●発端 レーでのワークショップは、ソナムさんなしには成立しませんでした。ソナムさんには、2000年、2002年にもお世話になっています。ふだんはNHKを始め、BBCなどインドを舞台としたテレビ番組のコーディネートをなさっています。私たちが知り合ったのも、2000年にワークショップと同時に撮影されたNHKの番組「アーティストたちの挑戦」がきっかけでした。ラダックの出身であるソナムさんに、「いつかラダックでもワークショップをしてください」とずっといわれていました。それが今回実現したわけです。 ●ラダックについて レーは北インドはラダック地方の中心地です。トップページのインド地図をごらんいただければわかるように、インドの最北端に位置しています。ヒマラヤ山脈のふもとにあり、海抜は約3500m、富士山の頂上にいるような感じです。6月から10月末の観光シーズンを過ぎると、峠が閉ざされ、陸路でレーに入ることはできなくなります。その交通の不便さが、ラダック独自の文化を薄めずに保てた理由といえるかもしれません。 文化、宗教的には、ここはインドというよりチベット世界の一部といってよいでしょう。人々はヒンドゥーではなく、チベット仏教(ラマ教)を信仰しています。人々の顔もインド人とはまったく異なり、チベットやモンゴル、日本人にもよく似ています。小さい頃の自分に似た顔の子がたくさんいます。ラダックの子供のお尻にも蒙古斑があるそうです。 しかしここはただののどかな辺境の桃源郷というわけではありません。印パの停戦ラインと中印国境(双方が領有を主張している)が近くにあり、最前線基地でもあります。飛行機内から外の風景を撮影することは許されていないし、空港にも軍人がうようよいます。町の中心街から一歩外に出ると、軍のトラックがたくさん行き交っています。また郊外には亡命チベット人の集落や学校も建っています。今はたまたま平和が続いていますが、パキスタンや中国との関係が緊張した途端に、この町の表情は変わるのでしょう。ソナムさん自身、印パの紛争で甥を一人亡くされています。 ●ラムドン・スクールについて ラムドン・モデル・シニア・セカンダリー・スクール、通称ラムドン・スクールは、ラムドン・ウェルフェア・ソサイティーという福祉団体によって開校されました。これはラダックじゅうの名士や金持ち、企業がお金を出し合い、ラダックの教育水準や生活水準を上げるために援助をするという団体です。ソナムさん自身、この福祉団体の主要メンバーであり、奥さんの勤める銀行の頭取が会長となっています。レーにはこの1校ですが、ラダックじゅうに姉妹校があります。 <レーでのワークショップが始まるまで> ヴァラナシでは、杉本さんがこれから運営する寺子屋のために一部の画材を残し、またヴィシャカパトナムの直子さんが運営するドクター・アンベデカー・メモリアル・スクールにも、生徒たちが使用した画材などをきれいに整え、一部を寄贈しました。またAPOCC会員の飯田真理子さんに寄付していただいた新品の子供服は、ドクター・アンベデカー・メモリアル・スクールでバザーを行い、その収益金を学校の屋根の修理に使っていただくことにしました。 ヴァラナシからデリーに向かうまでの国内移動は緊張の連続でした。というのは、日本からインドへ向かう際には、旅行代理店の方に交渉していただき、通常よりかなりオーバーの荷物を超過料金なしで載せることができたのですが、これまでの経験からして、インドの国内移動はかなり厳しいことが予想されました。荷物の容量だけでなく、機内に電気機器を持ち込む際のチェックが非常に厳しいのです。 案の定、今回も手荷物検査にデジタルカメラやCFカードをぎっしり詰めたケースがひっかかりました。管理官が「さあ、俺の出番だ」とでも言いたそうな顔で、「どうしてこんな大量のカメラを持っているんだ。これで一体何をするつもりか。きちんと税関手続きは踏んでいるのか」とまくしたてました。「これはワークショップに使用するんです」と、国際交流基金から出していただいた招聘状や税関でサインをもらった機材リストなどを見せますが、「だから何なんだ。私には関係ない」とにべもありません。私はファイルから、ヴァラナシで掲載された様々な新聞を取り出し、またちょうどファイルに入っていた、生徒たちが撮った写真や絵のプリントを管理官に見せ、「これらはすべて、普通のインドの子たちが作った作品です。ワークショップをしにインドに来るのはこれが3度目です」と説明しました。すると管理官は急に表情を変え、「インドの子たちのためにどうもありがとう。これからも歓迎します」と握手を求めてきました。 <ワークショップ前日 2004年7月19日 月曜日> この日も完全休養といわれていましたが、そうもいってはいられず、気持ちははやります。ワークショップに入る前に学校の下見もしておきたい。