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●写真ワークショップ/ヴァラナシ
今回のインドでのワークショップでは、これまで試みてきた写真ワークショップのほかに、絵画ワークショップという新しい試みをします。それぞれのワークショップの特性や可能性について、説明します。 ●写真ワークショップ● デジタルカメラを使ったワークショップ。10代後半から20歳前後の少年少女を対象に行います。 これは写真をうまく撮る技術を教える写真教室ではなく、自分がどんなものに興味を持っているか、自分の中に潜む感情を発見し、自己を再確認したり、ふだん知っているつもりになっている友達の個性を再確認したりするワークショップです。写真を撮ったあとの対話に多くの時間をさき、一人一人と丁寧に対話を重ねて、一緒に感情を発見し、表現する喜びを共有していきます。 ただ、この写真ワークショップはかなりつっこんだ対話をするため、ある程度の年齢が必要になります。ある程度自意識や社会の中における自分の存在を認識している年齢でないと成立しないため、どうしても対象者が10代半ばから20代前半という年齢になってしまうという制約があります。その成功例の一つが、昨年アウグスブルグで行ったワークショップです。生徒一人一人とかなりコミュニケーションをとることができ、結果、お互いの間に濃密な感情の行き来がありました。 しかしその一方で、小さい子供たちが参加する機会がなくなってしまうことがずっと気にかかっていました。特にこれまでインドではワークショップ期間中、下の学年の生徒たちや近くの子供たちが羨ましそうに教室の入り口から中をのぞきこんでいた姿を忘れることができません。年齢に関係なく幅広い年齢層の子たちが参加できるワークショップの形はないだろうか、とずっと模索してきました。 ●絵画ワークショップ● そしてさまざまな事を考えた上でたどりついたのが、カメラのワークショップと並行して絵のワークショップをする、という構想です。絵のワークショップは学年(あるいはクラス)単位で出来るので、たくさんの子供達と喜びを分かち合うことができます。主に小学生から中学生(低学年)が対象で、道具が簡単な為、学年単位で幅広い年齢層を対象に行えるというメリットがあります。 今回は橋口、星野(写真)のほかに4名のアーティストが参加します。できるだけ多くの子供と喜びを分ちあいたいという思いから、4人いればいくつかの教室で同時進行のワークショップができると考えました。初日は子供達が描きたいものを描いてもらい、二日目からテーマを与えます(たとえば「太陽」や「空」をイメージして頭に浮かんだことを描いてもらったり、 水から連想するものであったり)。そして描いた絵をめぐり、「なぜこのテーマに惹かれたのか」「自分はどんなものに興味を持っているのか」など、対話を深めてゆきます。 絵のワークショップの目的も、写真ワークショップと同様、描き方を教えることではなく、絵という媒介を通して自分自身の感情や興味を確認したり、友達と自分の違いを確認したり、また「表現」する喜びを共有することです。写真ワークショップと絵画ワークショップの成果は、学校や寺の周辺、そして街の中でも展示し、街の人たちにも見てもらいます。そして最後には、首都デリーの公設ギャラリー「ハビタットセンター」にて、大きな展覧会を開きます。 ちなみに生徒たちの絵画作品は、展示後すべて本人に返却し、私たちはスキャンしたデータと出力したものだけを持ち帰ります。生徒たちの作品、つまり喜びや誇りそのものを、私たちの都合で身勝手に持ち帰ってはいけないと思うからです。 ●「表現する喜び」という大切な感情 私たちは「表現する喜び」という、人間が生存していく上では必ずしも必要不可欠ではないかもしれませんが、それを得ることで自分の存在に尊厳を感じることができたり、感情が豊かになったり、苦しい日常の中で気持ちを自由に保つことができる、誰にも奪うことのできないとてつもなく大切な感情、ととらえています。 インドの文化事情では、クレヨン、絵の具、筆、真っ白な紙にも触れた事がないような子供たちがたくさんいます。「表現する」という余剰の日常を許されない子供たちと、その喜びを共有できたらと考えています。 ヴァラナシのスンダルバギ小中学校では約250人の生徒に、チベットにほど近いレーのラムドン小中学校では約200人を対象に絵のワークショップを試みますが、持って行った画材等は、ワークショップ以降も学校で使用でできるように、そのまま寄贈するつもりです。また画材を彼らの手元に残すだけでなく、学校の先生と、表現を段階的教育プログラムにどのように生かしてゆけるのか、今後の展望や可能性を含めた話し合いを深めてゆくつもりです。私たちが去ったあとでも、何らかの形で「表現する時間」を子供たちに継続して持ってもらえたら、と考えるからです。 ●もう一つの新しい試み● 今回、あらたな試みとしてもう一つ特筆したいのは参加アーティストが製本技術を持っているということです。これまで最終的なワークショップの成果は、参加した生徒一人一人が自分の「アルバム」を作り、自分の手元で保管する、という形をとっていました。が、今回は一人一人に渡すだけでなく、画集(スキャンして出力)/写真集を作り、学校や諸機関に「本」という形で保存することで、たくさんの人が成果を閲覧することができます。 ●これからのワークショップの理想と展開● 今回は4人のアーティストが参加しますが、インドでの体験を通して彼らの表現に幅ができ、それがまた作品に反映されることによって、日本の人々にもインドの文化を伝えられるという、双方向の成果が期待できます。 今後ワークショップは、写真だけでなく、絵画、または色々な方向や分野から、様々な街や国の人たちと関わりたいと考えています。少しずつ理想の形が自分たちでも探せてきていると思いますし、今回のワークショップがその第一歩になると考えています。 ●発端 今回のワークショップは、「対話の教室」にも登場してくださる、ヴァラナシ在住の杉本昭男さんとの会話がきっかけで実現しました。 2002年にインドへ行った時、杉本さんと一緒に数日間、ヴァラナシを歩く時間がありました。