HASHIGUCHI George

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橋口便り
橋口便りバックナンバー・07(2008.1〜2008.12) 


●2008.12.12

3週間程まえから、ベルリンに来ています。11月の中旬には雪も降りかなり冷え込みましたが、この数日は寒さも少し緩んで、夕方になるといつのまにか路面が濡れていて街がとても綺麗ですよ。僕はこの季節のベルリンが大好きなのですが、先日は壁の跡を歩いていて思い切り迷ってしまい、泣きそうになりました。ベルリンの中心部はとにかくギャラリーと美術館がふえていて、特にギャラリーの数は尋常じゃない気がします。


インクジェット印刷の普及でプリントが簡単になったせいか、大きなプリントが安価な価格で並んでいて、よりアートが普通の暮らしの人びとの身近に入り込んでいる様子が伺えていいことだと僕は思いました。ただ表現する側の僕らにとってはまた別な問題が派生するでしょうが、後は一人一人、個人の選択に尽きると思いました。

打ち合わせの合間をみて、いくつか展示を見て廻っていますが、KLEEの絵を纏めてゆっくり見れたのは幸福でした。KLEEの自由度というか、多面性と性表現の洗練度を改めて感じることが出来て良かったです。それに昔、郵便局だった建物で開かれていたagnis b Coolectionでは手焼きのプリントに合わせて、インクジェットのデジタルプリントが同時に展示されていましたが、少なくともこの展示では、アナログとデジタルの答えがすでに出たなという印象を持ちました。

話はいきなり飛びますが、ある日ポツダム広場での打ち合わせの後ふと気がついたら昔、筑紫さんと一緒に歩いた付近にいることを思いだしてしまいました。筑紫さんの訃報を受けた後だけに様々な思いが巡りました。「死ぬ時には、バタッと倒れて死にたい」と僕に話してくださった筑紫さんが、「復活」を願いいろいろと治療を試みられていたことを知り、僕は筑紫さんの「無念」を強く感じたのです。日本に居る時に追悼番組のことも事前に連絡をもらいましたが、僕は追悼番組は見ませんでした。たぶん何かに腹をたてていたのだと思います。

僕は筑紫さんとはそんなに親しいというわけでは無かったと思います。ただ「筑紫さんが内で番組を持ちますけど、一緒にやりませんか」というのが僕とTBSとの付き合いの始まりでした。TVで受けるとか受けないとか関係なく、僕が拘っている先を笑って見てくださっていた、というのが正しい認識、関係だった気がします。「あなたが拘っている先を見たい」と僕を自由にさせてくれていたのは、今月廃刊になった集英社発行の、月刊PLAYBOYも同じでした。ベルリンに関する写真集、著書の原資は長きに渡ってPLAYBOYに助けてもらいました。


「筑紫さん」「PLAYBOY」を社会に置き換えることも出来るかと思います。僕が作品を作る傍ら社会活動に関っているのは社会に育てられた、生かされて来たという強い思いがあるからです。歌手の「尾崎豊」ではないですが「僕が僕であり続ける」ことが筑紫さんらへの恩返しなような気がするのです。この橋口便りを書きながら、尾崎君のことが業界紙ではなく公の場で語られたのは僕と筑紫さんとの反戦に関するシンポジウムの場所が初めてだった気がします。尾崎君はあの時から公に出て行った気がします。




●2008.11.15

ベトナムでのアートワークの展示が終わり少しホッとしています。ホッとというよりも展示をやって良かったと思っています。プリントされた写真491枚を一枚一枚ボードに張る作業は正直時間がかかり大変でしたが、作業を通じてベトナムでは気付かなかった一人一人の世界を再発見再確認できた気がしたのと、それぞれの写真の中に何ものにも代えがたい大切な魂みたいなものを、僕ら自身が張る作業を通じて感じることが出来た気がするからです。


 そしてベトナムの彼ら彼女らの思いを展示を通して何人かの人たちに手渡すことができたという実感が有るからだろうと思います。僕の気持ちの立ち上がりが遅かったことに加えて、会場となったJICA横浜の利便性の問題もあり、集客は今一つでしたが、キチンとした展示をすることができて本当に良かったです。今後は横浜での展示で制作したものを、高校を中心に巡回させることを考えているところです。