またスタッフ一名の荷物が空港で行方不明になり、最低限の日常必需品を買う必要がありました。私自身は「とにかく私物を減らさなければ」という一心で荷物を極力減らしてしまったため、夜にはかなり冷え込むレーで過ごすには防寒着が足りませんでした。またあるスタッフはインドの香辛料の強い料理を食べ続けて胃腸が弱り、食事を受け付けなくなっていたため、果物やパンやジュースといった食料を買う必要がありました。どうしても街に出かける必要がありました。 この頃から私たちは、これまでには持ったことがない、危機管理の感覚を持ち始めるようになっていました。その一つの要因は、これまでに行ったどのワークショップに比べても、今回はスタッフが倒れる頻度が高い、ということがありました。スタッフ一人一人が、毎晩生徒たちのために睡眠を削ってがんばった結果なのですから、それは仕方のないことですが、全員が倒れてしまえばレーでのワークショップの存続は不可能になります。その事態だけはなんとしても避けなければ、逆に無責任になってしまいます。その結果、私たちは全員で一緒に行動することはリスクが高いと判断し、半数が外に出ることにしました。レーのワークショップはそれが基本形になりました。 ワークショップが始まる前にラムドン・スクールのトンドップ校長先生とゆっくりお話することができたのは収穫でした。また校長先生に学校を案内していただき、学校がどのように運営されているのかを垣間見ることができました。こうしてワークショップが始まる前から校長先生がつきっきりで関わってくださることに、先生がこのワークショップにかける意気込みのようなものを感じ、背筋が伸びる思いがしました。(上は朝礼の様子) ラムドン・スクールには幼稚園児から12年生(日本でいうと高校3年生)まで2000人の生徒がいます。そのうちワークショップ参加希望者は約200人。スンダルバギヤでの反省も含め、もう少し少人数でできないかと打診したところ、「小さい子も大きい子も、みんなとても楽しみにしているんです」とのことだったため、やはり参加希望者が全員参加できるようにしました。 (下は山の斜面に描かれたラムドン・スクールのシンボル。生徒たちが白い石を運び、1か月間かけて描いたそうです) ラムドン・スクールにも美術を専門に教える先生はいません。しかし絵の好きな先生(音楽を教えるリンチェン先生)がおり、低学年の絵の指導はリンチェン先生が行っているとのことです。ワークショップにはずっとリンチェン先生が参加し、私たちが去ったあとでも先生を中心に何らか絵の授業ができるように、というのが校長先生の考えでした。 ![]() 絵の授業はありませんが、年に3,4回絵のコンクールがあり、絵の才能がある生徒は確かにいるとのことです。校長先生のお話からは、このワークショップを数日間のお祭りに終らせず、なんとか生徒たちの教育に生かしていきたいという思いが伝わってきました。 レーに暮らす子供だけでなく、ラダック中から生徒が来ています。そのため5、6歳から寮生活をしている子供もいて、上級生が下級生の面倒を実によく見ています。またラムドン・スクールはラムドン・ウェルフェア・ソサイティーを通して外国の様々な方面から援助を受けています。学校の講堂や寮の片隅にプレートが貼られ、寄付をしたヨーロッパの財団の個人の名前が彫られているのを見ました。また大口寄付だけではなく里親制度も設けており、寮に住まない生徒一人に対しては200US$、寮に住む生は400US$、を寄付することで、個人的にバックアップすることもできます。たまたま私たちが学校に行った時は、一人で何人かの生徒を援助するイギリス人の里親が、生徒たちの様子を見に来ていました。 ラムドン・スクールはこのように海外とも交流を持っていますが、ワークショップを行うのは初めてで、日本人のグループがやって来るのも初めてだそうです。 ラダックは冬の間は完全に閉ざされ、半年間は外部から閉ざされた状態になるということです。しかし校長先生によると、 「半年閉ざされてしまうことが、ラダックによってはよいことなのかもしれない」とのことでした。 「そのおかげで自然が守られ、宗教や文化や生活のリズムが守られているのかもしれない」 それは、便利な場所からやって来て、「本来の文化や生活が守られた素晴らしいところだ」と無責任に感じがちな外部の人間には、とても重みのある言葉でした。 <完全休養> 海抜約3500mのレーに着いたら、高山病にならないために2日間は完全休養をとるように、とソナムさんからいわれていました。それを踏まえてワークショップの日程も組んでいました。最近では高山病を防ぐための薬を飲む忙しい観光客も多いそうですが、そのような薬が体にいいわけはないような気がします。ゆっくり自然に体を慣らさせていくしかありませんでした。 