ガンガー(ガンジス川)のほとりを歩いていると、「アキオー」「アキオー」と地元の人々からひっきりなしに声がかかります。杉本さんがいかに地元の人たちの中に溶け込んでいるかがわかりました。その時から、いずれヴァラナシで何かやりたいですね、という話をしていました。そして2004年の正月、杉本さんが日本に一時帰国された際、今年本当にやりましょう、という話になりました。 レーでのワークショップは、ソナムさんなしには成立しませんでした。ソナムさんには、2000年、2002年にもお世話になっています。ふだんはNHKを始め、BBCなどインドを舞台としたテレビ番組のコーディネートをなさっています。私たちが知り合ったのも、2000年にワークショップと同時に撮影されたNHKの番組「アーティストたちの挑戦」がきっかけでした。ラダックの出身であるソナムさんに、「いつかラダックでもワークショップをしてください」とずっといわれていました。それが今回実現したわけです。 実はラダック行きが正式に決まる前、2002年のワークショップを行ったヴィシャカパトナムのシマハドリ直子さんの学校でできないかと打診をしていました。が、副校長をはじめ、ベテランの先生がたが相次いで辞められたばかりで、学校内が不安定になっているという理由で、今回は断念せざるを得ませんでした。 ヴァラナシの絵画ワークショップを行ったスンダルバギヤ小中学校は、そのシマハドリ直子さんが深く関わっていらした学校です。 <ニシャードラージについて> 写真ワークショップの舞台となったのは、ガンガ沿いにあるニシャードラージ寺院。寺院といってもそう堅苦しいものではなく、その集落に住む漁師のソヌーさんが住民のために建てたもので、ふだんは住民たちの憩いの場(昼寝の場、といってもいいです)になっています。もともとガンガが近いため、仕事が終われば川に出て魚を釣って生活の足しにするという、いわば半農半工といった生活環境です。サリーの刺繍をしたり染物をしたりする、日本でいう町工場のようなところもあり、集落の中には小さなモスクもあります。 ニシャードラージの集落と杉本さんの付き合いはもう長いようです。昔、ガンガ沿いをぶらぶらしていたところ、ニシャードラージ寺院を借りてNGOが寺子屋のようなフリースクールを開いていました(今はもう行われていないそうです)。おもしろそうだったので、杉本さんが「いてもいいか?」と聞いたところ、「いてもいい」といわれ、それからしばらく通って、教室の隅で眺めていたそうです。それから杉本さんも子供たちに勉強を教えたりし始め、それがこの集落との付き合いになったそうです。 ニシャードラージの集落は、杉本さんの言葉を借りると「ガラの悪いところ」。といっても、治安が悪いとか貧しい人が多いとか、そういった単純にステレオタイプ化されたイメージを想像するのは短絡的で、「『じゃりんこチエ』の世界みたいな感じ」だそうです。午後4時を過ぎると、お寺の下の川沿いに男たちが集まり、博打をしていました。
<ワークショップ1日目 2004年7月4日 日曜日> 写真ワークショップに参加したのは、ニシャードラージに暮らす男女21名(男性12名、女性9名。本当はさらに男性2名が加わるはずでしたが、どうしても仕事の都合がつかず、初日に顔を出しただけで、残念ながらあとの日程には参加できませんでした)。会場に行ってまず驚いたのは、ものすごい数の子供たちが集まっていたことでした。おえかきをさせてもらえると聞き、朝から楽しみに来ていたのです。教室内に子供はいるわ、ヤギはいるわ、朝から昼寝をしているお年寄りたちはいるわで、これでは到底ワークショップを始められそうにありません。「お兄さんお姉さんが写真を撮りに行ったあと、絵を描こうね」といっても、言葉を発するそばからかき消され、誰も教室を離れようとしません。失礼かとは思いましたが、杉本さんも「こういう時は仕方がないです」といって下さったため、教室内にロープを張り、「ここから中には入らないこと」としました。
いつものように、相手のことをよく知るための質問をすることから始めました。 ●職業、あるいは学年は? ●好きな色は何ですか? その理由は? ●将来の夢は? その理由は? 人前で話すことに慣れていないのか、途中でだまりこんでしまう人がいたり、参加者たちは小さい頃からお互いをよく知っているため、誰かが真面目なことをいうと、ひやかしが飛んだりすることもありました。しかし「人が真面目に話している時は真面目に聞こう」と注意すると、だんだんみんなの顔つきが変わってきて、最後にはひやかす人は誰もいませんでした。 午後は、ひとりひとりにカメラを渡し、カメラの使い方を説明しました。ほとんどの生徒がカメラを手にしたことがなく、しかも手にするのはデジタルカメラですから、好奇心ととまどいで目を白黒させています。しばらく静かにしてくれていて回りの子供たちも、カメラを配った途端中になだれこんできて、カメラに触りたがります。カメラを使うにあたっての注意点は、いつもの通りです。 ●カメラは各自責任を持って管理すること。不慮の事故で壊れることは仕方がないが、乱暴に扱わないこと。誰かに「貸してくれて」といわれても、責任を持って守ってください。 ●電池の消耗が激しくなるので、ディスプレイはオンにしないこと。 ●カメラの設定はみな同じ条件にしてあるので、設定を動かさないこと。もし何かの拍子におかしくなったら、教室に戻ってきてスタッフに聞いてください。 ふだんから仕事でビデオカメラの扱いに慣れているサティ・ナラヤンが、早速ディスプレイをオンにして子供たちに見せていたので、「君はカメラのことをみんなより知っている分、みんなのお手本にならなければいけないよ」と注意しました。そして彼に前に来てもらい、まず彼に使い方を伝え、彼からみんなに詳しく伝えてもらうことにしました。昨年のアウグスブルグでは、それぞれがデジタルカメラの使い方に慣れていると判断して、そのまま各自撮影に入ったのですが、今回はカメラの使い方に慣れる時間が必要そうに思えました。とりあえず、カメラを持って3枚撮ってくることとし、撮影できているかどうかを現場で印刷して確かめてみることにしました。 マルティとグディヤは、「シャッターがどれなのかわからなかった」と泣きそうな顔で戻ってきました。