会期中、国際交流基金の招聘により来日されていたベトナムの新聞記者の方にも展示を見てもらえるという幸運も得ました。記者の方は初めは展示されている作品を前にしてどことなく不安げでしたが、僕が会場に書き残された感想文を読んで差し上げたところ、頬の緊張が緩み本当に嬉しそうでした。それに表に張ったベトナムの国旗に気付くと、カメラを取り出し写真に収められていました。塚田さんの発想、手により制作したポスターでしたが、外国で自分の国の国旗を見るというのはまた僕らとは違うものが有るのだろうと思います。面倒がらずに制作して張りだして良かったです。

実は横浜での展示をやりますと宣言した同時期に全て9月中に片付けなくてはいけないという大きな懸案が二つも舞い込んで来ました。一つは先の戦争で終戦後も帰国せずに現地で暮らすことを選んだ人で、今年100歳になる方が帰国されるというニュースが飛び込んできました。以前僕が写真を撮らせてもらった人です。縁ある人たちは純粋に再会を望み、ある人たちは「これはビジネスになる」と動き始めていて、僕は関わった責任上なんとか墓参りをしたいという思いを大切に守れないかと、印刷物の手配や展示の準備をする片方で走り廻っていました。おかげ様でというか、来日中、毎日墓参りもでき、お墓参りの後は近くの商店街を散策されていたそうです。100歳ですから車イスでの散策ですが、商店街の魚を焼く匂いや、人ごみの声が、身体を癒したのか驚くほど元気な様子だったと聞き安堵しました。

もう一つは11日からフランスのパリでパリフォトが始まりましたが、それに合わせて美術館やギャラリー向けのポートフォリオを作りたいとの要請が8月末に来ました。締め切りまで一か月を切っていました。このタイミングでの依頼は日本側からの推薦ではないことを意味しています。フランスの関係者が僕の作品を探して見つけてくれたのでしょう。横浜の展示に向けて動き出して直ぐだっただけに、正直焦りましたが、気持ちは「この依頼は受けよう」、受けるというより「獲りにいくぞ」という気持ちで交渉に臨みました。

実はこの5月に11月のパリフォトに合わせてフランスから展覧会の話をいただいていたのですが途中で流れてしまったという経緯があります。フランス側の条件はとてもいいものでした、展覧会の会期は7週間で往復の飛行機チケット、1週間の滞在費、オープニング並びに広報の費用、そして最後は展示作品の制作まで引き受けるという。ある意味まるがかえの条件でした。僕は作品を展示することは大切で重要なことだけに、条件に思考を奪われることなく慎重に交渉を重ねていたつもりでした。ただ運悪くというか、5月末は宮崎での展示、その後は東北での地震が重なり交渉しながらも僕は北や南に車を走らせていました。当然、返事が遅れることになります。パリ側としては「こんなに誠意を見せているのに」という気持ちが有ったのかもしれません、移動を繰り返していたことで返事が遅れがちな状況を、僕がフランス側を弄んでいるように受け止められたのか、「もういい」というようなメールが届いたのです。「後悔先に立たず」とはまさにこのことです。

僕の関係者にはフランスから展覧会の依頼が来ていることはすでに伝えておいた懸案でした。フランスのパリで写真展ができる、作家にとってはこの上ない喜びです。ですが展覧会の話が流れた時、意外に平静な自分がいたのには驚きでした。多分自分の意志で北や南に車を走らせていたからだろうと思います。7月と8月と11月のパリフォトが近づくにつれ、出品作家、作品が僕の耳にも入り始めて来ました。

当然僕の中に「うんー」という気持と、焦りにも近いものが湧いてきたのも事実ですが、必ずその時が来ると自分に言い聞かせていました。そんな矢先にポートフォリオの話が舞い込んできたのです。しかも「貴方の思想に共感する」という殺し文句を添えてです。そしてさらに嬉しいことにADの町口さんが僕の新作「17歳2001〜2006」の作品集を抱えてパリフォトに乗り込んでくださるというおまけつきです。昨日パリの知人から町口さんと合流できたとのメールが届きました。有難いです。




●2008.10.15

お陰様で横浜の展示も折り返しを迎えました。公の施設での展示ということもあり、ある程度予測はしていたのですが、ふうとため息をつきたくなるようなことの連続です。ですがベトナムの彼らの作品、気持ちを預かった責任上、工夫をこらしながら道行く人たちの足を止めて、少しでも多くの人たちに展示作品を見てもらえるよう努力を積み重ねているところです。本当は沢山の人でごった返しているビール祭りの会場から、本気で人をさらって来たいぐらいの気分ですが、そこはぐっと我慢をしています。