レーに降り立った時には、まだ興奮状態でもあったので高山に来たという体の実感は掴めませんでしたが、ホテルに着き、荷物を各部屋へ運ぶ段階になってじわじわと実感が掴めてきました。頭がぐらぐらして、目で見ている映像と体の動きに距離があるような感じです。階段を上り下りするのが怖く、ちょっと歩いただけで息切れがします。脳にも体にも酸素が行き渡っていないという実感がだんだんしてきました。各自部屋に入ると、とりあえず眠ることにしました。 やらなければならないことは山ほどありました。画集と写真集の準備、生徒が描いた絵の取り込み作業などをただちに始めないと、デリーでの展覧会に間に合わないのです。しかしソナムさんいわく、部屋にいさえすれば作業をしていいというわけではなく、とにかく体も頭も休めなければいけないということです。 午後は、ホテルの芝生の庭にゴザを敷き、比較的元気な人は庭でゴロゴロしました。庭には花が咲き乱れ、陽光がさんさんと降り注ぎ、何十メートルもありそうなポプラの木がそよそよと揺れています。高山病の予防措置とはいえ、至福の時でした。ヴァラナシでの怒涛の2週間が嘘のようです。2日といわず、何日もこうしていられたらいいのに、と思わずにいられませんでした。インドで見た種類とは異なる、モコモコの毛に覆われたこげ茶色の牛が、芝生をはんでいて、それは愛らしい姿でした。しかし最後にはホテルの人に見つかり、牛は追い出されてしまいました。ここに芝生が生えているということを知っている外の牛だったのです。ホテルから一歩外に出ると、むき出しの土と岩の世界です。牛にとってはこの庭が食料の宝庫に見えたのでしょう。 しかしレーがこのような生命に満ち溢れた活気を見せるのは本当に短い間だけだそうです。長く厳しい冬は道を閉ざし、人や物の移動を拒みます。目の前に広がる風景からはちょっと想像がつきませんでした。生徒たちはそのような四季に囲まれて生きているのです。 <ワークショップ1日目 2004年7月20日 火曜日> いよいよワークショップが始まりました。この日、生徒たちは成績表をもらう日だったため、実質ワークショップができるのは午後だけです。短時間でできることは限られてしまうので、この日はクラスごとに記念写真を撮ったりしながら、生徒たちの年齢層を把握したりすることにとどめました。と、非常に曖昧な表現になるのは、この日学校でどんなことをしたのか、私自身、まったく記憶が飛んでしまい、メモも残っていないからです。この晩の23時すぎ、スタッフの一人が高山病で倒れ、意識を失ってしまいました。それが運の悪いことに大停電の最中に起きたものですから、、スタッフの間にも動揺が広がりました。幸いソナムさんとホテルのオーナーファミリーのご協力により、本来なら軍関係者しか入ることのできない軍病院へ連れて行っていただくことができました。スタッフは特例として緊急入院し、私たちがホテルに戻ってきたのは午前3時になろうとする頃でした。 <ワークショップ2日目 2004年7月21日 水曜日> 前夜ホテルに戻ってきたのが午前3時頃で、午前中もう一度病院へスタッフの様子を見に行きました。安心したことに、前夜よりはずいぶん回復していましたが、ソナムさんのはからいで、念のためもう一晩入院することになりました。ソナムさんもまったく眠っていないのか、真っ赤な目をしていました。ソナムさんは病院や空港で様々な連絡をとらなければならないため、しばらくワークショップには参加できません。スタッフにも状況を報告する時間を持つ必要があったため、急遽学校に連絡してこの日の午前中はお休みとしてもらい、午後からワークショップを始めることにしました。体力が低下しているスタッフの半数はホテルに残り、画集と写真集のレイアウトや印刷に取り組みます。 学校に到着した途端、おえかきを心待ちにしていた低学年の生徒たちが群がってきました。みんな、楽しみにしているのです。(写真)とりあえず参加者全員に講堂に集まってもらい、学年ごとに座って画材を一緒に使うグループ分けをしました。驚いたのは、上級生たちの面倒見のよさでした。自分たちのグループ分けが終わると率先して低学年のほうへ行き、私たちに代わって子供たちの面倒を見てくれます。この年上の子と年下の子の関係は、日本では見られなくなってしまった光景だなと思いました。 午後だけでできることは限られているため、この日から写生をするのは難しいと判断し、友達同士で向かい合い、友達の顔を描くことにしました。みな自分の鉛筆を取り出し、鉛筆でまず下書きを始めました。「友達の顔をよく見てみよう。友達はどんな目をしていて、どんな鼻をしているのか、よく見てみようね」 通訳のソナムさんがいないため、橋口の言葉を星野が英語に、それをまたリンチェン先生がラダック語に訳します。すると低学年の子供たちは、一様に目の前にいる友達の顔を触り始めました。