしました。今年はベルリンで絵を描いている美学生と一緒でした。彼女は特別輝くものを持っているわけではありませんが、真摯にキャンバスと向かいあっている学生です。

先日友達のお母さんがメールをくださり、『カメラを持ち始めたという日記を読み涙が出て来ました、良かったです」と添えて有りました。べルリンのこの一年のことは、近しい人にしか話していませんが、僕の置かれた状況を勘で察してられていたようです。心配をかけて申し訳ないと思いつつ有り難いです。

有り難いといえば、思わぬところから僕を気にかけてくださっている人が居ました。昔ベルリンの中心地は壁で仕切られ空き地が広がっていましたが、その後に出来たガラス張りのビルの中で、芸術や人間が集まることで生まれる可能性を信じその思いを仕事にされている人から「ベルリンに今いらっしゃるのですね」とAPOCC経由で連絡をいただきました。ちかじか会う機会を持てると思います。

年末に髪の毛を切ったったはいいのですが、左右の長さが違うことに昨日気づきました。ベルリン、というよりドイツです。

実はクリスマスの夜とても心温まる光景を目の当たりにしました。次回はそのことを書きたいと思います。

今年も去年の続きの一年が始まります。宜しくお願いします。



橋口便り 
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