数年前に若い写真家が新宿で、自分の作品展会場近くの大通りで自ら写真展のプラカードを掲げていた彼の気持ちが良く分かります。

そんな中でも、展示がスタートした時点では、半ば諦めていた大型プリントをキャノンさんの協力により印刷をしていただき、建物の外壁の窓に張り出すこともできました。見事ですよ。リーフレットを仕事の合間に配って下さる人を始め、少なくない人たちがベトナムの少年少女たちの気持ちと写真を届けることに努力をしてくださっています。有難いです。

先の日曜日にトークイベントを試みましたが、イベント終了後に来場してくださった人たちにも参加してもらい、ベトナムの皆に送る、DVDの収録もしました。来場者にそれぞれ好きな作品の前に立ってもらい、「名前」と「好きな理由」をカメラに向かって話してもらい、その場でベトナム語に翻訳をして収録をしました。取材に見えていた朝日新聞記者も逆取材されていて、微笑ましい光景でした。カメラはベトナムでのワークショップに同行取材してくださった福田さんと瀧澤さんが引き受けてくださいました。

普段はニュース映像を撮っている方たちなので、会場周辺の雑感もキチンと拾って撮影してくださったようです。ちょっとしたドキュメンタリーなので、仕上がりがとても楽しみです。仕上がりもさることながら、こうした人の繋がりの意味をキチンと受け止めて行きたいと思います。

トークイベントでは、現役の美術教師でもある永吉聖さんにパネラーとして参加していただいたのですが、時間の制約もあり、美術教育の現状とその未来を語ってもらうまでは出来きませんでした。せっかくなので、今度の日曜日、再度パネラーとしてお願いをしました。永吉さんのテーマは僕らが試みているワークショップと繋がるからです。




●2008.10.03


ワークショップの展示を101日に無事スタートさせることが出来ました。会場の広さ大きさに比べて、作品が小さく貧弱な印象も無きにしもあらずですが、ワークショップに参加した少年少女の人となりと人格が伝わってくる展示は出来たと思います。

今度の展示では、一人の作品を一つのボードでイーゼルを使い見てもらうようにしました。これは僕らがワークショップで一人一人と向かいあった様に、見に来てくださった人たちにもベトナムの少年少女、一人一人と対峙してほしいとの思いからです。そしてAPOCCでは横浜での展示に合わせて、組み立て式のイーゼルを30台購入しました。年間予算が四〇万強の僕らにとって、けして安い買い物ではないのですが、横浜の後、地方での展示の可能性を視野に入れて購入することを決断しました。展示プリントは富士フィルムさんが手がけてくださいました。僕のミスにより、プリント見本をつけ忘れてしまい、結果、色味が浅く仕上がり、ベトナムの光と湿気を感じにくいプリントが出てきたのですが、僕の手配ミスにも拘らず展示作業に支障がきたさない様に、急いで再プリントを仕上げてくださいました。有難いです。フィルムならではの質感の仕上がりを楽しんでもらえると思います。

「配るのがもったいない」程、立派な仕上がりのリーフレットは、僕の写真集の制作チームが作ってくださいました。気持に余裕ができた時にでもベトナムの皆にも送るつもりですが、フーイエンの皆がリーフレットを手にしたときの、驚きと誇らしげな笑顔が目に浮かびます。

会場のJICA横浜はけして便利な場所ではありませんが、少なくない人たちの気持ちで出来上がった展示空間ですので、どうぞ足を運んであげてください。尚、展示は一階と二階の二か所になります。




●2008.9.21

なんとか、アートワークの展示の格好が見えてきました。参加者全員の写真を載せたリーフレットも印刷所に入稿出来ました。展示するプリントも22日には仕上がります。


ふうという感じです。実は展示の話はこの1月にいただいていたのですが、返事を伸ばしてきたというより、展示のことは考えないようにしてきたというのが正しいかな。考えないようにしてきたのには、いくつかの理由が有ります。一番大きな理由は、やると決めてしまうと、僕らはなんでも一生懸命やってしまうからです。当然周りを巻き込んで行くことになります。8月の中頃、関係者から会場を空けてありますので、という連絡をいただいたその時も、まだ腰があがらず、気持ちは保留のままでした。