なんとも愛らしいしぐさでした。気がつくと運転手のアンチョクさんもスタッフに混じって画材を配ったり、低学年の生徒たちの世話をしてくれていました。子供たちのために、少ない人数をカバーしようと率先して大人の人たちが動いてくれるのは本当にありがたいことでした。 「ちょっと待っててください。生徒の中にインド人が何人かいるので、彼らにも通訳してきます」リンチェン先生は数人のインド人生徒のところへ行き、同じ内容を今度はヒンディーに訳します。先生の「インド」という表現が新鮮でした。一瞬、ここがインドであることを忘れそうになります。インド人生徒は、親が軍関係の仕事でラダックには赴任されている子たちです。 描き終えた生徒から、どんどん壇上に上がって絵を発表しました。その姿はとても誇らしげです。仏教画に囲まれて暮らしているせいか、仏さまの顔に似た絵もたくさんありました。絵というのは、そこの文化を如実に反映するものなのだとあらためて思います。上級生の中には、あえて絵の具を塗らず、鉛筆のデッサンだけで勝負するデッサン力のある生徒もいました。ちょうどそこへトンドップ校長先生が様子を見に来ると、生徒たちはわれ先に先生に自分の絵を見てもらおうとしていました。先生は一枚一枚の絵を眺め、ねぎらうように一人一人の生徒の頭をそっと撫ぜていました。何かとてもよいものを見せていただいたという気がしました。 <ワークショップ3日目 2004年7月22日 木曜日> 前日のクラスの様子からして、生徒たちは美術の授業がないとはいっても、ある程度の絵心があることがわかりました。絵心というと漠然とした言い方ですが、おそらくお寺や仏教画が身近な生活で、絵そのものに対して親しみを持っているという印象がありました。またリンチェン先生が積極的に関わってくださることがわかったので、今日から写生に入る前に、絵に関するディスカッションをしてみようということになりました。これは絵画ワークショップで初めての試みです。(写真:遅刻しないよう講堂に走る生徒たち) ディスカッションをするための教材として、ニシャードラージのソヌーが撮った牛の写真を生徒たちに見せました。 「これはヴァラナシでの写真ワークショップで生徒が撮った写真です。まずはこの写真をよく見て下さい。写真と絵の違いは何だと思いますか?意見のある人は手を挙げて下さい」 リンチェン先生が訳します。 「これはヴァラナシの生徒が撮った写真です。ヴァラナシってみんな知ってるか?インドの街です・・・」 ラダックの牛とは違う牛の姿に、生徒たちは目をくりくりさせて見入っています。学年に関係なく、色んな意見が出ました。 「写真は一部しか撮ることができませんが、絵は全体を描くことができます」 「現実とまったく同じ色を出すことはできません」 「写真はそのものを写しますが、絵は描く人や描き方によって変わります」 「一番大きな違いは、絵は人が描きますが、写真は機械が撮ります」 「写真は光が写せるけど、絵は光を描けません」 「写真は瞬間に撮れます。絵は長い時間がかかります」 「いま、みんなからとても重要な点がいくつもあがりました。 同じ風景を見ながら、何を切り取るかでその人の性格や特徴を出すことができます。 確かに現実とまったく同じ色を出すことはできないかもしれない。でもある人には木がみどりに見えたり、またある人には茶色に見えたりする。先入観を捨てて、自由に描いてみてください。自分の色を探してみよう。 絵でも光を描くことができます。たとえば一枚の葉にも、光の当たっているところと陰になっているところがある。薄い色と濃い色で、光を表すことができます。一緒に勉強していこう。 絵は人が描くけれど、写真は機械が撮る、その通りですね。でも絵を描く動きと写真を撮る動きは実は同じでなんです。写真は、見て考えたことを最後に機械が撮ります。絵は、見て考えたことを手が描きます。最後のところが違うだけです。 一本の鉛筆でも、光と陰を描いたり、たくさんのことを描くことができます。一緒に勉強しながら、自分の世界を創ってみましょう」 私自身通訳をしながら、そうか、絵と写真というのは実はそれほど違いはないんだ、最後に表現する形が違うだけのことなんだ、と目からウロコが落ちる思いがしました。絵や写真だけでなく、きっとあらゆる「表現」に共通することなのでしょうが、「形」にするまでのプロセスーー考えや思い、それこそがその人の「個性」であり、一番大切な、尊い部分なのではないか。そうか、そうだったのかと妙に納得し、自分がこのワークショップを受けたかったなと思ってしまいました。 このディスカッションの時間を持てたことは有意義だったと思います。ヴァラナシでは、スペースの狭さと混沌としていたこともあり、全員が一同に集まって静かに話す機会を持つことができませんでした。