HASHIGUCHI George

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2007/1/27
橋口譲二の新作がこのたび産業編集センターより発売されました。1988年から1992年に発表された作品、「17歳」、「Father」、「Couple」の新装版写真集です。

橋口譲二 新装版写真集リーフレットはこちら



「17歳」


「Father」


「Couple」

【造本仕様】縦250o×横260o/各約200頁/上製本/オールダブルトーン印刷
【収録人数】「17歳」102人、「Father」112人、「Couple」103組(206人)
【定価】各3,780円(税込) 【発行】産業編集センター http://www.shc.co.jp/book/



2007/2/25
ミトローパ発行の橋口譲二写真集『視線』『BERLIN』が、APOCC会員の天野太介さんが経営するカフェ(cafeユイット galleryユイット)で常備し、販売してくださることになりました。



TOPS HOUSE 8階
cafe  ユイット
galleryユイット


TOPS HOUSE(トップスハウス)
〒160−0022
東京都新宿区新宿 3−20−8
TEL
 03−3354−6808
営業時間 15時00〜2330(年中無休)







『対話の教室』
――あなたは今、どこにいますか?

(橋口譲二、星野博美共著)
(平凡社刊/四六版、総ページ396、税別2200円)

生きることは、創造以外の何ものでもない、
マニュアルなんてあろうはずがなかった。

彼らの一人でも二人でも、生きる喜びや希望への手がかりを見つけてくれれば、僕はそれでよかった。

なぜなら、人間が生きようと思う感情こそ、最高の芸術だから。


インド・東京で10代を対象に行われた、写真を撮ることで自分の中に存在する感情を知り、表現する面白さや喜びを共有しあうワークショップ、そして彼らと交わした「対話」の記録。

お近くの書店で手に入らない方は、平凡社のホームポージからご購入いただくことができます。書店注文ようにお待たせしません。ぜひご利用ください。
http://www.heibonsha.co.jp/

*お詫び*
本文中で訂正が3箇所あります。重版の折には訂正させて頂きますが、ここにご報告させて頂くと共にお詫び致します。
・P8 今野道子氏→今道子氏
・P346 20歳の子→19歳の子
・P393 Special Thanks 「ペンタックス」が抜けています

橋口譲二 「自著を語る」(東京新聞原稿に掲載された原稿より)

 この数年グローバル化が進む一方で、目で見えないところで階層化が進み、人間一人一人が分断されているという思いを強く持ち始めている。言い換えると、人々が知らず知らずのうちに囲い(同じ価値観)の中で生き始めたということである。囲いの中で生きるほうが生き易いからだ。知識、情報はもちろんのこと、世代、国籍、宗教、経済格差、複雑に凝り固まった背景が人々を分断している。その分断の正体に気づいた時、今の時代を生きる一人の人間として、何かしなければという思いがいつも頭の中を巡り、離れなかった。


 分断させているものをまたいで、人々や国家がつながれないだろうか?そんな思いからスタートしたのが、アートワーク「あなたは今、どこにいますか?」である。

 この「対話の教室」は、インド、東京で様々な背景を持った十代を対象に、カメラという共通の道具を使ってアルバムを作り、写真を展示するという目標のもと、それぞれが暮らすコミュニティーを表現するというプロセスの中で、個々の中に存在するオリジナルな感情を知り、表現することの面白さや喜びを共有しあう試みのワークショップで、彼らと交わした対話の記録である。

 インドではバンガロール、ヴァラナシの二都市でワークショップを試みた。バンガロールの参加者の多くは、九二年に起きたヒンドゥー教徒対イスラム教徒との衝突によって住んでいた家を追われたヒンドゥー教徒、イスラム教徒、キリスト教徒、不可触民と位置づけられている人々で、文化的なバックグラウンドや宗教も様々な、社会的にも経済的にも困難な状況におかれている少年少女だった。ヴァラナシの参加者は、インドのエリート予備軍といっても過言ではない少年少女。東京でのワークショップは東京都現代美術館で行い、十三歳から二十歳までの少年少女が参加した。

 ワークショップは、まずお互いを知ることから始めた。なにげない会話の中から彼ら一人一人の人間性や生活環境が浮かび上がってくる。ワークショップで大切なことは、結果を求めないことだった。僕らが何かを発したとする。それに対して、彼らがどう反応するのかしないのか。反応が返ってきたとして、どんな落ち着き方をするのか、何もわからない。何もわからないということを恐れないことが大事だと思った。わからないからこそ、対話を重ねるのだから。