やると決めたのが8月末で、関係各位に連絡を取り始めたのは9月が始まってからでした。

ベトナムでの記者会見で展覧会のことを公言した責任。でもそれはホームページで写真を紹介済みなのでまだ説明がつきます。

展示をやることにした理由は、ワークショップに参加した少年たちの感想文を読んだことが大きいです。僕らが試みているワークショップは簡単なようで簡単ではなく、とても深いものだと僕らはそう認識しています。言葉の壁が有るにもかかわらず、感想文を読むと、皆が簡単に答えをだそうとしないで、自分たちなりに僕らが投げた問いを考え続けていることが伝わってきたからです。それに、困難な環境の中で生きている同世代に対する、思い。同情ではなく同じ人間として慈しんでいる眼差しを感じたからでした。

ワークショップが無かったとしたら、環境の異なるところで生きる人たちに思いをはせることはなかなかないはず。なぜなら彼らは、これまで学校に行く途中や、日常生活の中で大人に交じって働いている同世代の姿は見ていたはずです。当り前の風景として見ていたと言い換えることができると思います。学校に行かずに働いている子たちが写し撮った世界に触れたことで、初めて同じ人間として働いている少年たちを認識し始めた。そして彼らの境遇を知ったことで自分の暮らしを見つめ直すきっかけにしていると僕はそう感じました。

実はフーイエンでの展示が終わった後、一部の参加者と二部の参加者一緒に自転車を漕いで海に遠足に出かけたのですよ。果物を買い、水を買い。海辺で参加者同士が、一部二部、男女に関係なく海辺で遊んでいる姿は一年たった今でも鮮やかに僕の中に残っています。働いている彼らには、短い初めての思春期のひと時だったかも知れない。


そんな皆の気持ちが写りこんだ心の世界を規模に関係なく皆にみせてあげないとと思い、披露してあげないといけない、そう感じるようになってから、少しずつ気持ちを高めながら、エイヤーでやることにしました。

展覧会の形が見え始めた今、もう少し早く決断をして、彼らのために公の後援、支援を受けられるように努力すべきだったと、少し後悔をし始めていますが、彼らの誇りの為にもキチンとした展示にしてあげないといけないと考えています。どうぞ宜しくお願いします。




●2008.8.24

気が付いたらいつの間にか日暮らしが鳴き始めています。この夏は数年ぶりに東京で過ごしました。過ごしていたというより横になっていたと言った方が正しいかな。4月に新作を発表した後、疲れをとらないまま、撮影や宮崎での展示、ワークショップ、被災地へのお見舞いと北や南に移動を繰り返していたこともあり、そのせいなのか疲労が身体の芯に沁みこんだらしく身体が起きようとしないのです。感情も沈んだままで喚起してこないのです。たぶん、休めということだろうと思い南洋の男たちみたいにダラダラと過ごすことを決めこんだのが、この夏の2カ月間でした。

でも僕がだらだらとしている間に、スタッフの努力によりベトナムでのワークショップに参加した生徒たちの作品を全員紹介することが出来、本当に心からホッとしているとこです。大げさかもしれませんが、ワークショップに参加した少年少女の誇りをキチンと受け止めて、そして守る事ができたという思いです。しかもAPOCCの現状、能力を考え併せると実施から一年以内に報告を終了させられたことは、驚嘆に値することのような気がします。昼間仕事を持ちながら夜の空いた時間に作業を進めてくれていたスタッフ皆に感謝です。

分厚いバインダーにファイルされたベトナム側とのやり取りを記した記録に見てとれるように、人と人の関係性の延長上に僕らが試みるワークショップは成立しています。ベトナムの地に立つまでは、少なくない紆余曲折がありましたが、ベトナムでもまた本当にいい人たちに見守られてのワークショップでした。通常、思想管理が仕事である人民委員会の人たちも傍観という形で協力して下さった様な気がします。チルドレンズパレスのスタッフは勿論のこと、美術教育が持つ可能性を信じてやまない青年海外協力隊員の塚田さんの存在も大きかった。塚田さんの自由を許したベトナムのJICAの存在。そして芸術に造詣が深く日本の生活文化に詳しい通訳のヤンさんの存在も大きかった。スタッフの一人がベトナム語を操れたことも大きかった。そして移動を最小限に抑えたことで、体力の消耗を防ぎ現場で全開できた気がします。それに日に3度のベトナム料理は、あきることがないほど美味しく極楽でした。後はこれまでのインドやドイツでのワークショップの積み重ねが生きたのだと思います。そして昼休みや夜の食事の後、その日の出来事を振り返り、反省と思考を積み重ねたことでスタッフも現場も緊張を切らすことなく終えられたのだと思います。ワークショップが事故やトラブルもなく無事に終えられたのはけして偶然ではないことを記しておきたいと思います。