できるだけグループを回ってコミュニケーションはとるようにしたものの、どうしても個別に技術を教えることに傾いてしまいがちでした。実際に筆を持って描く前に、見ることと考えることが大切なのだということは伝えられたのではないかと思います。これから実際写生に入るわけですが、生徒全員を「山組」と「家組」に分け、またその中をさらにいくつかのグループに分けて色々な方向を向き、それぞれそこから見える風景を写生することにしました。(上写真は山組の風景例) またヴァラナシではグループが学年ごとに分かれてしまったのですが、レーでは高学年と低学年を両方に均等に配分し、高学年が同じグループの低学 年の面倒を見ることにしました。(右写真は家組の風景例) またヴァラナシと異なり、まず鉛筆で下書きを描いてから色に移ることとしました。いきなり色をつけるのではなく、自分の描きたいものや構図を十分考えてから色をつけるためです。ヴァラナシの生徒には申し訳ありませんが、ヴァラナシでの反省点を、ひとつずつ修正していきました。 炎天下、小さな生徒たちもよく集中力を切らさずにがんばったと思います。写真を見るとわかるように、ほとんど影がないほど、太陽が真上にあり、直射日光はすさまじいものでした。途中昼食を挟み(私たちも生徒と同じ給食をいただきました)ましたが、幼稚園組も午後4時までがんばりました。高学年と低学年が一緒のグループになったことで、彼らもがんばれたのだと思います。授業が終わり、家から通う生徒はスクールバスで町まで降りて行きますが、寮に住む生徒たちはティータイムです。あっという間に部屋に帰って普段着に着替え、さっきまでお坊ちゃんみたいだった男の子たちが、瞬時に悪ガキに変身していました。 (右写真:ティータイムの橋口と少年たち) 構内には男女両方の寮がありますが、一番小さい子は6,7歳くらいから寮生活をしています。遠くから通えないので仕方がないのです。だから年上の子は年下の子の面倒をよく見るし、年下の子はお兄さんお姉さんを慕い、関係がとても強固になるのだと思いました。会議で出かけていたトンドップ校長先生がティータイムにいらっしゃり、「生徒たちはどうですか?」「この期間中に、色々なことをリンチェン先生に教えて下さい。あなたがたが去ったあとでも絵の授業ができるように」と熱心にお話されました。このワークショップの経験を、なんとか日常の授業の中に生かしたいという思いがひしひしと伝わってきて頭が下がる思いでした。 ホテルに戻ると、残って作業をしていたスタッフたちは軽いパニックに陥っていました。夜に大停電が起きたことは前述しましたが、資源を大切にするレーでは日中電気を切ってしまうことが多いのです。なんとか頼んで数時間は供給してもらえたものの、充電のきかないプリンター作業は滞り、すべきことは日に日に増えていくのに、画集と写真集の作業がまったく進まないという状態になっていました。また次第に紙やインクが少なくなっているのに、そういう時に限って電気がとぎれ、紙が無駄になることも増えていっていらいらが募ります。 果たしてインドにいる間に画集と写真集まで行き着けるのだろうか? スタッフの間にはそんな不安が生まれ始めていました。しかしそれを聞かされても、私たちは「がんばれ」と言うだけで、きっとスタッフには鬼に見えたに違いありません。 <ワークショップ4日目 2004年7月23日 金曜日> 早いものでもうワークショップ最終日です。昨日から取り組み始めた写生を今日で仕上げます。 スタッフの病状も安定してようやくホテルに戻ることができ、ソナムさんも今日からワークショップに復帰できることになりました。生徒たちが前日途中まで描いた絵には、前日すべて目を通し、気づいたことをスタッフ間で話し合っていました。ひとつ気づいたのは、「山組」も「家組」も、比較的似たような構図、空間の切り取り方が多いという点でした。今日の写生に入る前に、もう一度ディスカッションをすることにしました。 橋口「ここから何が見えますか?」 「山、木、家、寺、田、ストゥーパ(チベット式の墓)、空、雪、雲、レーの王宮」 橋口「目に入るものすべてを描くのもひとつだけど、自分の気になったものを描くのもひとつです。たとえばあそこに電柱が立っているね。あの電柱を描いたっていいんです。気になるものがあったら、それに近づいて描いてみよう。それに一口に山といっても、とがっているところ、丸いところ、陰になっているところもあるね。山の前には石の塀もあるし、その石の形もそれぞれ違う。空の色も、山の近くと遠くでは色が違うね。今日はそういうことを考えながら描いてみましょう」 「家組」でも同じような話をしました。 「ここから何が見えますか?」 ![]() 「家、花壇、ドア、窓、机、花、ガス缶、黒板」 「みんなの絵を見せてもらいました。みんな違う場所に座っていたのに、同じような風景を描いている人が多かった。