ラムジャナンは再生モードになっていて、一枚も撮れずに帰って来ました。ムンナ1とムンナ2は、写真を撮っているうちにボタンを触ってしまい、動画モードになっていました。キランは力強くシャッターを押してしまうのか、ひどくブレていました。やはり、慣れるまでには少し時間が必要のようでした。 またサティ・ナラヤンの出番です。カメラの使い方がよくわからなかった生徒たちに前に来てもらい、サティ・ナラヤンがひとりひとりに指導します。「君はシャッターを押そうとして、スイッチを切っているんだよ」「力を入れなくてもシャッターはおりるからね」と丁寧に指導していました。 ワークショップではいつも、クラスをまとめる級長を探します。初めからそう意図してきたわけではないのですが、これまでも級長的な存在の生徒がいると、その人が私たちと生徒たちとの間をつないでくれ、生徒たちとのコミュニケーションがとりやすくなったという経験がありました。今回はサティ・ナラヤンにいろいろ手伝ってもらうことにしました。 いよいよ、明日からがワークショップの本番です。明日からは、スタッフも眠れぬ夜が続くことになります。が、これほど眠れぬ夜が続くとは、この時点では誰も思っていなかったに違いありません。 <ワークショップ2日目 2004年7月5日 月曜日> この日は朝集合するとすぐにカメラを渡し、写真を撮りに行きました。みんなに伝えたのは以下の点です。 ●みな同じ条件で写真を撮れるように設定は同じにしてあるので、設定を動かさないこと。 ●撮る写真の数は一人25枚とします。自分で撮りながら一生懸命数えてください。 ●3時までにここへ戻って来ること。撮り終わった人は、その時点で戻って来ること。 ●とにかく自分が気になったもの、足を止めたものを撮ってみよう。 撮る写真の数を制限するのは、実際にはCFカードの容量いっぱい撮れてしまいますが、むやみやたらにシャッターを押すのではなく、これと思った時に自覚的にシャッターを押すということを覚えてほしいからです。また実際問題として、印刷するための紙とインクに限りがあるからです。 ふだんから映像に慣れ親しんでいるサティ・ナラヤンには、「ヴァラナシの街を表現してみよう」という課題を出しました。彼の表情に緊張と喜びが交錯していました。 生徒たちがカメラを手にして教室から出ていくとほぼ同時に、村の子供たちが教室になだれこんできました。それほどおえかき教室を楽しみにしているのです。あっという間に教室は子供でいっぱいになり、騒然とした雰囲気になりました。本来ニシャードラージ寺院で絵のワークショップをする予定ではなかったのですが、この好奇心で目を輝かせている子たちの顔を見たら、やはりやらずにはいられませんでした。 少しでも秩序を保つため、子供たちには3人1組になってもらい、年上の子がきょうだいや近所の子の面倒を見るという構成にしました。そして3人で一つのクレヨンを分け合って使います。「ここから見えるガンガ(ガンジス河)を描いてみましょう」とテーマを出しました。 子供たちの絵を見ていてまず気づいたのは、クレヨンを力を入れずに持ち、うすーく塗っていることでした。これまでふんだんに画材を使ったことがなく、倹約して大切に使っているのだと思いました。「クレヨンはたくさんあるから、心配しないでたくさん塗っていいんだからね」と声をかけました。いつの間にか、教室の隅で大人たちが絵を描いていました。「おもしろそうだから、俺にもやらせてくれ」といいます。ふだんなら博打をしている男たちが、子供たちと一緒に絵を描いている、それも悪くない光景でした。
おえかき教室はとりあえずお昼でいったん終了し、昼食をとりにアッシーガート(2000年、2002年と写真展を行った場所)へ行きました。出前をとることも一度は考えたのですが、いきなりエンジン全開のワークショップが始まり、大勢の子供たちに囲まれていたため、場所をかえて休憩する必要がぜひともありました。ガンガ沿いを15分ほど歩いてアッシーガートへ行きます。ガンガの静かな流れが、酸素不足気味になった体を満たしていくのがとても心地よく感じられました。 昼食を終えて教室に戻ると、ぼちぼち生徒が戻ってき始めました。昨日、シャッターを押すのに不安だった生徒たちも、練習の甲斐あって、問題なく写真を撮ることができたようです。仕事の合間を縫ってワークショップに参加しているラヴィ、ラフール兄弟は、早々に戻って来て、仕事に出かけていきました。彼らといい、写真ワークショップに参加したかったのに漁があるため参加できなかったチャンダンといい、若い彼らが大黒柱になって家を支えているという現実を感じました。当初は3時に全員集合して一斉解散するつもりだったのですが、仕事を持つ生徒の状況を考え、終わった順に帰るという方向に切り替えました。 4時まで待っても戻って来なかった生徒が一人いました。ラジェッシュでした。近所に住む生徒たちに、ラジェッシュの家まで呼びに行ってもらったりしましたが、どうやら写真は撮り終わったのですが、その足でどこかへ出かけてしまったようです。私たちは印刷作業があるため先に帰ることにし、杉本さんとサティ・ナラヤンがバイクに乗って彼を探しに行ってくれました。あとで聞いたところによると、「一人だけルールを無視して勝手な行動をしてはいけない」と、杉本さんからこっぴどく叱られたようです。 ホテルに戻り、夕食を食べたら印刷作業です。この日は夜中の12時くらいまでかかったのですが、この時点ではまだ、これがほんの序の口だということをスタッフは知りませんでした。 <ワークショップ3日目 2004年7月6日 火曜日> 前日に自分が撮った写真を見るドキドキの瞬間がやって来ました。 女生徒のサリタは、1日目から100枚以上の写真を撮っていました。前日ホテルの部屋で印刷をしている時、それを知ったスタッフから「ひえー」という悲鳴が上がりました。印刷にかかる時間が単純に4倍に増えてしまうからです。「シャッターの押し方がわからなかったのかなあ」と私もかけつけました。2年前のデリーのワークショップで、シャッターの押し方がわからず、やはり大量の写真を撮ってきた生徒がいたからです。 