宮崎で開かれたドキュメンタリーフォトフェスティバルの期間中に開いたワークショップは2日間という短い期間でしたが、日本でのワークショップの可能性を十二分に感じさせるものになったと思います。ただ僕の作品、仕事に興味を持ち橋口の作品を招聘して下さった方がパソコンそしてFAXを持っていない人で、途中のやりとりが電話だけという、手元に互いのやりとり、考え方が残らないという状況の中での試みでした。このことは僕らが今まで試みてきたワークショップの実情、内容を把握されていないということにも繋がるのです。恐ろしいといえば本当に恐ろしいことなのですが、片方というよりメインの展示はキチンとしたものになるという核心があった為に「ワークショップはなんとかなるわい」という思いで踏み出しました。それに電話でのやり取りを通じて宮崎の人たちの人間性は充分感じあえていたので、この人たちとなら変な方向にはいかないだろうという確信めいたものが有りました。このホームページ上でもお知らせしましたが、新作の『17歳 2001−2006』の中からポラの写真をエプソンさんの協力をえて、110×180という大きなプリントも初めて制作、展示もしました。展示した作品の前で何人かのモノローグの朗読も試みました。

宮崎でのアートワークは後日報告出来るかと思いますが、参加者が小学生から高校生、専門学校生、社会人、身体にハンディを抱えた人という幅広い構成で、始めはどうなるものかと不安でしたが、ワークショプに参加した大人が才能や感覚だけにたよらず限られた時間の中で言いわけもせず、本気で苦悩して写真に向かい合ってくださったことが、大きな収穫だった気がします。そんな大人の姿をみて、少なくない若い人たちが「若さという感覚だけでは表現は通用しない」ということを学んだと思うからです。でも大人を本気にさせたのは初日に「眩しい輝き」を持った高校生たちの写真だった気がします。それに写真は褒めようが無い作品でしたが、自分の仕事を通じて常日頃から感じている、社会に対する思いを自己紹介の時に熱く語って下さった大人の存在も刺激的で良かった。彼は若い参加者に仕事を通じて社会と向き合うことの大切さを伝えて下さったと思います。

そしてワークショップは基本的に僕一人で参加者と対峙をしました。対峙したというよりワークショップ経験者が僕しかいなかったということです。ですがサポートについてくださった宮崎の人たちもまた、僕とは異なる緊張と苦労をされたと思います。サポートについてくださった実行委員の人たちも、ワークショップのことを分らないなりに目の前のことに誠実に対応して下さった結果、いくつもの角度をもった時空が宮崎では生まれた気がします。2日間という短い期間でしたが意義ある時間だった気がします。でもその場の2日間はなんとか乗り切れましたが、結果、東京に戻ってからドッと疲れが出てしまいました。情けないです。この夏の間、新聞に挟まれて来る、チラシの中に宮崎の天然ウナギの広告がやたら恨めしく映った今年の夏でした。




●2008.5.4


椿の天ぷらを食べてしまいましたと、先の便りで報告をしたところ、「ナニ?」という素朴な質問を複数いただきました。ですので知人が撮影した写真を紹介したいと思います。


ちなみに椿の花の右どなりが「セリ」そして「タラの芽」そして次が「つくし」です。要するに春を食べさせていただきました。春の天ぷらの後はセリのおひたしとざるそばでキチンとしめました。

本当はこの時期ベルリンに出かけることになっていましたが、思いもよらない出来事に引きずられてしまい、断念せざるを得ませんでした。ベルリンはホワイトアスパラのシーズンが始まったようです。ベルリンの街角にホワイトアスパラが並び始めたということは、中東欧からの季節労働者たちが、ベルリン郊外にやって来たということです。





●2008.4.27


報告とお詫び。

以前、橋口便りで報告しました、タテ タカコさんの新しいアルバムがこの23日に完成発売されました。そしてアルバムには3人のアーチィストの映像が楽曲に添えられています。画家の奈良美智さん、写真家の小林紀晴さん、そして橋口の作品。それぞれの作家の根っこの部分が確認できて、興味深い作品に仕上がっています。レコード屋さんで探してみてください。映像もさることながら、凛としたタテさんの楽曲、世界はいいですよ。