 彼らと交わした言葉の中から見えてきたのは、国や宗教、属している社会に関係なく、それぞれが同じようにうつろい、とまどい、夢を語る、どこにでもいる少年少女たちの存在だった。日本はともかくとして僕は、インドで暮らす一個人の肉声に初めて触れた気がした。このワークショップの成果をあえて挙げるとすると、参加者の一人一人が、それぞれの違いを認識した上で、自分のことを語り始め、他人の言葉に耳を傾け始めたことだと思う。カメラという道具を間に挟み対話を重ねることで、互いの間に存在する距離を縮める。対話とは、感情を手渡すことだと思う。その思いを大切にして関わってゆけば、この先世界じゅうの人たちとワークショップを通じてつながれそうな気がする。

17歳の軌跡カバー 『17歳の軌跡』 祝・増刷!
文藝春秋刊/A5版/512ページ/上製カバー装
定価2571円(税別)


少年少女が育んできた時間と、失ったいくつかのこと。
僕は、かつて「17歳」だった彼らをもう一度訪ねる旅に出た――。
北海道から沖縄まで、さまざまな軌跡を描いた38人による青春の記録。

あなたはどこで何をしていましたか?
そして、これからどう生きていきますか?

当たり前のことだが、本当にさまざまな生き方があった。みな喜びも違えば、個々の悲しみの質も違っていた。これといった定型のない生の営みになまで触れ合ったことで、あらためて個々の生き方は比較するものではないという認識を深めた思いがした。それぞれに等しく時間は流れ、今日の自分がそこにはいた。いままた同じ問いを彼らに投げかけたら、きっとまた違う答えが返ってくるだろう。
(あとがき「あなたは、これからどう生きていきますか?」より)

子供たちの時間カバー 『子供たちの時間』 
小学館/B5変形/ダブルトーン/224ページ/上製
定価3200円(税別)


私たちはこれまで、
彼らの声に耳を澄ませたことがあるだろうか?

橋口譲二は、北は北海道・礼文島から南は沖縄・与那国島まで、日本の様々な場所に暮らす小学6年生たちを、3年9か月をかけて訪ね歩きました。自分の中に、他人とは異なる何か――自我――が存在することに気づき始めている6年生という時期……彼らが暮らす多様な日常の風景と、彼らの抱える様々な思いが、静かに確かに何かを語りかけてきます。
 「子供たちの時間」は、同時代を生きる人を知る旅の本です。


意識のしかたに個々の差はあれ、自分の中に他人とは異なる何か(自我)が存在していることに、彼らは気がつき始めている。それは、親ですら侵してはいけない「個」だと思う。
日々メディアを通して伝わってくるニュースに触れたり、哲学のない拝金主義が横行し、公私の区別すらわからなくなってしまった人たちが行き交う街角を見ていると、日本はいったいこの先どうなっていくのだろうか、一度すべて壊れない限り、復活の手がかりはつかめないのだろうか、と暗い思いの日々だったが、『子供たちの時間』をまとめ終わった今、少し未来に希望を見た思いだ。もちろん、彼らが彼らとして生きられる社会環境を構築していく責任もまた、時代と社会を共有する一人の人間として強く感じたうえでだが――。
たまたまこの本の中には105の「個」があるが、この本を手にして下さっているあなたの隣の人も、あなたとは異なる人格を持った人間なはず。少しでも立ち止まって耳を澄ませてみてほしい。きっとこれまで見えたり聞こえてこなかった何かが伝わってくるはずだ。
 とにかく、僕は楽観も悲観もせず、この先も記録屋で、聞き屋で、つなぎ屋であり続けようと思っている。(あとがきより)

この書籍は以下のウェブショップでお買い求めになることもできます。
小学館 http://www.shogakukan.co.jp
青山ブックセンター http://www.aoyamabc.co.jp
S-Book.com http://www.s-book.com
Amazon.co.jp http://www.amazon.co.jp