これまでインドで2回ワークショップを行いましたが、カメラが珍しいということもあり、どうしても家族や友達に頼まれて撮った記念写真が多かったものでした。が、意外にも今回はそういう写真が比較的少なかったのです(いたことはいましたが)。ひとりひとり、最初から自分なりに苦労して写真を撮ってきました。杉本さんがワークショップの趣旨をきちんと彼らに伝えてくれたおかげだと思います。もっとも、写真が見られるとなったら外野がどんどん増えてきて、自分の映っている写真を持っていこうとしたりするので、外野の交通整理が大変です。 こうしてみんなの何百枚もの写真を見ていると、当たり前のことですが、本当に人はそれぞれ違うのだなと、その違いに驚きます。同じ場所で暮らしていても、同じものを見、同じことを考え、同じように感じている人など一人もいないということが、現実味を帯びて伝わってきます。 ●家具のニス塗りのソヌーがそうでした。彼は暗い明かりの中で何枚かの写真を撮っていたのですが、その暗い光の中にこそ彼の個性が見え隠れしているようでした。 ●ディープーは主にガンガを撮っていましたが、空を多く含んだ空間の切り取り方が独特で、目の前の生活の場としてのガンガではない、静かでモダンな世界が広がっていました。 ●マルティはタテの写真が印象的でした。身近な人のポートレートを撮っているのですが、背景に暮らしが映りこみ、その人の人柄がよく表れていました。 ●サティ・ナラヤンの写真には、一つの世界が出来上がっていました。昨日、「ヴァラナシの街を自分なりに表現してみよう」と彼には言いましたが、真面目によく歩いてきたことがうかがえました。「この調子」と檄を飛ばします。 ●仕事をしながらの参加のラヴィとラフールは、やはり写真を撮る時間があまりなかったようで、仕事場で一緒に働くお父さんや親戚の写真でした。「いっそのこと、仕事場の中で働く人やものを撮ってみたら? 自分にしか見つけられない、気になるものを撮ってみよう」とアドバイス。 橋口「みんなの写真を見て驚きました。驚くほどみんなの世界が広くて、びっくりしました。今日、写真を見ながら一人一人といろんな話をしましたが、そのことを頭に置いて、また今日も撮ってみてください。 それから、昨日は一部の人が写真を多く撮りすぎて、スタッフは深夜まで印刷をしていました。みんなが撮りすぎると、時間がかかるだけでなく、紙もインクも足りなくなって、印刷ができなくなってしまう。今日はひとり25枚という約束を守ろう。また新しい世界を見せてくれるのを楽しみにしています」 そして写真を片付け、生徒たちにまたカメラを配ります。気がつくと教室の中にテレビの取材クルーが来ていました。インドの衛星放送、SAHARAチャンネルです。レポーターから訊ねられた質問に、ピンキーが背筋をのばしてハキハキと答えていました。 生徒たちがカメラを手に出て行くと、子供たちが教室になだれこんできます。写真を見るというのはものすごくエネルギーを使う作業で、これからまた子供たちに囲まれるのかと思うと、正直ぐったりしましたが、心待ちにしている子供たちの手前、休むわけにもいきませんでした。 午後4時、生徒たちがカメラを持って帰って来ました。とりあえず自分の撮りたいように撮った1日目と、写真をめぐる対話を経た2日目と、写真はどう変わったり、変わらなかったりしているのでしょうか? <break> スタッフの眠れぬ夜は今日も続きました。橋口、星野以外は初めてのインド体験に加え、いきなりエンジン全開のワークショップに突入したため、この時点ですでに二人のスタッフが倒れ、一人が倒れかけていました。加えて、画像の保存方法に混乱が生じ、前日の保存をやり直すという作業が増えました。 前回のアウグスブルグの時に説明しましたが、生徒たちが撮ってきた写真は、画像を名前、日ごとに保存し、写真を印刷したあとは、インデックスにも写真にも、生徒の名前や撮った日、インデックスの番号などを逐一記入していきます。これは非常に地道ですが大変重要な作業で、画像がデータである以上、一瞬目を離した隙に誰の写真かわからなくなってしまうことがあるからです。その基本となるデータの保存もまた重要な作業なのです。今回も2台のPCをフル回転させて保存をしていましたが、コミュニケーション不足から、PC1とPC2の保存方法が異なっていることに途中で気づき、このまま進めると最後に大混乱を引き起こす恐れがあったため、気づいた時点で修正しなければならなくなりました。 この日、スタッフがベッドに入ったのは午前3時でした。 <ワークショップ4日目 2004年7月7日 水曜日> ニュースが確かに放送されたことを知ったのは翌朝のことでした。私たちはニシャードラージまで毎日オートリキシャで往復していたのですが、向かいから走ってきたオートの運転手が、「あんたらを昨日テレビで見たぜ!」と叫びながら寄って来たのです。恐るべきわき見運転ですが、インドで知らない人から声をかけられるというのはなんともいえない嬉しい不思議な気分でした。 オートを降り、荷物を担いでニシャードラージガートへ続くくねくねした路地に入っていきます。最初の頃は、大荷物を運ぶ日本人がぞろぞろ歩いている姿に「何事だ!!」と目を丸くしていた住民たちも、写真ワークショップに参加した生徒やおえかき教室に参加した子供たちから話を聞いたからか、次第に好奇心だけではない、普通に挨拶をしてくれるようになりました。通りがかった家の軒先で、参加生徒のガイトリーが髪をとかしたり、キランが井戸でくんだ水を運んだりしていました。これほど教室と、参加者の生活が近いワークショップは初めてのことです。教室に到着すると、せっけんを片手に持った腰巻一枚姿のラフールがちょうどガンガから階段を上ってきました。朝の水浴びをしていたのです。彼は大急ぎで家に戻ると、数分後にはいっちょうらのシャツを着て教室に座っていました。 1日目の写真と2日目の写真を分けて並べて見たあと、今度は混ぜて特徴的な写真を選んでみます。1日目にほめられた生徒が、2日目にはちょっとだれていたり、2日目は目を見張るほどがんばって撮った生徒がいたり、様々です。写真というのは本当に、その人の気持ちをそのままを写してしまうんだなとあらためて感じます。 ●初日にシャッターの押し方がわからず泣きそうになっていたグディヤは、途中でボタンが動画に切り替わってしまい、少ない数の写真しかありませんでした。でも家の屋上に上ったり、身の回りの風景の中にぽっと存在している緑を探したり、一生懸命に自分の視点を探している様子が写真から伝わってきました。 ●何人かの男子生徒は、一緒に舟でガンガの向こう岸へ渡り、楽しく遊んできてしまったようでした。「対岸という非日常ではなく、自分の回りの日常を見つめてみよう。みんなが一生懸命やっている時、自分だけ遊んでいると恥ずかしいよ」と苦言を呈します。 ●ムンナ2はこの日、50枚写真を撮っていました。自分の暮らす街が好きでたまらないことが伝わってきました。 ●どうしても仕事を抜けられないラヴィとラフールには、仕事場にカメラを持って行ってもかまわないから、徹底して仕事場や仕事に使う道具を撮ってみたら?とアドバイス。 少なくない数の生徒の写真の中に、サジェンドラが写っていました。男子だけでなく、女子にもたくさん撮られていました。特に目立ったり派手なタイプではないけれど、このコミュニティーの若者たちの絶大なる信頼を得ている人気者のようでした。それを象徴するような出来事がありました。ちょうど写真をセレクトしている時、酔っ払いが教室内に乱入してきて、一時騒然とした雰囲気になりました。するとサジェンドラはすっくと立ち上がって酔っ払いを外に連れ出し、その温厚な風貌からは想像もつかないほどの剣幕でケンカを始めました。授業の妨げにならないよう、自らケンカを買って出てくれたのです。そして酔っ払いが立ち去ると、またいつもの静かな表情で教室に戻ってきました。彼が人気があるのがわかるような気がしました。 この日は他にもハプニングがありました。ちょうどセレクションを一通り終え、生徒たちがカメラを持って外に出たあと、一人の中年女性がものすごい剣幕で教室に入ってきました。私たちにいらぬ心配をかけないよう、杉本さんの助手のショビーさんが教室の入り口で対応していたのですが、ふだん物静かなショビーさんのたたずまいからは想像もつかないほどの激しいやりとりがこちらにも聞こえてきます。聞けば、ある女生徒のお母さんで、うちの娘を何日も拘束するなら給料を払え、払わないならもう参加させない、といっているのでした。母親が来ていると聞きつけた女生徒が戻ってきて、困った顔でお母さんを止めようとしますが、ケンカをしかけてしまった以上、引っ込みもつかない様子。たまりかねた杉本さんが、ショビーさんに輪をかけた激しさで顔を真っ赤にして応酬し、ようやくお母さんは帰って行きました。そのあまりの激しさにひきつっていた私たちに、杉本さんはこう言いました。 「向こうは真剣に金を要求しているわけではなくて、ただちょっと気に食わないから気持ちをぶつけに来たんです。このくらいの激しさでケンカをふっかけられたら、どのくらいの激しさで返せばいいみたいな程度があって、こっちがそれをすれば相手も引き下がるんです」 インド式ケンカのあうん、といった感じなのでしょうか。実はこうしたハプニングが初日にもあったそうです。ワークショップを始めるため生徒たちが教室に集まり始めていた時、何人かの青年と杉本さんがずっと話をしていたことがありました。その時はわからなかったのですが、やはりそれもワークショップに不満を抱える人たちだったそうです。小さなコミュニティーの中に外から人間がやってくれば、直接的にその恩恵を受けられないと感じた人たちからは必ず不満が噴出します。私たちは言葉がわからないから直接伝わってこないだけで、杉本さんやショビーさん、もう一人の助手のミントゥーさんが防波堤となって、見えるところだけでなく見えないところでも、村の人たちとのコミュニケーションに腐心してくださっているのでした。その真剣さと丁寧さに、ただ仕事でやっているのではないハートの熱さを感じ、あらためて感謝しました。このアートワークが、需要さえあればどこでもできる類の活動ではないというのは、こういう方たちの存在があるかどうか、その一点に尽きます。 昼食を食べるために入ったカフェで、杉本さんはゴザの上に横たわってしばし熟睡していました。いまはただ、深く眠って疲れをとっていただきたい、と心底思いました。 生徒たちは今日が最後の写真撮影になり、明日からは写真展に向けたセレクションに入ります。最後の午後、どんな世界を撮ってくるのでしょうか? <ワークショップ5日目 2004年7月8日 木曜日> 前日、ワークショップのあとホテルに戻り、いつものように印刷作業に入ったスタッフたちは悲鳴をあげました。一人あたり一日25枚という約束だったのですが、この日ほとんどの生徒たちが60〜70枚、多い人だと100枚以上もの写真を撮っていました。カメラを手放す時間が迫り、思う存分に撮ってきたのでした。その気持ちはわかりつつも、持ってきている材料には限りがあります。全部の写真を印刷してあげたい気持ちは山々ですが、ルールはルールですし、一人あたり30枚程度を選んで印刷することにしました。デジタルの場合、フィルムと違って、容量が余っていればどんどん撮影できるため、いくら枚数を決めてもこういうことが起こりがちになります。何枚でも撮れると思えば、シャッターを押す瞬間の葛藤も小さくなり、その一枚にこめる覚悟のようなものも薄まってしまいます。今後デジタルを使い続けるのであれば、CFカードの容量を小さくするなどの工夫が必要だと感じました。3日目の写真を加え、写真展用のセレクトを始めました。それぞれの生徒のいいところ、特徴的な視点をできるだけ生かしながら、21人の生徒がいっせいに展示するわけですから、他の生徒と雰囲気がだぶらないように気を遣いながら一緒に写真を選んでゆきます。 まず3日間の写真を自分で選んでもらい、それを見ながら、そこに選ばれなかった中にいい写真はないか、発掘していきます。いわば写真の敗者復活戦です。この上段を自分セレクション、下段をこちらセレクションとするなら、上段は自分が見知っている自分、下段は自分が無意識に撮っていた潜在的な自分、と言い換えてもそう大袈裟ではありません。敗者復活した写真を見て驚きや喜びを見せる生徒もいれば、困惑する生徒もいます。自分が気づかなかった点を他者から「おもしろいよ」と突然いわれては、困惑する気持ちもわかります。