お詫びです。
APOCC設立の経緯、僕らがよって立つところの考え方を記したページに誤りが見つかりました。
誤りというより、一時期インドのヴァラナシで寺子屋を建設する計画が存在していました。その寺子屋建設の裏側で私たちの意志が届かないところで、営利活動を企てている人がいることを知りました。僕らの立ち位置に微妙な影を落とす可能性が潜んでいることを察知しAPOCCは寺子屋建設から撤退した経緯があります。

誤りとは、APOCCのエコバックの売上を寺子屋建設に使いますと、当時の僕らの計画、考えが修正されることなく、記されていることです。

速やかに修正したいと考えていますが、取り急ぎお詫びと報告をさせていただきました。

追記
今映画「靖国」問題がメディアで議論されていますが、さまざまな表現の場にいる人たちや団体による、粘り強い問題提起により上映が実現する運びとなったことに安堵する傍ら、仕事上の懸案が複数錯綜していたとはいえ、表現者として何も動かなかったことが恥ずかしいです。

嬉しいというか涙が出そうな話。
先日、岩波書店から新作「1720012006」を発表しました。その写真集を写真集に登場する「17歳」に報告とお礼をかねて送らせてもらいましたが、受け取った一人から「こんなもんをもらっちゃっていいんですかね」と電話がありました。電話の途中に涙が出てきそうで困りました。




●2008.4.12


新作「17歳 20012006」と題した写真集を48日に岩波書店から発表しました。

17歳は20年前に一度向かい合ったテーマだけに、正直なところ不安だらけでしたが、手元に届いた写真集を手にして、少しだけ前作を超えられた気がします。

写真集をADの町口さんの事務所で受け取り、吉祥寺のスターバックスで一人写真集と改めて向かい合いました。めくっては閉じて、しばらくしてまためくるということを繰り返していたら、いつのまにか2時間以上の時が過ぎていました。作品を発表するということは、作品集が出て嬉しいということ以上に、表現者として退化していないか、マンネリ化していないだろうかと、不安で恐ろしい気持ちが強いのです。ですがこれで次に移れそうな気がします。

作品を作る営みには表現者として、自分自身が生きた時代を記録したいとの思いが基本にあります。そして記録者としての思いとは別に、今度の新作もまた、17歳と世代の近い人たちには、自分の隣にいる友達の思いを知る手がかりと自分自身と向かい合うきっかけにして欲しいです。そして大人には家族以外の少年少女の思いにふれることで、身近な家族を知る手がかりに。社会には新聞やTVで報じられる出来事に振り回されることなく、17歳という一人一人の人間の魂に触れるきっかけにして欲しいというそんな思いで写真集を纏めました。

そして今度の新作では写真集に添える17歳のモノローグが全て英訳されています。海外で日本文化が語られる時には、能、歌舞伎に代表される伝統文化であったり、コミック、そして現代美術、芝居が主流ですが、どこにでも居る今の日本人の存在や心の声も大切な文化だと僕は思うのです。英訳を添えられたという事実は作家である橋口の思い以上に、版元、編集者の志の賜物です。

岩波書店の書籍は他の出版社と配本システムが異なるために、本屋に並びにくい面も有りますが、時間が許す時にでも、本屋で探していただけると有難いです。

●下記は版元の案内文です。

17 20012006
「個」を記録し続ける表現者による、新たなる結実。
カラー17点+モノクロ60点を収録。テキストには英文を付す。
3800円+税。

()岩波書店
101-8002 東京都千代田区一ツ橋2丁目55
TEL:03-5210-4000


(本来ならここに、新作の表紙写真や内容が分かる写真を掲載出来ればいいのですが、僕にも版元の岩波書店にも気持ちの余裕がなく、まだ宣伝写真が有りません。デジタルカメラで速報が当たり前の時代だけに、焦る気持ちよりどこか楽しいです。でも急いで対応しないといけない)




●2008.4.1


タテ タカコさんという歌手を知っていますか?