たとえば座っている場所によって、そこから見える窓の大きさや空は違って見えるはずだよ。葉も、光のあるところとないところでは違って見える。花もそう。床や壁だってよく見てごらん。はげているところ、はげてないところがある。そんなことも気をつけてみよう。 みんながそれぞれ違うように、風景の見え方もひとりひとり違うはず。今日は色を塗るだけじゃなくて、そんなことを考えてみよう。自分の色や自分の花を作ってください。気になるものがあったら、思いきって近づいてみよう。」 ![]() 前日ホテルでスタッフが、手作りの色見本を何セットか作ってくれました。こういう色とこういう色を混ぜるとこんな色が出来上がる、という教科書のようなものです。残された時間があまりないので、みんなが見えるところにそれを貼り、色作りの参考にしました。そしてこれはワークショップ後には学校に寄贈し、今後の授業のテキストにしてもらうことにしました。 ディスカッションの甲斐あってか、生徒は同じ場所でも、次第に自分の描きたいもの近くへ散らばり始めました。自分が何に気を惹かれるのかを考えながら、表現する。なるほど、写真と同じなんだなあと実感します。 ![]() しかしそれにしても・・・・・・暑いです。なぜ生徒たちの制服にかわいい帽子がセットになっているのか、ようやくその意味がわかりました。帽子なしでは真上にある太陽に焼き尽くされてしまいそうです。 「大変だ!」と橋口が叫びました。 あまりの暑さに耐えきれず、小さい子たちが筆洗い用の水を飲み始めてしまったのです。大急ぎでリンチェン先生にお願いして、運転手のアンチョクさんに大きな水桶を運んでいただき、いつでもきれいな水を飲めるようにしました。「山組」のほうへも水を運んでいただいたところ、「山組」でも同じことが起きていて、スタッフがあたふたしているところでした。この炎天下、生徒たちはよくがんばったなあと思います。 生徒たちが写生をしている間、リンチェン先生と色々な話をしました。美術の先生が学校にいない状況で、当面は音楽の担当であるリンチェン先生が美術を担当するとのことで、先生自身、ワークショップ期間中に少しでも多くのことを吸収しておきたいという思いがあるようで、とても積極的に関わってくださいます。「背景を濃い色で塗ってしまったあと、何か描き加えたくなった生徒がいたら、どう指導したらいいですか?」 先生からはそんな具体的な質問も出ました。 私(星野)自身は絵に関してまったくアドバイスはできなかったのですが、橋口はじめスタッフは生徒たちの間を回り、「ここをこうしたらもっとよくなるよ」と小さなアドバイスをしていきました。今回はヴァラナシと違って小さな子たちも上級生と一緒に写生をしたため、「クレヨンだって混ぜるといろいろな色ができるんだよ」と見せると、次第に原色の塗りつぶしではない、広がりのある世界が生まれ始めました。中には上級生の絵の具を拝借して、クレヨンとえのぐを使い分けて描いている子もいました。![]() この炎天下の二日間、集中力がもつかどうか、最初は一抹の不安がありました。もちろん全員が全員というわけではありませんが、生徒たちは真剣に取り組み、居残って描いている子もいれば、それでも描き終わらず、宿題として持ち帰った子もいました。(その生徒は私たちをよく手伝い、下級生の面倒を見ている間に描く時間がなくなってしまったのでした)このワークショップは自主参加で義務ではないので、もしつまらなかったら、彼らもここまで粘れなかったと思います。最後までがんばっている生徒の姿を見て、楽しんでくれているのだなと感じました。絵の出来がどうのこうのではなく、その姿が嬉しかったです。 明日からいよいよ展覧会です。ホテルに戻ったら、やるべきことが山積みです。200人全員の作品は展示できないので、展示作品のセレクションとネーム作り、そして展示したあとで万一作品が傷んではいけないので、今日中に作品を撮影しなくてはなりません。またヴァラナシの時と同様、優秀作品を描いた生徒には賞品としてえのぐかクレヨンを手渡すことに決めていましたが、今回はあらたに「がんばったで賞」と「手伝ってくれてありがとう賞」を設け、ほかの生徒が帰ったあとも残って描いていた生徒や、率先して手伝いをしてくれた生徒、小児マヒの生徒や小さい子の世話をしていた生徒たちにも賞を授与することにしました。 一方、それと平行して写真集の制作も同時に行わなければ、デリーの展覧会の日は刻々と近づいています。しかしこの数日間の経験で、夜は電気供給が不安定である、つまり頻繁に停電が起きることがわかったので、印刷作業はなかなか進みません。私はネーム作りを担当したのですが、ロウソクの灯りのもと、パソコンで作業をするという、なんともいえない矛盾した気持ちを抱えながら、黙々と文字を打ち込んでいきました。 