自分だってその立場になったら、きっと困惑するに違いありません。 ![]() 女生徒のガイトリーは困惑したほうの一人でした。「下の段の写真で好きなのはある?」と訊ねると、「みんな嫌い。私は家族を撮った写真が好きです」と答えました。おもしろいことに、彼女が「特に嫌い」といった、床に寝そべった兄のリラックスした写真と、知り合いの母子を撮ったブレた写真は、橋口はじめスタッフ間でも人気のあった写真でした。 「上の写真を撮ったのも君。下の写真を撮ったのも君。君の中にこの両方を見る目がある。上は、みんなが知っている君。下は、みんなが知らない君。君がこれまで要らないと思っていたほうを、僕が拾っただけ」 と橋口。ガイトリーは納得していないような顔で、気に入らない写真を隠そうとしました。それを杉本さんが「せっかくこの機会に参加したのだから、がんばってみようよ」と制し、最後には彼女が折れた形になりました。 アウグスブルグでも困惑した生徒が何人かいました。何度もディスカッションを重ね、「このほうが君のナチュラルな感情が表れているのではないか」と話しましたが、「こっちは僕がふだん外に見せている顔じゃないから発表したくない」と、結局自分で選んだほうの写真を発表した生徒が二人いました。 これは、どちらの写真がいいわるいとか、正しい正しくないということではまったくありません。発表したら、反応はすべて生徒本人に返ってくるのですから、こちらの意思を相手に押しつけることはできません。どれを発表するかということは、最終的には本人の意思で決められます。ただ、説得を試みようというわけではなく、せっかくワークショップという機会に参加したのだから、新しく発見したほうの自分を直視してみないか、という思いはあります。もし本人が「やはりこちらは出したくない」という結論に至ったとしても、それは仕方のないことです。少なくとも、「自分にはこんな面があったのだな」ということは発見したわけですから。そのことを、その時にでなくても心の隅にでも置いておいてもらえたら、それでいいのです。 ●ムンナ2は最終日、撮影中にダイヤルがビデオモードに切り替わってしまいました。大きなナマズを釣った人の様子をずっと追った印象的な映像だったのですが、残念ながら写真に印刷することはできませんでした。 ●サリー刺繍工のラフールが大化けしていました。前日までは仕事との両立でなかなか思うような写真が撮れず、「職場にカメラを持っていっていいから、身の回りの道具なんかを撮ってみたら?」とアドバイスしていました。道端に転がっていたウィスキーの空き瓶を撮ったことをきっかけに、彼の中でアーティスティックなスイッチが入ったらしく、自分が使う糸や針、刺繍のもよう、染めが終わって干してあるサリーの布などを審美的に写していました。 ●1日目に100枚近い写真を撮ってきたサリタは、最終日も多くの写真を撮っていましたが、それは1日目と比べると別人のような、ただ数を撮っているだけという感じがしました。「最後の日はどうしたの?」と訊ねると、実はお兄さんにカメラをとられ、最終日の写真はお兄さんが撮ったということでした。特別に彼女だけこの日も写真を渡し、他の生徒たちのセレクションをしている間に撮影しに行ってもらいました。しかし一人だけ撮影となると、村の子供たちが彼女にくっついて回り、写真に写ろうとするため、結局集中して写真を撮ることができず、かわいそうでした。しかし彼女は1日目の写真だけでも、写真展に発表するには十分な作品がありました。 ●印象的な世界を呈示していた生徒の写真はA4サイズに引き伸ばして展示することにしました。これも優れているいないということではなく、写真には数多くあることで伝わる世界観と、数少なくても伝えられる世界があります。その違いです。 明日から二日間、いよいよアッシーガートでの写真展です。 <写真展/アッシーガート 2004年7月9日 金曜日/10日 土曜日> いよいよ今日からアッシーガートでの写真展が始まります。生徒たちの写真は、あらかじめ板屋さんで購入したベニヤ板に一人ずつ貼りつけていきました。一人ずつ写真の大きさも枚数も異なり、横位置写真やたて位置写真が混在しているため、見た目が美しくなるよう一枚の板にどううまく貼り付けていくかは意外とデリケートな作業です。スタッフが線を引いてアタリをつけて写真を並べ、レイアウトが決まったら両面テープで貼り付けてゆきます。集中力が必要な作業なので、申し訳ないけれどこの間は子供たちには外に出てもらいました。(左の写真には、入り口に集まってうらめしそうに中を覗き込んでいる子供たちが見えます) でも気づいてみると、やっぱりいつの間にか隙間を通りぬけて子供たちが入ってきてしまいます。参加したくてたまらないのでしょう。きちんとやり方を説明し、貼るのを手伝ってもらいました。(右写真赤い服の女性は、杉本さんの元教え子さん) ボードの端には、写真を撮った一人一人の生徒の顔写真とプロフィール、好きな色、将来の夢を載せたネームカードを貼り付けました。写真展を見に来る人たちに、これらの作品を撮ったのが、このコミュニティーに暮らす普通の少年少女たちであることをきちんと認識してもらうためです。これまでのワークショップでは、写真を印刷するだけで手一杯で、写真展にそのネームカードを用意することができませんでした。それまでは生徒の名前しか載せていなかったため、こんな素晴らしい写真を本当に少年少女が撮ったのか、と信じてくれない人さえ時々いたのです。これを作ることができたのは大きな前進でした。前のワークショップや展覧会の反省を、次の機会に生かしてゆく、本当に一歩一歩です。 (左の写真:真ん中は生徒の写真貼り付けを手伝うスタッフの滝尾さん。彼女がいるコーナーにはいつの間にか男子生徒たちが集まり、「君たち、終わったら他の子のを手伝ってあげて」といって解散させてても、いつの間にかまた集まってしまいました)会場となるアッシーガートで展覧会を行うのは今回が三度目です。1回目は2000年秋、橋口の「呼吸ー東京篇」を展示しました。このときはBHU(バナーラス・ヒンドゥー大学)の美術学部よりイーゼルを借り、ガンガをバックに並べました(このときの様子は『対話の教室』に掲載されています)。 