彼女の新曲「人の住む街」というタイトルの楽曲に僕の写真を合わせるという、コラボレーションが4日程前に完成しました。僕は世間、流行音痴のところがあるので、タテ タカコさんが社会にどの様に受け止められているのか、まったく何も知りませんでしたが、相談を受けてCDから流れるタテさんの歌声とピアノを聞き、タテ タカコさんの世界に触れたその瞬間、心臓をぐさっとわしづかみされてしまいました。タテさんと僕は年齢も生きた時間も場所も違う人ですが、どこか根幹のところで繋がっている気がしました。僕とタテさんを繋いだ映像監督と音楽プロデューサーの存在は見事という他ありません。


僕とタテさんがお互いどんなに近い世界観を持っていたとしても、これからの人であるタテ タカコさんと、世間から逸れた感のある橋口との組み合わせなんて、流行りや世間におもねる人たちならまず考えないでしょうから。

彼らもまた、経験に裏付けられた皮膚感覚と直感で判断されたのでしょう。

表現も人間も面白い。

タテ タカコさんのアルバムは423日が発売ですので、48日に発売される僕の写真集の方が一足早く社会に送りだされますが、タテ タカコさんの楽曲を聞きながら僕の写真集を眺めてもらえると嬉しいです。

それから先日、静岡で生まれて初めて「椿の花」の天ぷらを丸ごと食べてしまいました。




●2008.3.29

鈴木さん有難う。

APOCCの活動をいつまでも続けて欲しいとのことですが、出来ればそう有りたいと考えています。ですがとりあえず10年間、続けてみるつもりです。何事もそうですが、始めることは簡単なのですが、活動や組織を維持して行く過程で組織が変質して行く可能性が無いとも言えないからです。10年たったその時点で、一度たち止まり僕自身やAPOCCの環境を見つめなおしたいと考えています。その上でその先をどうするのかを決めるつもりでいます。

ただ僕らの今の活動の基本を造り支えているのが、企業や機関ではなく、個人(市民)という事実を誇りに思うのと同時に皆さんの気持ちを大切にしたいと思います。その一方で限られた資本の中で予算に関係なく常により良いワークショップの現場を目指すことで、いつもスタッフに負荷をかけ続けている現状に心苦しさを感じているのも事実です。現在もホームページで生徒の作品を紹介するためにフィルムを取り込む作業が続いています。(皆、昼間働いているので、作業は夜になります)

ただ申し訳ないなと思いつつも、「志」と「思い」だけは見失うことなくAPOCCは地球社会と関わり続けたいと考えています。どうぞこれからも宜しくお願いします。

それより鈴木さん、畑の様子を時々、届けてもらえると僕らはとても嬉しいです。

それから4月8日に久しぶりに新作が店頭に並びます。
「17歳」2001〜2006 発行は岩波書店です。

写真集ですので書店で手に入りずらいかも知れませんが、出来るだけ近所の書店で探してもらえると有難いです。




●2008.3.8

昨年6月に、ドイツ、アウグスブルグのカールが生徒たちと日本に旅行に来ていたことを伝えましたが、僕らがベトナムに出かけている間に、ドイツのチューリンゲン州のザルツマンギムナジュームから先生と生徒3人が研修旅行に来日していたことが、先生からの連絡で分りました。来日した生徒3人は、先のドイツ滞在中に僕のワークショップに参加した生徒たちです。ザルツマンで生徒たちに日本語を教えている、税田先生が「生徒たちに日本をじかに体験させたい」と熱く話されていたことを、届いた写真を眺めながら思いだしました。アウグスブルグのカールもそうですが日本語を勉強している生徒たちのモチベーションを高めながら、日本をじかに体験して欲しいという、税田先生らの思いと努力と情熱には頭が下がります。

ザルツマンギムナジュームのサイトをクリックすると、僕のワークショップの新聞記事を見ることができるので、覗いてみてください。来日した彼女たちの2年前の姿も映っています。
ザルツマンギムナジュームのサイトはこちらhttp://www.salzmannschule.de/



左から 
Silia Halpape(ジリア・ハルパーぺ)
Cynthia Hertel(シンシア・ヘルテル)
Saskia Ritter(ザスキア・リッター)











今日届いた「世界」に新しい写真集の広告が出ていました。僕の後書きが遅れたために、写真集はまだ完成せずに、印刷所の中に有ります。恥ずかしいです。たぶん4月の頭には店頭に並ぶかと思います。今度の写真集ではリアルでゼネナルな日本を知ってもらうために、全てのテキストに英語の対訳をつけています。