書評
『対話の教室』

●8/9付け朝日新聞「本の隙間」コーナーで取り上げられました。(書評:重松清氏)
●9/17付け朝日新聞夕刊「テーブルコーナー」で取り上げられました。


『17歳の軌跡』
・「怖ろしい試み」  長谷部浩 (『文藝界』2001年1月号掲載)


 橋口譲二の『17歳の地図』が刊行されたのは八八年四月だった。この本を手にしたときの衝撃は、今もありありとおぼえている。バブル期の日本列島を北海道から沖縄まで、橋口は一〇二人の17歳をたずね歩いて、写真を撮り、話を聞いた。彼らは私の知らない町や村にすんでいる。おそらくは、彼らと出会うことはない。それにもかかわらず、私の分身があたかも列島のすみずみにばらまかれている錯覚に陥ったのだった。「大人でも子供でもない」17歳は、カメラの前に怯える小動物に見えた。彼らのほとんどは、生まれ落ちた地域のなかでたったひとりで立っていた。傷つきやすいたましいが、一冊の本にぎっしりと詰まっていた。
 二〇〇〇年に出版された『17歳の軌跡』は、『17歳の地図』から十年後の再会の記録である。九七年、橋口はあらためて写真集に登場してくれた彼ら全員に年賀状を書いた。「今、どうしていますか?」 写真家の問いかけに、答えてきてくれた人のなかからの三八人に会うために、ふたたび列島を旅した。そこで行われたのは、「前回同様、僕は共通質問の紙を用意し、テープレコーダーをテーブルの上に置き、マイクを彼らの襟元に挟む」取材の儀式だった。「十数年ぶりの再会は、懐かしいという言葉では形容しがたい何かが互いの間にはあった。会った瞬間に交わる視線は、ある緊張感と同時に甘ずっぱい感情を含み、出会ってから今日まで、僕らが互いの存在を意識しあって生きてきたということを十分すぎるぐらい物語っていた」 インタビューをたどる限り、四九年生まれ、五十一歳の橋口は彼らの理解者の姿勢を保っている。しかし、彼らからも「橋口さん、痩せましたね」との気遣いのことばが聞かれる。二者の関係は、この十年で急速に縮まっているのがわかる。橋口もまた対等の大人としてじぶんじしんの不安をもらす場面もある。また、彼らの生き方や意見に違和感を感じるとき、苛立ちがこめられた反論も口にする。一冊の本が持っている潜在的なちからが、これほどまでに発揮され、しかもその報告がなされた例を私は寡聞にして知らない。
 そこでは、視線の交錯とともに、お互いの値踏みが行われている。『17歳の軌跡』が、タイムカプセルとして十分刺激的なのは、ここで試されているのは、取材者としての橋口の過ごした十年だからだ。「あなたは、どこでどう生きていましたか?」という掲げた質問は、鋭い刃でじぶんじしんに返ってくる。これほど怖ろしい試みを実行に移した勇気に敬服する。
 語られるのは、彼らがすごしたこの十年と近況、そして未来である。本書の中でもっとも安定し、その反面、退屈な章となっているのは、工藤夕貴を現在彼女がすむロサンゼルスでインタビューした部分である。女優がこころを許したインタビュアーに答える。工藤は今、答えるべきことを橋口の作家性に対する尊敬をこめてクレバーに語っている。この関係性を逸脱しない。工藤にとっては、いささか特別ではあるにしても、八八年の『17歳の地図』は、かつて受けた取材のひとつにすぎないのだ。
 それに対して、多くの”27歳”にとっては、今回のインタビューが事件となているのがわかる。彼らの多くはこれを最後にもう取材されることはないのを知っている。もはや小動物ではなく、狩りもするようになった大人たちは、ありのままの自分を落ち着いた態度で記録にとどめる方向を選んだ。この奇妙なまでの慎重さが印象に残った。17歳のじぶんの姿が、図書館に納められた写真集に残っている人生を彼らは生きた。その影響力と自分との関係を、この十年で彼らは学んだかに見える。また、橋口による風景写真がしみわたる。それは旅のさなかに足をとめた橋口の心境を物語っている。
 ひとつの舞台を踏んだ一〇二人の共演者たち。少なくとも彼らは、周囲にいる友人たちのほかにも、同世代の他者が日本列島にいることを意識のどこかにおきながら日常を過ごしてきた。この本の背景に沈む不在の人々が、私にはいよいよ重く感じられた。



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