2回目は2002年春、橋口がインドの人々のポートレートを撮影した「同時代を生きる人を知る旅」を展示しました。砂地に杭を打ち込み、ロープを渡して洗濯物風に写真を吊るしてゆきました(2002年 ヴァラナシ報告を参照)。アッシーガートはヴァラナシに住む人々のほかに、インド各地からヴァラナシへ巡礼にやって来た人々、日本人を含む世界各地からのバックパッカーたちがひしめきあい、さながら人種のるつぼといった様相を呈しています。生徒たちが暮らすニシャードラージガートからは、ガンガ沿いに徒歩15分ほどの距離にあります。 今回は写真展を行うたびに電気を貸してくれたり差し入れをしてくださったりしていた、ガンガ沿いのカフェ、Vaatika Cafeの壁面に板を吊るして展示することにしました(右写真:展示するやいなや人が集まってきました)。すでに雨季に入っていたので、唯一の心配は夕立です。雨が降りそうになったら、ひもを切って撤収し、雨がやんだら再び展示することにしました。 左写真:写真展にかけつけてくれた2000年度ワークショップの参加者、ヴィシャール(中央)とアンナプルナ(右2)。ヴィシャールはBHUの農学部を卒業間近で、アンナプルナは大学を卒業し、MBAを取得するための勉強中でした。ここには映っていませんが、リートもホテルまで会いに来てくれました。こうして前に出会った生徒たちと再会できるのは本当に嬉しいことです。お互い、どこかで気持ちが通いあったから、またこうして会えるのだと思います。自分の写真を貼り付けたあと、一度家に戻った男子生徒たちが続々と展覧会場に集まってきました。それを待ち構えていたようにテレビクルーが生徒たちにインタビューを始め、アッシーガートは騒然とした雰囲気になりました。 (右はテレビのインタビューを受けるムンナ1) ![]() 残念ながら、会場に来られた女子生徒はシーマとキランだけでした。私たちにとっては、ニシャードラージ寺院からアッシーガートまでは徒歩でたった15分ほどの距離ですが、彼女たちにとってそこにはすでに違うコミュニティーです。ふらふら出歩いているところを見られたりすると、ああだこうだ言いたがる口さがない人たちもいます。インドではそういうことを考慮し、できる限り彼らが暮らすコミュニティーの中、あるいはすぐ近くで展覧会をするようにしてきたのですが、やはり今回もほとんどの女の子たちが会場に来ることができませんでした。 ![]() シーマは、展示した写真の中にお姉さんが映っていたのですが、そのお姉さんがアッシーガートのすぐ近くに嫁いでいて、写真が展示されていることが近所の人たちに知られたら大変なことになるので、その写真ははずしてほしい、と言いに来たのでした。女性たちが外に姿をさらすことに対する抵抗は、やはり強いものがありました。 (左は生徒たちのネームカード。下にはヒンディーを書きました) 夜になると、ようやく仕事が終わったラヴィとラフールの兄弟が、お父さんと近所の子供たちをを連れて会場にやって来ました。とてもきれいないっちょうらのシャツを着て、彼自身、作品が展示されることを誇りに思っているようでした。 橋口「なぜ君の写真を大きくしたかわかりますか?」 ラフール「わかりません。仕事道具を撮ったからですか?」 橋口「作品として素晴らしかったからです」 するとラフールは、「だって僕は一流の職人ですからね」とおどけて笑いました。その様子をお父さんが本当に嬉しそうに見つめていました。 ![]() (右:会場に集まった生徒たちとの記念写真) 会場で座っていると、色んな人たちが声をかけてくれます。テーブルと椅子をカフェから運び、椅子に座って展示に立ち会っていたのですが、一瞬席を立つと、もうそこには道行く誰かが座っています。私たちも各自がけっこうな荷物ーーあるスタッフは糸ノコギリまでーーを持っているため、テーブルから離れるわけにもいきません。気がつくと、椅子は見知らぬ人たちに占領され、スタッフたちがそれを取り囲んで立っている、という奇妙なこともありました。そして誰かが立ち上がると、すかさず椅子を確保するという、ほとんど椅子とりゲームでした。 ![]() しかし面白いのは、勝手に座ってわるいという気持ちがどこかにあるのか、彼らなりのホスピタリティーなのか、色々話しかけてくれるのです。しばらく座っていたあるお年寄りは、写真展の能書きをきちんと読み、ワークショップをする意義についてかなりつっこんだ質問をしてきたので、「あなたは美術の教授か何かですか?」と訊ねると、「いや、たまたま通りがかっただけ」。今度はタバコを吸いながら色々話しかけてくる男性がいて、「この人も通行人かな」と思っていると、やっと会話が終わった頃に、「実は新聞記者です」と告白する。もう、誰が何者なのか、まったく見当がつかないのです。これはヴァラナシの特質かと思いきや、のちにデリーでもそういうことがあったので、インドでは珍しくないことなのかもしれません。 ![]() なぜ会話が終了するまで何者かを明かさないのか? このことは意外に多くのことを示唆しているように思いました。 インドにはカースト制度が厳然としてあります。知らない者同士が会話を始める前に互いの正体を明かしあえば、そこで関係性が決まってしまうからなのでしょうか? 相手の本音を見極めるためには、正体を明かさないほうがいいということなのでしょうか? インドで過ごす日が浅い私には、まだまだわからないことだらけです。 ![]() しかしこれは現実的にとてもしんどいことでした。どうしんどいかというと、自分の本質が見えてしまうからです。「すべての人に同等に接する」と理屈ではわかっていても、一日何十人もの人と話をしなければならなくなると、実際には気合を入れたい時と手を抜きたい時が出てきます。しかし相手の正体がわからないとその加減をどこでとったらいいのかわからないので、そのために「相手が何者なのかを知りたい」と思っている自分が現実にいるのです。これはけっこうショックな発見でした。 インドは人間を丸裸にしてしまう場所なのかもしれません。 写真展は両日とも午後9時までたっぷり続きましたが、9時になっても人出はまったく衰えず、撤収するのがもったいないくらいでした。 