●2008.2.21


昨日、3月に発表する写真集の後書きがやっと手を離れました。フーという感じです。

この1月中旬ごろから机にしがみ付いてはいたのですが、脳が考える脳に戻るのに時間がかかってしまいました。後書きが伸びたことで、完成が遅れそうです。当初の予定では3月10日ごろでしたが、1週間から10日程伸びそうです。写真集に収められたテキストは全て英語の対訳つきです。

写真集用の入稿プリントは僕と同世代でプリント歴30年以上の久保元幸氏の手によるものです。久保さんは対価に関係なく豊富な知識と経験と誇りを持って仕上げてくださいました。印刷そのものはデジタル化されていますが、最後は人間の感覚がものをいいます。完成が少し延びますがいい本になるので、楽しみにしていてください。発行は岩波書店になります。


1月末に雑誌「世界」のグラビアの選考を行いましたが、これまでになくいい作品が集まりました。初めて紛争地の作品も選ばれました。待っていたかいがあったというような作品です。新聞写真やTVの映像でもなく、緊張だけでもない乾いた空気も感じられて、キチンとパレスチナが表現されている作品でした。

それにパリに暮らす人々の艶を撮った作品も選ばれました。作者は女性です。日本の海岸線を歩いた作品も選ばれました。公募形式をとり始めて、今月号で63作に(招待作品を除き)なります。


少しずつですが流行写真でもなく、技巧や理屈に溺れず、作者の息使いが伝わってくる作品が集まり始めて来たことに、編集部ともども希望と確信を感じ始めています。

実は年の初めに展覧会の打ち合わせと、VISAの更新の為にベルリンに立ち寄りました。

その際、食事に出かけたベトナム料理屋(アジアンフードですが)のウエイターが僕の顔を見るなり、「TVで見たよ、またベトナムに行くのか、有難う、有難う」と身振り手振りで話しかけてきました。たぶんワークショップの様子を映したフーイエンTVのニュースをケーブルTVかなにかで見たのだと思います。故郷を遠く離れているだけに母国に対する思いが深いのだと思いました。

実は同じニュースを中国でも見たという人の話も聞きました。ボートピープルは世界中に散らばり、暮らしているだけに、僕らが知らないだけで多くの国々で放映されているのかも知れません。


ただVISAは書類不備で仮のVISAしかもらえませんでした。もう一度、書類を整えてトライしないといけません。




●2008.1.8

今月8日発売の雑誌「世界」で、ポーランド人写真家Ewaさんの作品が紹介されています。テーマは女性のNudeですが、社会一般的な支配された女性像に対する問いが投げかけられています。男性以上に女性に是非見てもらいたい作品です。

見てもらいたいと書きましたが、「世界」は地方での状況までは分かりませんが、関東圏の書店では発売後、2、3日で殆ど売り切れてしまう状況がこの数年続いている為に購入するのが困難なようです。混迷した社会環境が深まり続いているだけに、読者が現代社会に置ける「真実」の一つを「世界」の中に捜し求めているのかも知れません。

Ewaさんはポーランド在中の写真家ですが、作家活動を続けて行く為に、年に数回ドイツの地方都市に有る工場に働きに出かけています。いわゆる出稼ぎです。日本も同じですが、分野に関係無く志を持った人間で有れば有るほど、生きぬくことが困難な状況が待ちうけています。そんなEwaさんみたいな作家が心の糧となるような「場」とし今後も「世界」のグラビアは有り続けたいと思います。

今月、奈良で写真家の新正 卓さんと対談をします。新正さんは僕が尊敬をする現役写真家の一人です。先日ギャラリーから展覧会のDMが届きました。作品は先の戦争中アメリカで日系人が収容されていた跡地を大判カメラで撮影したものです。作家活動や作品に大切な要素の一つである、時間の蓄積が込められた作品ですので、関西圏の方は足を運んでいただけると嬉しいです。

ただDMの中で僕の肩書きが「写真家、ジャーナリスト」と記されていました。僕はこれまで自分がジャーナリストと思ったことも無ければ、名乗ったことも有りません。自分たちの概念を超えたところで活動する人間が現れた時、何故だろうと考える前に、勝手にラベリングにして、あるカテゴリーに押し込んでしまう。日本の社会、文化状況の底が透けて見えるような気がします。

今年もまた世間と摩擦を起こしながらの生活が始まりそうですが、APOCCの活動も含めて暖かく見守っていただけるとあり難いです。




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