生徒は午前中学校に集まって終業式を迎え、明日からは夏休みに入ります。授業がすべて終わっているのでこの日は2割くらいの生徒が学校に来ていませんでした。 優秀作品や各種賞の授与は朝礼で行うことにしました。朝礼の前、私たちはトンドップ校長先生と個別に話をしていました。実は前日の最終日、戻ってこなかったクレヨンと絵の具が1割ほどありました。その事実を校長先生に報告せずに「いいワークショップだった」で終わるのも無責任だと思ったため、校長先生にだけは報告しました。犯人探しをするはありませんが、生徒が使ったあとの画材はそのまま学校で使ってもらうつもりだったため、一部の生徒が私有化してしまえば、その分ほかの生徒に皺寄せがいってしまいます。校長先生は神妙な面持ちで聞いたあと、「報告してくれてありがとうございます」とおっしゃいました。「このワークショップは、絵を描くだけではなく、教育の一環です。一部の生徒の身勝手な行動が全員に影響を及ぼすということを、彼らは知る必要があります。しかもこのような好意をむげにするような行為は、けっして見過ごすことはできません。必ず探し出して罰を与えます」 「いえ、罰を与えてほしいわけでは・・・」とうろたえるこちらに対して、「いえ、こういうことはうやむやにしてはならないのです。それが教育です」と筋を通される校長先生。ふだんの優しい横顔を知っているだけに、この厳しさこそいまの私たちが失ってしまった大切なものだなと感じました。 朝礼で校長先生は、最初に英語で私たちスタッフに感謝の言葉を述べられたあと、ラダック語で長い時間をさき、かなり激しい口調で講話をされていました。さあ、気を取り直して授賞式です。こちらで絵を見せながら名前を読み上げると、呼ばれた生徒が前に走ってきます。一目散に走ってくる様子は、体じゅうから喜びがはみだしそうでした。結局、60名ほどの生徒たちになんらかの賞が授与されました。小さな生徒の中には、興奮のあまりクレヨンを口にくわえている子もいました。 そのあとはリンチェン先生やほかの先生に協力していただきながら顔写真の撮影です。ヴァラナシでは段取りがまずくて大混乱し、きちんと受賞者全員の顔写真を撮ることができなかったため、小さなことですが一歩前進です。 <展覧会@ラダック・ブッディスト・アソシエーション境内 2004年7月24日 土曜日・25日 日曜日> 展覧会が行われたのはラダック・ブッディスト・アソシエーションというお寺の境内です。このお寺はラダックにおけるチベット仏教の中心地ともいえる場所で、お寺の中にはダライ・ラマが訪れた時に座る専用の椅子も置いてあります。毎日説法が行われ、敬虔な仏教徒や旅行者たちが多く訪れます。そんな大切な場所で生徒たちの展覧会は行われました。私たちは欠席した生徒への賞品の受け渡しや、学校に残していく画材や色見本などの引継ぎをするため、しばらく校長先生と話をしていましたが、その間、残りのスタッフとリンチェン先生が先に会場へ向かい、設営を始めました。ここでもまた、上級生の何人かが率先して手伝いに参加し、スタッフの手となり足となって働いてくれました。あとでスタッフから聞いたところによると、設営を始めた時点から、何人かの生徒のお母さんたちが展覧会が始まるのをずっと待っていたそうです。寮で暮らす生徒は、家に帰る身支度をしてリュックサックを背負い、会場にやって来ました。 (右写真:手伝ってくれた3人の上級生。左は生徒会長)ラダックの人たちにもっとインドの日常や生活を知ってもらいたいという思いから、急遽ヴァラナシの生徒たちが撮った写真も展示しました。二日間展覧会が行われることが、ラダック唯一のラジオで再三流されたおかげで、ひっきりなしに人が訪れ、じっくり時間をかけて絵を見ていました。夏の間、ラダックに出稼ぎに来ているインド人の人たちは、思わぬ場所でインドの写真に出会ったことがよほど嬉しかったのか、いろんな写真を指差しながら、なじみの深い風景を懐かしそうに見ていました。他の学校に通う子供たちもたくさんやって来て、自分たちと同じ年頃の子供が描いた絵に見入っていました。学期が終わって夏休みに入る前日という、タイミングもよかったのだと思います。里親制度を利用して何人かの生徒の支援をしているイギリス人男性は、自分が支援する生徒の作品が展示されているのを見て、しきりに記念写真を撮っていました。