ヴァラナシに到着してからいきなりエンジン全開で走り、日替わりで誰かが倒れていたので、翌日曜日は、ワークショップを始めて以来初めての完全休養日にすることにしました。タイミングよく、日曜日には1週間会社を休んで自主参加する浜野さん(現APOCCスタッフ)が合流することになっています。 <まとめ> 展示された作品が、地元の青年たちが撮影したものであることに、参観者は一様に驚きを見せていました。ガート近くの宿に宿泊する西洋人バックパッカーたちもかなりの時間をかけて作品を見、「素晴らしい試みだ」「いつまで展示は続くのか?」と声をかけていきます。仕事の配達の途中でたまたまそこを通りがかった、同年代くらいの少年や少女が、ずっと立ち止まって作品を見ていた姿が印象的でした。 会場には、ワークショップの最中から取材に来ていたサハラ・TVニュースやスター・サン・ニュース、英字新聞のヒンドゥスタン・タイムズなどが取材に来ました。新聞記者は取材を終えると、「インドの子供たちのためにどうもありがとう」と握手を求めてきました。また私たちがずっと会場にいることを知り、BHU(バナーラス・ヒンドゥー大学)の芸術系学生が次々と自分の作品を持ち込み、「私たちが参加できるワークショップをする予定はないのですか?」と訊ねられました。みんなチャンスを求めているのだということがひしひしと伝わってきました。写真を撮ったことや芸術的教育を受けたことのない少年少女に対するワークショップに加え、芸術の専門教育を受けている学生に対するワークショップを何らかの形で行うことは、今後の可能性として考慮すべき点ではないかと思いました。 教室内ではスペースに余裕がなく、また時間的にも追われていたので、生徒たちとなにげない時間を一緒に過ごすことができませんでした。が展覧会が始まると男子生徒たちが三々五々集まってきて、何をするわけではないけれど、私たちとなんとなく一緒にいました。最初の頃はおそらくとまどいも多かっただろうと思いますが、確実に距離が近づいたんだなと嬉しくなりました。彼らはまた、家族や兄弟姉妹や近所の友達も連れてきて、誇らしげに自分の作品を説明していました。自分が他の人にはない自分だけの世界を持っていることに、一番驚いたのは彼ら自身だと思います。そのことが、私たちと彼らの距離を一歩近づけてくれたのだと思いました。
<最後のお別れ日 2004年7月17日 土曜日> 少し日時が前後しますが、スンダルバギヤ小中学校での絵画ワークショップを終えたあと、ニシャードラージへお別れの挨拶に行きました。みんなの撮った写真を返却するのと、会場を貸してくださったお礼をするためです。また今回のワークショップを記念して、参加した生徒たちに何か記念品を渡せないか、という杉本さんの提案で、APOCCロゴの入ったTシャツを制作しました。その完成に1週間かかってしまったのです。 またワークショップから写真展まで怒涛のような作業だったので、ワークショップに参加した感想をみんなに話してもらう機会をまだ持てていませんでした。 みんな床に座り、最初に自己紹介をした時のように、一人一人話をしてもらいました。この日は学校があったり仕事があったりして、何人かの生徒は参加することができませんでした。集まることができた生徒たちの感想を以下にご紹介します。
![]() サティ・ナラヤンの話を受けて、橋口が話しました。 橋口「そういうことを感じてもらえてとても嬉しいです。サティ・ナラヤンは本物だな。何をやっても成功すると思います」 サティ「こちらこそ嬉しいです」 サティ・ナラヤンの瞳には涙が浮かんでいました。 (左:名前を呼ばれて前に出るキラン) 橋口「この活動で僕らは報酬をもらっていないけど、みんなの気持ちが宝物です。 (寺主さんと集落の人たちに向かって)この大切な場所を使わせてくださってありがとうございました。今、みんなの手元にカメラはありませんが、これから町を歩く時、カメラを持っていた時と同じように、この村や窓やバケツ1個からだって好きなものが探せるんです。ちょっとした時にそんなことを考えながら生きてくれると嬉しいです。本当にいい時間をどうもありがとう。僕だけでなく、スタッフもみな、そう思っています。また会いましょう」(右:写真とTシャツを受け取るシーマ) サティ・ナラヤンだけではなく、マルティもディープーも涙をぬぐっていました。 みんなに写真とTシャツを渡す際、APOCC会員の濱崎淳子さんが寄付してくださったボールペンも一人一人に手渡しました。 長いようであっという間の1週間でした。やっと距離が縮まったかと思うと、もう別れの時間がすぐそこまで来ています。最後に生徒たちと握手をして別れたのですが、サリタはいつまでも私の手を握ったまま、離そうとはしませんでした。(了) ●謝辞 「ワークショップ2004インド」は、国際交流基金の平成16年度日本文化紹介助成事業として行われました。デリーで最後に行われた写真、絵の総合展覧会は、国際交流基金デリー事務所にご尽力いただきました。 今回も写真ワークショップに使用した機材(カメラ、プリンター)、及び資材(インク、用紙)はキヤノンさんにご協力いただきました。また今回はワークショップのあと、写真集と画集を制作するため、その分の膨大な量のインクや用紙もご提供いただきました。 そして今回初めての試みとなった絵画ワークショップの画材(クレヨン、えのぐ、筆など)はぺんてるさんにご協力いただきました。何の面識もない私たちの話に真摯に耳を傾けてくださり、ご協力を即断してくださいました。 スタッフとして参加した福原さん(すでにおなじみの、APOCCロゴをデザインしてくれました)、岡室くん、滝尾さんは、東京芸術大学大学院に在学しながら活動しているアーティストです。帰国後も、写真集と画集の作成、ビデオの整理などで今なお働いてくれています。また昨年のドイツでも参加した京都精華大学の伊藤さん、宮坂さんが今回も参加しました。スタッフ経験者であるため、二人の渡航費用の半分はAPOCCで負担しました。 ワークショップ実現のために奔走してくださった方々、そして会員の皆さんに、この場をお借りしてお礼申し上げます。
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