翌日曜日は朝からトンドップ校長先生が会場にかけつけ、まずはテレビ取材を受け、「ラダックの子供たちに、これからも美術教育を受ける機会をできるだけ与えたい」「なんとか学校に美術教員を置けるようにしたい」と力説なさっていました。また学校と私たちをつないでくださったソナムさんも取材を受けたのですが、テレビのインタビューが終わると、「あなたたちが次に来る時は、ラダックじゅうの学校を移動しながらワークショップを行う予定だと、もう宣言してしまいました」と笑っていました。これがラダックに1チャンネルしかなく、しかも週に何度かしか放送しないテレビで流されたのですから、これからも行かないわけにはいかなくなりました。銀行の頭取をするラムドン・ウェルフェア・ソサイティーの幹部や、ラダック県の教育庁や文化庁の役人ーーそうした人々のほとんどがソナムさんの幼なじみであるわけですが−−が続々と会場に現れ、そのたびに校長先生とソナムさんは、美術教育が生徒たちの情操教育にいかに有効であること、ぜひ美術教員の導入を考えてほしい、といったことを説得していました。教育庁の役人たちも、ここまで生徒たちの発表した絵のクオリティーが高いとは想像していなかった様子で、「たった数日間で生徒たちがこれを描いたのか?」と素直に喜びを見せていました。 それにしても、地域の大人たちが口々に「ラダックの子供たちに教育の機会を」と訴え、実際そういうことにつながる行動を積極的に起こそうとしていることには素直に驚きました。これまでインドで何度かワークショップを行ってきましたが、インドとは少々異なっているという印象を受けました。大人たちが、子供たちの教育や将来に強い関心を抱いているという印象を強く受けました。それが宗教の違いからなのか、風土や民族性の違いからくるものなのかはわかりません。生活に余裕のある人たちだけがそうなのではないか、といううがった見方もあるでしょう。しかしそうではなく、たまたまお寺に寄った普通の大人たちが、自分の子供の絵が展示されているわけではないにもかかわらず、真剣に一枚一枚の絵を見ているのです。いったいインドと何が違うのだろう、という思いが募り、そう思えば思うほど、ヴァラナシでの展覧会のことが思い返されるのでした。 それから人々の行動範囲が、インドよりよほど自由だという印象を受けました。6,7歳から遠く家から離れて寮生活をするくらいですから、子供たちの行動範囲は広く、意識も外の世界に自然に向けられている感じがしました。インドのほうが、ヴァラナシでもデリーでも、子供や若い女性が、自分の属するコミュニティーの中に閉じ込められているという印象がありました。レーは外国人旅行者が多いから、自然と意識が外に向くのではないだろうかとも思いましたが、ヴァラナシだって外国人は多い場所です。レーの生活がヴァラナシのそれより豊かというわけでもありません。やはり、世界観や文化の違いなのだと思います。展示を見ていたイギリス人とアメリカ人から声をかけられました。「これはまさに私たちのやりたかったことです。でもどこの誰とコネクションを持てばいいのかわからなくて、NGOに声をかけると多額な金額を要求されたりして、実現できませんでした。あなたたちはどうやって実現させたのですか?」と質問されました。たまたまよく知る人物(ソナムさん)がここの出身で、自ら関わる福祉団体を通じて学校とつないでくれたことを説明すると、「やはりNGOに任せず、自分たちでそこまでやらないと無理ですよね」と納得していました。やはり同じようなことを考えている人は世界じゅうにたくさんいるのだなあと思いました。 嬉しかったのは、土曜も日曜も会場に来てくれた生徒が何人もいて、展示を見終わったあとでもなんとなく私たちとずっと一緒にいてくれたことでした。右写真の二人は、ワークショップ最中から私たちをよく手伝ってくれ、そのせいで絵を描く時間がなくなってしまい、宿題になった子たちでした。右の生徒は、絵が展示されたことで親からたいそうほめられたらしく、なけなしのお小遣いをはたいて箱いっぱいのキャンディーを買い、私たちスタッフに配ってくれるのです。キャンディーをもらったことが嬉しいのではなく、そうやって彼が喜びを返してくれることが嬉しかったです。またトンドップ校長先生もソナムさんも、会場にほぼ立ちっぱなしで、見に来たお客さんの対応をしたり、生徒と話をしたりしてくださいました。ただの義務感でなかなかそんなことをできるものではありません。このお互いの感情の行き来こそが、何ものにも代え難いことでした。 この時間がずっと続けばいいのに、と思いましたが、太陽は容赦なく沈み始めていました。私たちが撤収作業を始めると、生徒も校長先生も一緒になって片付けを手伝ってくれました。校長先生は最後に自分の車に私たちを乗せてホテルまで見送りに来てくださり、「本当はみなさんへのお礼におもてなしの儀式をすべきところ、何もできずにすみませんでした」と謝られるのです。「こうして一日中付き合ってくださったこと以上に嬉しいことがあるでしょうか?」と答えると、「みなさんがいつかまた来てくれることを、私も生徒も待っています」とおっしゃいました。(了)
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